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1965年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト20

個人的に1965年にはまだ生まれてすらいないため、リアルタイムでの記憶は乳児としてですら一切なにもない。当時の記録を見てみると、日本でもビートルズ、ベンチャーズ、ジェームス・ボンドなどがひじょうに流行していたようだ。海外の文化に興味や関心が向かうことはひじょうに開かれていて健全なことだと、2021年の東京でK-POPグループのコラボレーションカフェに待機列をつくる人々を好意的に見たりもしている。それはそうとして、そんな自分自身ではまったく体験したことのない年に、ましてやアメリカやイギリスといった異国でレコードが発売されていたポップ・ソングの中から、特に重要だと思える20曲を選んでいきたい。

20. Yesterday – The Beatles

いろいろなメディアが発表する歴代ベスト・ソング的なリストを見たりする限りだと、2021年の時点において、ビートルズの曲で最も高く評価されているのは当時、シングルとしてリリースすらされていなかった「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のようである。しかし、1980年頃に日本の公立中学生が知りうる範囲の情報では、ビートルズの代表曲といえば「イエスタデイ」という印象であった。英語の教材テープなどでも、よく分からない人が歌うバージョンが収録されていがちだったのではないだろうか。当時、私が通っていた中学校では担任の英語教師が教科書を2学期までに終わらせて、3学期はビートルズの歌詞を解釈するという授業を独自にやっていたのだが、その際に教材として用いられていたのも「イエスタデイ」であり、しかしよく分からない人が歌っているバージョンではなく、実際にビートルズがレコーディングした音源を使っていた。ジョン・レノンが亡くなってから、まだそれほど経ってはいない頃のことであった。

この曲はビートルズのアルバム「ヘルプ!」に収録され、アメリカではシングル・カットされ、全米シングル・チャートで1位に輝いたようである。クレジットはレノン=マッカートニーだが、実際にはポール・マッカートニーによって書かれた曲であり、弦楽四重奏をバックに恋の痛手について歌われている。

19. In The Midnight Hour – Wilson Pickett

60年代の全米シングル・チャートには、デトロイトのモータウン・レコーズがたくさんのヒット曲を送りこんでいたのだが、同じソウル系の音楽でもより本格的だとされていたのがアトランティック・レコーズであり、ウィルソン・ピケットによるこの曲もそこからの第1弾シングルとしてリリースされている。

当時、全米R&Bチャートで1位、全米シングル・チャートでは最高21位を記録したこの曲は、日本では80年代にRCサクセションによってもカバーされ、1986年のライブ・アルバム「the TEARS OF a CLOWN」に収録されている。

18. Tainted Love – Gloria Jones

1981年にソフト・セルのカバー・バージョンがヒットした「汚れなき愛」のオリジナルである。ソフト・セルのエレ・ポップ的なアレンジとは異なり、このバージョンにはモータウン的ともいえるフレイヴァーが感じられ、リリース当時はヒットしなかったものの、後にイギリスのノーザン・ソウルファンに発見されたという。それで、1976年にマーク・ボランのプロデュースで再レコーディングされたバージョンがリリースされるのだが、これもヒットには至らなかった。しかし、「NME」が2004年に発表した歴代ベスト・シングルのリストで305位に選ばれるなど、評価されるところではちゃんとされたりもしている。

17. Keep On Running – The Spencer Davis Group

スペンサー・デイヴィス・グループやトラフィックに在籍していた頃の音源をあつめたスティーヴ・ウィンウッドのコンピレーション・アルバムにこの曲のタイトルがついていたので、おそらく代表曲なのだろうと思いながら聴いてみると、とてもカッコよかったという記憶がある。

当時、全英シングル・チャートで1位に輝いているが、ジャマイカ出身のアーティスト、ジャッキー・エドワーズの曲をカバーしたものである。アイランド・レコーズの創設者、クリス・ブラックウェルがプロデュースしている。

16. Nowhere To Run – Martha & The Vandellas

モータウンのソングライター・チーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドによって書かれた楽曲で、全米シングル・チャートで最高8位を記録した。良くない関係ではあるのだが、相手のことが好きすぎて逃れられない状況について歌われていて、「ダンシング・イン・ザ・ストリート」「ヒート・ウェイブ」と並ぶマーサ&ザ・ヴァンデラスの代表曲となっている。

15. Uptight (Everything’s Alright) – Stevie Wonder

12歳の頃にリトル・スティーヴィー・ワンダーとしてレコーディングした「フィンガーティップス」が1963年に全米シングル・チャートで1位に輝いたものの、その後、大きなヒット曲が出なかったこととスティーヴィー・ワンダーが変声期を迎え、大人のボーカルになったことなどによって、レーベルも将来を不安視しているところがあったというのだが、ツアーを一緒に回ったローリング・ストーンにインスパイアされたともいわれるこの曲によって、全米シングル・チャートで最高3位のヒットを記録した。

14. These Boots Are Made For Walkin’ – Nancy Sinatra

ナンシー・シナトラのアーティストとしてのキャリアに力を貸してほしいと、リー・ヘイゼルウッドに頼んだのは、父親で世紀の大スター、フランク・シナトラだったといわれているようだ。当初は自分自身で歌うことを想定してリー・ヘイゼルウッドが書いたのだが、ナンシー・シナトラが歌いたいと懇願したために提供したところ、アメリカやイギリスのシングル・チャートで1位に輝く大ヒットとなった。

日本では「にくい貴方」の邦題と、1996年から2010年までTBSテレビ系で放送されていた音楽番組「うたばん」のテーマソングとして使用されていたことでも知られている。

13. I Can’t Help Myself (Shugar Pie, Honey Bunch) – The Four Tops

モータウン・レコーズの人気グループ、フォー・トップスによる全米NO.1ヒットで、この曲もまたホーランド=ドジャー=ホーランドによって書かれている。恋にメロメロになっている男の心理状態を描いた内容が共感を呼んだのか、この年の全米シングル・チャートでは、サム・ザ・シャムとザ・ファラオス「ウーリー・ブリー」に次ぐ、年間2位を記録している。

80年代にはスコットランドのインディー・ポップ・バンド、オレンジ・ジュースがこの曲を引用してもいる「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」をリリースしたりもしていた。

12. People Get Ready – The Impressions

カーティス・メイフィールドがメンバーであったR&Bグループ、インプレッションズの代表曲で、全米シングル・チャートで最高14位を記録した。ゴスペル音楽の影響が感じられるこの曲を、マーティン・ルーサー・キング牧師は当時のアメリカで盛り上がっていた公民権運動の非公式のテーマソングだと評した。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズやボブ・ディラン、ジェフ・ベック&ロッド・スチュワートなど、多くのアーティストによってカバーされている。

11. Subterranean Homesick Blues – Bob Dylan

アルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」からの先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高39位、ボブ・ディランにとって最初の全米トップ40ヒットとなった。全英シングル・チャートでは「時代は変わる」に続いて、2曲連続で最高9位を記録している。

ビート詩人のジャック・ケルアックやフォークのシンガー・ソングライターであるウディ・ガスリーやピート・シーガー、ロックンローラーのチャック・ベリーなどからの影響がミックスされている。また、この頃にはまだ珍しかったプロモーションビデオが制作されていたことでも知られている。

10. Help! – The Beatles

主演映画「ヘルプ!4人はアイドル」のテーマソングであり、イギリスやアメリカのシングル・チャートで当然のように1位に輝いた。過熱したビートルズ人気により忙殺されていたジョン・レノンが心の底から助けを求めるような心理状態が反映された楽曲のようである。

この映画は日本では11月に公開され、女子高生を中心に大人気だったらしく、上映館に機動隊が出動するほどだったというのだから、想像を絶する。この前の作品「ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!」の上映時には舞台に駆けあがり、スクリーンにキスをするファンなども現れたことから、この時にはそのような事態が生じた際には上映を中止する旨があらかじめ告知されたりもしていたという。

9. Mr. Tambourine Man – The Byrds

ザ・バーズのデビュー・シングルで、ボブ・ディランのアルバム「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」収録曲のカバーである。フォーク・ソング的な楽曲をビートルズのようなロックのサウンドで演奏する、いわゆるフォーク・ロックというサブジャンルを確立した曲でもある。アメリカやイギリスのシングル・チャートで1位に輝いた。

8. Ticket To Ride – The Beatles

映画「ヘルプ!4人はアイドル」でも使われたビートルズのこれもまたヒット曲で、イギリスやアメリカのシングル・チャートで1位に輝いた。「涙の乗車券」の邦題でも知られるこの曲あたりからサウンドがややヘヴィーになってきたようなところもあり、ここからさらにクリエイティヴィティーの高みへと突き進んでいく。

7. California Dreamin’ – The Mamas & Papas

「夢のカリフォルニア」の邦題でも知られるママス&パパスの代表曲で、全米シングル・チャートで最高4位を記録した。夏を感じさせるタイプの曲としても挙げられがちだが、実際には寒いニューヨークでカリフォルニアを夢見ているという内容である。90年代の香港映画「恋する惑星」でフェイ・ウォンが演じる食堂の店員がとても気に入っている曲として、何度もかかる。日本では80年代の初めぐらいにテレビCMに使われ、リバイバルヒットしていたような気がする。

6. Stop! In The Name Of Love – The Supremes

モータウンを代表する人気グループの1つ、シュープリームスのヒット曲で、全米シングル・チャートでは「愛はどこへ行ったの」から4曲連続での1位に輝いた。ソングライターチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドによって書かれた楽曲である。

5. Papa’s Got A Brand New Bag – James Brown

全米シングル・チャートで最高8位に輝き、ジェームス・ブラウンにとって最初の全米トップ10シングルになった。特徴であるファンキーなサウンドとボーカルの魅力がfフルに発揮された、とてもカッコいい曲である。タイトルの「ニュー・バッグ」は、最新の流行とかそういった意味をあらわしているようだ。

4. The Tracks Of My Tears – Smokey Robinson & The Miracles

これもまたモータウンの人気グループ、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの代表曲で、全米シングル・チャートで最高16位を記録した。スモーキー・ロビンソンの甘いボーカルで歌われる、悲しくて切ない失恋ソングとなっている。70年代にはリンダ・ロンシュタッドによるカバー・バージョンが、全米シングル・チャートで最高11位を記録した。

3. (I Can’t Get No) Satisfaction – The Rolling Stones

ローリング・ストーンズの代表曲の1つで、イギリスでもアメリカでもシングル・チャートで1位に輝いた。イギリスではアメリカよりも少し遅れてリリースされたのだが、性的なニュアンスを感じさせる歌詞の一部が、当時としては煽情的だと捉えられていたようだ。若者らしい性的なフラストレーションとコマーシャリズムに対する批評性を備えた、これぞロックというような楽曲である。オーティス・レディングやディーヴォなど、様々なアーティストによってカバーされている。

2. My Generation – The Who

ザ・フーによるティーンエイジ・アンセムにしてロック・クラシックであり、全英シングル・チャートでの最高位は2位なのだが、全米シングル・チャートでは意外にも74位なでしか上がっていなかったようだ。年老いる前にくたばりたいぜ、というような若さが迸るフレーズとエネルギッシュな演奏が最高である。

1. Like A Rolling Stone – Bob Dylan

アルバム「追憶のハイウェイ61」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。レーベルはこの曲があまりにもロック的すぎることと、時間が長いことからリリースを渋っていたようだが、テスト盤的な音源がクラブでかけられると大きな反響があったため、発売することになったのだという。

それまでのフォーク・ソング的なサウンドからよりロック的になったことから、熱心なフォークファンからは裏切り者呼ばわりをされたりもするのだが、この曲のインパクトはひじょうに大きく、フォーク・ソング界のスターであったボブ・ディランは、時代を象徴するポップ・アイコンになっていったのだという。

用意されたレールから外れ、失ったものと引き換えに自由を手に入れたが、それで一体どんな気がする?というような問いかけは、当時のアメリカの若者たちに切実なものとして響いたのではないかと思われる。

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