1968年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト20

GSやカレッジフォークが人気だったのだが、サイケデリックなカルチャーも流行していて、学生運動が盛んになって橋本治が「とめてくれるなおっかさん」の駒場祭のポスターを描いたのもこの年である。当時、アメリカやイギリスでリリースされたポップ・ソングの中から、特に重要だと思われる20曲を選んでいきたい。

20. Tighten Up – Archie Bell & The Drells

ある世代の日本人の中には、イエロー・マジック・オーケストラによるカバー・バージョンによってこの曲を初めて知ったという人も私を含め少なくはないのではないかと感じられるが、とてもファンキーなパーティー・チューンで、全米シングル・チャートで1位に輝いていた。この曲がヒットしていた頃、アーチー・ベルはベトナム戦争に派兵されていたという。

19. Say It Loud – I’m Black And I’m Proud – James Brown

ジェームス・ブラウンによるとても力強い楽曲であり、人種差別に抗議するブラック・パワー・ムーヴメントのアンセムとしても知られるようになった。全米R&Bシングル・チャートで6週連続1位、全米シングル・チャートでも最高10位のヒットを記録した。

18. Born To Be Wild – Steppenwolf

「ワイルドでいこう!」の邦題で知られるこの曲を聴くと、映画「イージー・ライダー」の映像が頭に浮かぶ人たちがわりと多いような気がするのだが、ワタナベエンターテインメントのお笑いグループ、超新塾が登場する時に流れる曲としても一部では知られている。「ヘヴィー・メタル」という単語が歌詞に登場した最も初期のポップ・ソングではないかともいわれているが、これは音楽のジャンルではなくバイクのことをあらわしているようだ。全米シングル・チャートで最高2位、80年代には遠藤ミチロウがカセットブック「ベトナム伝説」でカバー(して、富良野プリンスホテルに就職したI君がバンドでコピー)していた。

17. Time Of The Season – The Zombies

ゾンビーズのアルバム「オデッセイ・アンド・オラクル」といえばバロック・ポップの超名盤としていまでは評価が定着しているのだが、メンバー間の人間関係が悪化するなどして、完成とほぼ同時にバンドは解散した。しかも、アルバムもそれほど売れていなかったのだが、1969年になってからこの曲がアメリカでヒットして、全米シングル・チャートで最高3位を記録した。邦題は「ふたりのシーズン」で、日本では一風堂がカバーしていた。

16. Lazy Sunday – The Small Faces

アルバム「オグデンズ・ナット・ゴーン・フレーク」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。コックニー訛りが特徴的なブリティッシュ・ポップで、ブラー「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」などにひじょうに強い影響をあたえたと思われる。

15. Everyday People – Sly & The Family Stone

ロックとソウルとの垣根を取り払い、プリンスなどにもひじょうに強い影響をあたえたスライ&ザ・ファミリーストーンが、全米シングル・チャートで初めて1位に輝いた曲である。人種差別に反対し、平和を訴える当時の時代感覚にもひじょうにマッチしていたのではないかと想像できる(当時はまだ乳児だったので、リアルタイムでの記憶はまったくない)。

14. Street Fighting Man – The Rolling Stones

ローリング・ストーンズの楽曲の中でも特に政治的な要素が強いのではないかといわれていて、ベトナム戦争や人種差別などに対する抗議行動が盛んであった当時のムードが反映されているようにも思える。アルバム「ベガーズ・バンケット」に収録される前にアメリカではシングルがリリースされていたのだが、その内容が原因でラジオではかからず、全米シングル・チャートでの最高位は48位であった。

13. While My Guitar Gently Weeps – The Beatles

ビートルズのジャケットアートワークが真っ白であることから「ホワイト・アルバム」と呼ばれることも多い2枚組アルバム「ザ・ビートルズ」に収録された、ジョージ・ハリソンによる楽曲である。友人のエリック・クラプトンも参加している。メンバーの気持ちが離れ離れになってきていたバンドの状況や、暗いニュースが多い社会情勢を反映したようなムードが感じられるこの曲はジョージ・ハリソンのソングライターとしての才能を世に知らしめ、「ザ・ビートルズ」に収録されたどのレノン=マッカートニー作品よりもこの曲を評価する人も少なくはない。

12. Israelites – Desmond Dekker & The Aces

ジャマイカのアーティスト、デズモンド・デッカーが率いるバンドの代表曲で、全英シングル・チャートで1位に輝き、全米シングル・チャートでは最高9位を記録した。いずれもレゲエのアーティストとしては、初の快挙であった。邦題は「イスラエルちゃん」である。

11. Voodoo Child (Slight Return) – The Jimi Hendrix Experience

アルバム「エレクトリック・レディランド」の最後の曲としてリリースされた、それまでのキャリアの集大成ともいうべき素晴らしい楽曲である。1970年にジミ・ヘンドリックスが亡くなった後でシングル・カットされ、全英シングル・チャートで1位に輝いた。

10. Wichita Lineman – Glenn Campbell

ジミー・ウェッブがカントリー・シンガーのグレン・キャンベルに提供した楽曲で、全米シングル・チャートで最高3位を記録した。ジミー・ウェッブが車を運転している時に見た、電柱に上って何らかの業務を行う保線作業員の姿にインスパイアされて書かれた曲である。普通の人々の日常的な生活の中にもそれぞれのドラマがあり、それを素晴らしいポップ・ソングとして表現した名曲である。

9. Son Of A Preacher Man – Dusty Springsteen

イギリスのポップ・スター、ダスティ・スプリングフィールドがレーベルを移籍し、メンフィスでレコーディングしたR&Bテイストのアルバム、その名も「ダスティ・イン・メンフィス」(タイトルにひねりはないが内容は素晴らしい)からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高10位を記録した。1990年代にはクエンティン・タランティーノ監督の映画「パルプ・フィクション」のサウンドトラックにも使われて、新しい世代のファンを獲得した。

8. The Weight – The Band

ザ・バンドのデビュー・アルバム「ミュージック・フロム・ザ・ビッグ・ピンク」からシングル・カットされ、それほどヒットしなかったのだが、ポップ・ミュージック史上ひじょうに重要な楽曲として評価されてもいる。若かりし頃は地味すぎてよく分からないし、自分には向いていないのではないかと感じた音楽ファンも私を含め少なくはないようにも思えるのだが、ある時、この音楽がフォークやカントリー、リズム&ブルースやロックといった様々な音楽の要素をミックスしたひじょうにユニークなものだと気づいてから、好きで仕方がなくなったりもする。

7. Sympathy For The Devil – The Rolling Stones

ローリング・ストーンズのアルバム「ベガーズ・バンケット」の1曲目に収録された曲で、「悪魔を憐れむ歌」の邦題で知られる。タイトルがあらわしているように、ローリング・ストーンズの悪魔的な一面が濃厚に出ているようにも思える楽曲で、印象的なコーラスのところなどはフリッパーズ・ギター「奈落のクイズマスター」にも引用されている。

6. All Along The Watchtpwer – The Jimi Hendrix Experience

邦題は「見張塔からずっと」で、オリジナルはボブ・ディランである。ポップ・ミュージック史上最も優れたカバー・バージョンのうちの1つといえるほどの、素晴らしい演奏となっている。「エレクトリック・レディランド」からシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最高5位を記録した。

5. Hey Jude – The Beatles

ビートルズのとても長いにもかかわらず、イギリスやアメリカのシングル・チャートで1位に輝いた楽曲である。レノン=マッカートニーとクレジット上はなっているが、ポール・マッカートニーによって書かれている。この頃、ジョン・レノンはヨーコ・オノと熱愛状態になっているのだが、シンシアとの間の子供であるジュリアンに寄り添って、ポール・マッカートニーが書いた曲だといわれている。後半のアンセミックなコーラス、オーケストラを配したアレンジ、しかも大ヒットというポップ・ミュージック史における金字塔とでもいうべき楽曲である。

4. Jumpin’ Jack Flash – The Rolling Stones

ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」に対抗したと思われる「サタニック・マジェスティーズ」など、ややサイケデリックなバロック・ポップ路線に向かいつつもあったローリング・ストーンズが、本来のロックンロールに回帰したような楽曲で、全英シングル・チャートで1位に輝いた。これぞローリング・ストーンズとでもいうべき楽曲であり、ライブでは歴代で最も数多く演奏されたともいわれている。

3. (Sittin’ On) The Dock Of The Bay – Otis Redding

「ヤングタウン土曜日」で明石家さんまがいまどきのハロー!プロジェクトのアイドルに洋楽の話をしていて、「オーティス・レディングさんとかやなぁ」というようなことを言っていた。「ヤングタウン土曜日」のエンディングテーマはずっとイーグルス「テイク・イット・イージー」でいかにも明石家さんまらしいのだが、この曲はオリコン週間シングルランキングで最高12位を記録していたようだ。

オーティス・レディングが実際に埠頭で船が出入りするのを見ながら思いついたアイデアを、スティーヴ・クロッパーと一緒に完成させたという。それまでのオーティス・レディングの楽曲と比べ、ポップ寄りになっているのだが、それは意図したものでもあったようである。レコーディングから少しした後、オーティス・レディングは飛行機事故に遭い、亡くなってしまう。その後にリリースされたシングルは、全米シングル・チャートで1位に輝いた。

2. I Say A Little Prayer – Aretha Franklin

バート・バカラックとハル・デヴィッドによって書かれた楽曲で、ディオンヌ・ワーウィックが歌ったバージョンが全米シングル・チャートで最高4位をすでに記録していた。邦題は「小さな願い」で、ベトナム戦争に派兵された恋人のことを思っていると解釈することもできるような内容となっている。

アレサ・フランクリンがレコーディングのリハーサルの時にコーラスの人たちと遊びでこの曲を歌っていたところ、とても良かったのでアルバム「アレサ・ナウ」に収録されることになったようだ。シングルのB面としても発売されるものの、ラジオなどでの反応があまりにも良く、A面になったようだ。全米シングル・チャートで最高10位、全英シングル・チャートでは最高4位を記録している。「NME」が1987年に発表した歴代ベスト・シングルのリストでは、アル・グリーンやディオンヌ・ワーウィックの楽曲を抑えて、1位に選ばれていた。

1. I Heard It Through The Grapevine – Marvin Gaye

「悲しいうわさ」でも知られる楽曲で、アメリカやイギリスのシングル・チャートで1位に輝いた。ノーマン・ホイットフィールドとバレット・ストロングによる共作曲で、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズとマーヴィン・ゲイによってレコーディングされたバージョンは、当初、発売を見送られ、グラディス・ナイト&ザ・ピップスのバージョンが先にリリースされた。全米シングル・チャートで2位を記録するが、その後、マーヴィ・ゲイのバージョンが7週連続1位を記録する。

恋人の浮気を噂で知ってしまったという内容の曲だが、それをドラマティックかつ悲しくも混乱しているように歌うボーカルが素晴らしく、広く共感を呼んだのではないかと思われる。80年代にアメリカのテレビCMでレーズンがこの曲を歌った時には、批判的な意見もあったような気がする。日本のロックバンド、GRAPEVINEのバンド名は、この曲のタイトルに由来しているようだ。