岡村靖幸「Vegetable」とその時代にまつわる個人的な記憶。

photo of vinyl player 1980s
Photo by Bob Clark on Pexels.com

最近、YouTubeを適当に視聴していると岡村靖幸の初期の楽曲のミュージックビデオが公式チャンネルで視聴できるようになっていることに気づき、何事かと思って軽く調べてみたところ、「デビュー40周年イヤーに合わせ、EPIC期ミュージックビデオをオフィシャル公開!」ということらしい。

これらの映像作品たちの一部については「yasuyuki okamura in It’s a Peachful World」というDVDソフトで所持してはいるのだが、ノートパソコンやスマートフォンなどでいつでもどこでもカジュアルに視聴することができるようになったのは、とても良いことだと言わざるをえない。

それでこの「Vegetable」という曲なのだが、シングル曲ではなくアルバム「靖幸」の1曲目に収録されていた楽曲で、ミュージックビデオが作成されていたり、後にリリースされるセレクションアルバム「早熟」にも収録されていたので、代表曲の1つということはできるのだろう。

当時、ナイスでメロウな男子大学生として生活していた私にとって、岡村靖幸の音楽がいかに重要だったかということについては、おそらく別のところで書いていたりいなかったりはしていると思うのだが、アルバム「靖幸」発売当時というのは、そんな気分がピークだったようなような気もする。

ちなみに「靖幸」の発売日は1989年7月14日であり、CDショップの店頭には後にフラゲ日と呼ばれるようになるその前日に並んでいたのではないかと推測される。そして、その日に私は渋谷区内の大学のキャンパスで講義を受けてから、調布市内のワンルームマンションで仮眠をとり、ローソン調布柴崎店の深夜のアルバイトに向かうまでのどこかの時間帯に、渋谷ロフトの1階にあったWAVE渋谷店で「靖幸」のCDを買っていた。

おそらくまったく同じ日に、山口県のとある場所では、後にモーニング娘。に加入し、8代目リーダーを務めることになったりもする道重さゆみが生まれていたはずである。そして、山口県宇部市のときわ公園などに聖地巡礼する前日、あれは2010年の春だったのだが、初めてのiPhoneを購入するにあたり、Softbankと契約することになったのだが、電話番号の下4桁には道重さゆみの誕生日をあらわす「0713」を選び、いまでもそれを使っている。

それはそうとして、岡村靖幸はプリンス、ビートルズ、松田聖子を特に影響を受けた音楽アーティストとして挙げていて、そのポップでありながらエクレクティック(折衷的)な音楽性は大きな魅力であった。それ以上に、かなり独特な日本語の歌詞である。たとえばサザンオールスターズの桑田佳祐だったり佐野元春に匹敵するレベルの新しさを感じさせながらも、当時のある層の若者、特に恋愛至上主義的でバブル景気にも乗りまくった当時の世相にいまひとつ乗り切れず、かといってアンチかといえばまったくそんなことはなく、実は半ば憧れつつもいまひとつイケないというような人たちにおそらく刺さりまくっていた。

つまり当時の私自身がズバリそれなわけだが、大学のキャンパスがあったので、京王線を明大前で乗り換えて、渋谷に通い続けていたことにより、そういった感覚は特に先鋭化されていったのかもしれない。とはいえ、岡村靖幸の音楽を初めて発見し、夢中になりはじめた頃にはまだ小田急相模原に住んでいて、厚木キャンパスに通っていたわけだが。

岡村靖幸自身によるセルフプロデュースとなったアルバム「靖幸」は個人的に歴代で最も好きなアルバムなのだが(ちなみに2番目に好きなのがフリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」で、3、4番目はNegicco「ティー・フォー・スリー」か大森靖子「絶対少女」である)、「Vegetable」はそのオープニングを飾るのにふさわしい最高のポップソングだということができる。

ロカビリーやリトル・リチャード「トゥッティ・フルッティ」的な要素を取り入れながらも、最も重要なテーマは「青春しなくちゃまずいだろう」ということである。当時の日本はバブル景気真っ盛りで物質主義的なムードが蔓延していたのだが、それに対しての免罪符的といえるのかどうかは定かではないのだが、だからこそ精神性もかなり重要というような気分での「純愛ブーム」的なものが村上春樹の小説「ノルウェイの森」や松任谷由実の「純愛三部作」(具体的には「ダイアモンドダストが消えぬまに」「Delight Slight Light KISS」「LOVE WARS」)が象徴するようにうっすらと蔓延してもいたのであった。

小田急相模原の純喫茶田園でホールのアルバイトをしていた頃、休憩室で流れていたテレビでは片岡鶴太郎が司会を務めるバラエティ番組「鶴ちゃんのプッツン5」の視聴者参加コーナーに出演していた暴走族上がり風の男子が「村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んで純愛っていいなと思いました」などと言っていたような気がする。

バブル景気的な物質的恋愛を象徴するのが「アッシーくん」「メッシーくん」「ミツグくん」などのワードが象徴する当時のトレンディな風潮の一端だったりはするのだが、それはある意味、フジテレビで土曜深夜に放送されていて女子大生ブームを巻き起こした(その後、ほぼ同じスタッフ陣によるバラエティ番組「夕やけニャンニャン」が巻き起こした女子高生ブームによって容易に凌駕されてしまうのだが)ともいわれる「オールナイトフジ」的価値観ともいうことができる。

岡村靖幸は当時の雑誌のインタヴュー記事において、この「オールナイトフジ」に出演しているようなタイプの女子大生の感じを否定したい気分もあるのだが、その魅力には抗うことができない、というような旨の発言をしていて、こういったタイプのノリがマイルドに蔓延していなくもない渋谷区の大学に在籍していた私としては大いに共感しまくったのであった。

それで、岡村靖幸の楽曲でいうところの「青春」というのはこういったムードに対するアンチテーゼなのではないか、というような感覚はなんとなく共有されていたような気はする。それで、バブル景気的というか物質主義的な純愛ブームになんとなくノリきれず、イケていない若者たちの一部に圧倒的な支持を得ていたのではないかというような推測をすることができる。

こういった感覚は堂々と肯定するべきではないかもしれなかったのだが、岡村靖幸の音楽というフィルターを通すと、その卓越したポップ感覚によって、それはむしろカッコいいものなのではないか、とすら錯覚することができた。

ところで「パック入りのウーロン茶」という歌詞についてなのだが、当時、コンビニエンスストアなどで一人暮らしの男子大学生が自宅用のウーロン茶などを購入する場合、ペットボトルよりは紙パック入りのそれだったという事実はあったのかもしれない、とはうっすらとした記憶がライトに裏づけかねない。知らんけど。

とにかく岡村靖幸の楽曲には「いじわる」のようなエロファンクだとか、かと思えば極度に爽やかな青春感覚が強調されたものなどいろいろあるのだが、そのエッセンスを1曲でコンパクトに表現したものはどれなのか、という話になると、この「Vegetable」などはわりと有力候補なのではないか、というような気はする。

タイトルとURLをコピーしました