1980年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト20

80年代の幕開けである。日本ではYMOことイエロー・マジック・オーケストラを中心としたテクノブームが大きく盛り上がったり、田原俊彦、松田聖子のデビューとブレイクによりアイドルポップスが復権したり、山下達郎「RIDE ON TIME」のヒットによってシティ・ポップ的なサウンドがお茶の間に進出したり、少し前までは中高年のためのエンターテインメントというイメージだった漫才がMANZAIになり、若者たちの間で大流行した。このような年にアメリカやイギリスでリリースされたポップ・ソングの中から、特に重要だと思われる20曲を選んでいきたい。

20. Coming Up – Paul McCartney

当時はそれほど評価が芳しくはなかったが、近年、再評価されているような気もするポール・マッカートニーのソロ・アルバム「マッカートニーⅡ」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。アメリカではライブ・バージョンがA面としてリリースされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。特にスタジオ・バージョンの方はニュー・ウェイヴからの影響が感じられる。この年のじはじめ、ポール・マッカートニーは来日公演を予定していたが、麻薬不法所持のため成田で捕まり、中止になるということがあった。

19. Antmusic – Adam & The Ants

海賊ルックとジャングルビートともいわれる独特な音楽性が注目され、イギリスで大ブレイク、日本の洋楽ファンの一部の間でもまあまあ人気があったアダム&ジ・アンツのヒット曲で、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。

18. Kiss On My List – Daryl Hall & John Oates

ブルー・アイド・ソウル的な音楽性が特徴のダリル・ホール&ジョン・オーツは1970年代に「リッチ・ガール」で全米シングル・チャートの1位に輝くなどすでに人気があったのだが、よりポップでキャッチーなサウンドとなったアルバム「モダン・ヴォイス」からシングル・カットされたこの曲が、80年代に入ってから最初の全米NO.1ヒットとなった。

17. Another One Bites The Dust – Queen

アルバム「ザ・ゲーム」から「愛という名の欲望」に続いて、全米シングル・チャートで1位に輝いた楽曲である。シック「グッド・タイムス」から引用されたベースラインが印象的で、日本では「地獄に道づれ」の邦題で知られる。2021年の時点では、日本のバラエティー番組「千原ジュニアの座生」で、モノボケの道具を芸人が探している間のBGMとしても使用されている。

16. Whip It – Devo

YMOのファンにも人気があったような印象もあるのだが、それは同じ中学校のO君などがそうだったという個人的な記憶によるものかもしれない。頭によく分からないもの(エナジードームというらしい)を被っているのが特徴である。この曲は3作目のアルバム「欲望心理学」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高14位を記録した。

15. Don’t Stand So Close To Me – The Police

ポリスの3作目のアルバム「ゼニヤッタ・モンダッタ」からシングル・カットされ、全英シングル・チャートで1位に輝いた。邦題は「高校教師」で、教師が女生徒に恋愛感情をいだくという、おニャン子クラブ「およしになってねTEACHER」にも通じる内容をテーマにしている。同じアルバムからは「ドゥドゥ・デ・ダダダ」もシングル・カットされたが、この曲は湯川れい子が詞を書いた日本語バージョンも発売され、ラジオでよくかかっていた記憶がある。

14. Master Blaster (Jammin’) – Stevie Wonder

スティーヴィー・ワンダーのアルバム「ホッター・ザン・ジュライ」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高5位、全英シングル・チャートでは最高2位を記録した。ボブ・マーリーに影響を受けたレゲエ調のリズムが印象的で、個人的には中学校で同級生だったI君と「ドゥットゥチッチ、ドゥットゥチッチドゥットゥチッチドゥットゥチッチ♪」などと口マネをしながら自転車で旭川市街地に遊びに行ったことなどが思い出される。

13. The Winner Takes It All – ABBA

スウェーデンのポップ・グループ、ABBAは日本でもひじょうに人気があり、この曲は収録されていないが、「グレイテスト・ヒッツVol.2」はこの年のオリコン年間アルバムランキングで、イエロー・マジック・オーケストラ「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」、松山千春「起承転結」に続く3位にランクインしていた。メンバー4人が2組の夫婦であることが話題になり、グループのイメージにもつながっていたが、この時点では1組が離婚していて、それが楽曲にも反映し、キャッチーでありながらビターな内容になっている。

12. Call Me – Blondie

映画「アメリカン・ジゴロ」のテーマソングで、ジョルジオ・モロダーのプロデュースにより、ニュー・ウェイヴ・バンドのブロンディがよりディスコ・ポップに寄せた楽曲となっている。アメリカやイギリスのシングル・チャートで1位になったほか、日本では原宿の歩行者天国で踊る竹の子族などにもひじょうに人気があり、オリコン週間シングルランキングで最高12位を記録した。

11. That’s Entertainment – The Jam

ザ・ジャムの4作目のアルバム「サウンド・アフェクツ」の収録曲で、当時、イギリスではシングル・カットされなかったのだが、輸入盤が全英シングル・チャートで最高22位を記録している。ワーキングクラスの日常を描いた歌詞はポール・ウェラーのソングライターとしての真骨頂ともいえるものであり、サウンドはシンプルでありながらサイケデリックなところもある。

10. Rapture – Blondie

ブロンディのアルバム「オートアメリカン」から、この翌年の初めにシングル・カットされ、全米シングル・チャートで「夢みるNo.1」と連続しての1位に輝いた。当時はまだメインストリームではなかったラップを取り入れた、初の全米NO.1ヒットとしても知られている。

9. Hungry Heart – Bruce Springsteen

ブルース・スプリングスティーンの5作目のアルバムで2枚組の大作「ザ・リバー」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高5位を記録した。ブルース・スプリングスティーンが他のアーティストに提供した楽曲はすでにいくつかヒットしていたのだが、自身のシングルとしてはこれが初めてのトップ10ヒットとなった。この曲もラモーンズに提供する予定だったのだが、マネージャーのアドバイスによって自分で歌うことになったのだという。オールディーズ的でもある曲調が、当時のトレンドにマッチしていたような気もする。

8. Geno – Dexy’s Midnight Runners

デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズといえばアメリカでもシングル・チャートで1位になった「カモン・アイリーン」がひじょうに有名だが、イギリスではそれ以前にデビュー・アルバム「若き魂の反逆児を求めて」にも収録されたこの曲が全英シングル・チャートで1位に輝いていた。ソウル・シンガーのジーノ・ワシントンに捧げた、ご機嫌な楽曲となっている。

7. Ace Of Spades – Motörhead

イギリスのヘヴィー・メタル・バンド、モーターヘッドのアルバム「エース・オブ・スペーズ」のタイトルトラックであり先行シングルで、全英シングル・チャートで最高13位を記録した。スピードと勢いが感じられる、とてもノリノリな楽曲であり、歌詞にはギャンブルを連想させる表現が見られる。

6. Back In Black – AC/DC

オーストラリア出身のハード・ロック・バンド、AC/DCはこの年の2月にボーカリストのボン・スコットが亡くなるという悲劇に襲われ、一旦は解散も考えたというが、新たなボーカリストとしてブライアン・ジョンソンを迎え、アルバム「バック・イン・ブラック」を完成させた。この曲はそのタイトルトラックであり、シングル・カットもされて全米シングル・チャートで最高37位を記録した。アルバムはアメリカで4位、イギリスで1位のヒットを記録し、ジャンルを代表する名盤として評価されることになるが、このタイトルトラックのギターリフもひじょうに人気があり、ビースティ・ボーイズによってサンプリングされたりもした。

5. I’m Coming Out – Diana Ross

シックのナイル・ロジャース、バーナード・エドワーズをプロデューサーに迎え、ディスコ・ブームに対応したダイアナ・ロスのアルバム「ダイアナ」からは「アップサイド・ダウン」が全米シングル・チャートで1位の大ヒットを記録するが、次にシングル・カットされたこの曲も全米シングル・チャートで最高5位と好調であった。後にこの曲はLGBTQのアンセムとしても知られるようになるが、当時のダイアナ・ロスは「カミング・アウト」という言葉に性的志向などを表明することも含まれていることを知らずに、歌っていたという。

4. Going Underground – The Jam

ザ・ジャムはモッズ・リバイバル・バンドでありながら、パンク/ニュー・ウェイヴのシーン出身と見なされていたにもかかわらず、イギリスのメインストリームで大きなヒット曲をいくつも出していたという点で、国民的人気バンドといえるような存在だったのだろうか。その一方でアメリカのヒット・チャートにはまったく入っていなかった。この曲は政治の腐敗やサッチャー政権といった当時のイギリスの社会的イシューについて歌ったものであり、全英シングル・チャートで初の1位に輝いた

3. Ashes To Ashes – David Bowie

デヴィッド・ボウイの14作目のアルバム「スケアリー・モンスターズ」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで1位に輝いた。当時としては画期的であったミュージックビデオもひじょうに印象的である。デヴィッド・ボウイの表現からも大きく影響を受けていたであろうニュー・ウェイヴの感覚を、自身が取り入れてまた新たなポップ・ミュージックを創造しているようにも思える。

2. Once In A Lifetime – Talking Heads

ブライアン・イーノがプロデュースしたアルバム「リメイン・イン・ライト」からシングル・カットされ、全英シングル・チャートでは最高14位を記録したが、全米シングル・チャートでは100位以内にランクインしなかった。とはいえ、後にトーキング・ヘッズの代表曲として知られるようにはなる。サウンドの新しさやデヴィッド・バーンのユニークなパフォーマンスに加え、ミッドライフ・クライシス(中年の危機)というテーマを取り上げたところもひじょうにおもしろい。

1. Love Will Tear Us Apart – Joy Division

ジョイ・ディヴィジョンがアメリカとカナダのツアーに出発しようとしていた前日にボーカリストのイアン・カーティスが自殺し、バンドは解散、残されたメンバーはニュー・オーダーを結成することになる。この曲はイアン・カーティスの死後にシングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高13位を記録した。

タイトルは1975年にキャプテン&テニールがヒットさせたバージョンで知られる「愛ある限り」の原題「ラヴ・ウィル・キープ・アス・トゥゲザー」に逆説的にインスパイアされたものだと思われ、イアン・カーティスの当時の妻との関係の悪化などからくる、愛という概念に対する疑念や諦念のようなものが反映されていると推測される。