北帰行‘25秋・二日目

FANY ONLINEチケットで配信チケットを購入すると視聴することができた「グランドバトル WEST」には第三部まであり、帰省中にのんびりと全部見終えることができれば良いのではないかと考えていたのだが、第二部はすべて見られたものの第三部の配信チケットを購入する前にいろいろとアクロバティックに操作を間違えるなどして、アカウントがロックされてしまった。

問い合わせに対する返答メールはわりと早く届いて、アカウント復旧の方法は分かったのだがどうやら72時間は操作ができないらしい。ということは、旭川での最後の夜遅くである。第三部はおそらく2時間30分ぐらいだと思われるため、なんとか深夜に視聴できそうである。

この日は天候も良く、あらかじめ留萌に行くことを強く希望していたのだが、それは叶えられる運びとなった。かつてはJRというか国鉄こと日本国有鉄道で旭川から留萌まで行くことができたのだが、その後、ローカル線の廃止などがあり、とっくにバスか車でしか行けなくなっていた。留萌駅もおそらく数年前には無くなっていて、すでに鉄道が一切通っていない。

そして、旭川から最初のバスに乗ったとしても、留萌に着くのは午前10時30分ぐらいで、増毛に墓参りに行くことなども考えると、見たいところなどをゆっくり見る時間などはじゅうぶんにとれない可能性が高く、そうなると一泊も辞さないというような考えに傾きかけていた。

しかし、留萌の親戚が朝早くに旭川まで車で来てくれて送り届けるのみならず、市内のナビゲーションや昼食の手配までしてくれることになったので大変助かった。

旭川を出るときに近所にたくさんの消防車が出動していて軽く騒然としたりはしていたのだが、車は神居など懐かしい風景の中を走っていき、同行した母と妹も含め、会話を楽しむこともできた。留萌市内に入ると、ケーズデンキやファッションセンターしまむらといった商業施設が集積しているあたりを通り過ぎ、もう随分以前から留萌の商業的な中心地はこの辺になっているようである。

親戚の家の近くにある見晴公園に行った。ここは今回、行きたかった場所の1つで、かつて幼い子供だった頃に親戚によく連れてきてもらっていた。ここにはD613号車というかつて羽幌から石炭を輸送したりしていたという蒸気機関車が展示されている。この公園に来るのは少なくとも45年ぶりぐらいだったと思うのだが、D613号車はまだそこにあり、軽く感激した。

職員のような人たちが除草のような作業をしているようだった。遊具はまだ設置されていたのだが、おそらく老朽化のためだろう、使用はできないようであった。

ひとしきりかなり懐かしい気分に浸った後は、留萌市海のふるさと館に連れていってもらうことになった。この施設はそれほど古くはなく、北海道で生活していた頃にはもちろん存在していなかった。今回、現在の留萌のことについてインターネットで調べたりしているうちに存在を知った。

まずはわりと高いところから日本海を見ることができて、それにまず軽く感激した。海水浴の記憶はほぼ北海道での日本海のそれに限定されているといっても過言ではなく、40年前に東京や神奈川で生活することになって以降も何度か海水浴場に行く機会はあったが、あまりにも人が多すぎて、じゅうぶんに楽しむことはできなかったような気がする。

留萌市海のふるさと館の入口を入ってすぐに留萌の昔の地図が展示されていて、母と親戚は少なくとも数十分間はそれを見ながら昔話に花を咲かせていた。私と妹は館内をくまなく見て回ったのだが、想像を超える充実ぶりに大満足であった。

留萌の昔の喫茶店や飲み屋などのマッチが展示されていて、その中には幼い頃に連れていってもらったブラジルという喫茶店のものもあった。留萌出身で黒澤明監督作品をはじめ、多くの映画音楽で知られる佐藤勝に関する展示も充実していたが、留萌の歴史をテーマにしたセクションではあまりにも大昔からのことが掘り下げられていて、こんなにもちゃんとしたものが無料で見られて良いのだろうか、というような気分になった。

留萌が生産量日本一を誇る数の子をモチーフとしたゆるキャラ、KAZUMOちゃんの顔はめパネル的なものも設置されていた。

2階のテラスのようなところからも日本海を見ることができ、他にはレストランもあったのだが、現在は営業していなかった。やはり海水浴シーズンの夏が集客のメインなのだろうか、冬季はこの施設自体が休館しているようである。

車でかつての留萌の商業的な中心地も通ったのだが、かつて玩具やレコードを買ってもらったり、ゲームコーナーで時を忘れて遊んだり、レストランで幾度となくお子様ランチを食べさせてもらった八幡屋デパートも、本を選ぶのに時間がかかりすぎて母を待たせた成文堂書店や浜田商事も、おそらく東映まんがまつりなどを売店で売られていたほっけの燻製などをかじりながら見させてもらった日本劇場などもすでに存在していない。

親戚は今回の留萌を訪れる件について、来たって見るところなんて何も無いと言っていたのだが、記憶の中には確実に存在していて、実際に来てみることによって感じられることもあった。

ピンク・レディー「UFO」のシングル盤を買ってもらったことだけははっきりと覚えているし、北海道で生活しなくなった後にも、帰省時にRCサクセション「カバーズ」を買ったりしていたヨシザキレコードはなんと現在も営業を継続している。

もう1つもう少し先へ行ったところにレコード店があり、そこではブロウ・モンキーズやダリル・ホールのLPレコードを買った記憶があるのだが、そこがカンバヤシという店であったことも今回、いとこの証言によってはっきりと思い出すことができた。

あと、1983年の夏休みに当時、親戚が住んでいた家に何日か泊めてもらっていたことがあったのだが、その時にも今回、カンバヤシという店名だったと思い出すことができたレコード店にはよく行っていたのだが、稲垣潤一、安部恭弘、鈴木雄大、井上鑑といったシティポップ系アーティストの楽曲を収録した「MODERN WAVE Ⅱ」というLPレコードを買ったことも覚えている。確か横浜ゴムのテレビCMで流れていた安部恭弘「STILL I LOVE YOU」が収録されていたことが決め手となって、購入したのだったと思う。

その後、親戚の家に行って再会や談笑をした後に車で増毛に行って、墓参りをした。それから留萌の丸喜というお寿司屋さんでのランチということになっていたのだが、ランチタイムには予約ができず、さらに席がしばらく空きそうにないということで、その間、単独で付近を歩き回っていた。

仕事中だったいとこがわざわざこのためだけに休憩をとって、会いにきてくれたりもした。席が空いて寿司と天ぷらのセットをいただき、とてもおいしかった。後からインターネットで調べてみたところ、店名が季節料理と蝦夷前鮨・丸喜となっていて、江戸前鮨ならぬ蝦夷前鮨なるものが存在していることを、北海道出身者でありながら初めて知ることとなった。「旬に水揚げされた魚をその日のうちに捌き、余計な手を加えず、生のまま握る」のがその定義だという。

私は留萌の街を昔を懐かしみながらゆっくり歩いてみたく、他の人たちは車で道の駅などに行きたそうだったので、ここからはそれぞれ別々に行動することにして、15時ぐらいに親戚の家に集合ということになった。

それで、現在はすでに営業されていないがその名残りはじゅうぶんにあるボウリング場跡地に行ったり、こちらは現在も営業している中央スーパーに入ったりもした。留萌駅跡地にも歩いて行ってみたところ、建物は当時のままだったが、すでにここが駅であった痕跡は消えていて、地元のコミュニティ放送局、FMもえるの表示だけがあった。

留萌駅はもう無くなってしまったのだが、沿岸バスの停留所の名前は留萌駅前であった。停留所の標識にはいわゆる萌えキャラのようなものが描かれているのだが、これはどうやら萌えっ子キャラクターというものらしく、缶バッジが発売されたりもしているようである。

セイコーマート留萌錦町店に行くと、昨年の秋に埼玉県のセイコーマートまんだな店に行ったときには買うことができなかったホットシェフの道産ポテトのフライが売られていたので、これと北海道余市町産完熟トマト酎ハイを購入した。

道産ポテトのフライのパッケージには北海道ポテトと表記されているのだが、正式な商品名は道産ポテトのフライのようである。いわゆるフライドポテトなのだが、大きくてクオリティーがひじょうに高くボリュームもある。これはとても良い。

そして、北海道余市町産完熟トマト酎ハイは想像以上のトマト感で、これも素晴らしい。北海道余市町の中野ファームで収穫された完熟トマト、桃太郎を使用しているとのことである。

その後、他の人たちが車で小平町の鰊番屋に行くことにしたとかで、親戚の家での集合時刻が15時30分ぐらいに延長され、花園西公園で一休みしたり、意味なくサツドラ留萌花園店やゲオ留萌店に入ったりもした。

留萌といえば夕陽がとてもきれいなことでも知られていて、黄金岬のそれは「日本の夕陽百景」にも選ばれているのだが、旭川に帰る最後のバスまで少し時間があったので車で連れていってもらったものの、夕陽は雲に隠れて見ることができなかった。

留萌から旭川までバスで2時間ぐらいかけて帰り着き、イオンモール旭川駅前の中にあるきたキッチンという店でホタチーと旨味ほたて貝ひも天というおつまみ的なものを購入した。

旭川駅前に着く少し前に、バスの窓からゲソ丼という暖簾がかかった店を見ることができ、後からそこは神楽にある花ちゃんという地元ではとても有名な店だということを知るのだが、そういえばゲソ丼というのも旭川のいわゆるB級グルメというかソウルフード的なものとして紹介されていることがある。

確かに旭川で生活をしていた頃に、イカのゲソ天は日常的に食卓にあったような気もするのだが、東京や神奈川で生活をするようになってからは、おそらくほとんど食べていない。イオンモール旭川駅前の惣菜コーナーでゲソ天が売られていないかと思い見にいったのだが、そこには無く、なんとか家でゲソ天をつくって食べられないものだろうかと妹に話したところ、それならば実際に店に食べにいけばよいのではないかということになった。

いずれにしても旭川の市街地には帰省中に一度は行くので、そのときに店を訪れることにした。それで、このゲソ丼の元祖とされているのが立ち喰いそば屋の天勇という店だということが分かったので、後日、ここに行こうということになった。

帰宅後、妹があらかじめ買っておいてくれていたマルちゃんの北海道限定カップ焼そば、やきそば弁当のおそらく期間限定商品、5種の具材入り中華風醤油味を食べた。

Fire TV Stickには妹のアカウントをつくって登録したのだが、YouTubeで立ち喰いそば天勇に関連する動画をいくつか視聴したところ、やはりベースは立ち喰いそば屋ということで、メニューには単品でゲソ丼があるものの、ほとんどの人たちがそばのサイドメニューとしてミニゲソ丼を注文しているようであった。また、提供までの時間がひじょうに早いのも特徴だということである。