1981年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト20

1981年といえば昭和56年で、日本のヒット・チャートでは、松田聖子、田原俊彦、近藤真彦といったアイドルの新曲がリリースされる度に上位にランクインしていた。テクノブームは早くも失速していたが、YMOの細野晴臣によって書かれたイモ欽トリオ「ハイスクール・ララバイ」はテクノ歌謡とでもいうべき楽曲で、オリコン週間シングルランキングで1位に輝いた。他には寺尾聰「ルビーの指環」が大ヒットしたり。大滝詠一「A LONG VACATION」がよく売れたり、田中康夫「なんとなく、クリスタル」がベストセラーになったり、「ベストヒットUSA」の放送が開始されたり、「FM STATION」が創刊されたりもした。

イギリスではシンセ・ポップがメインストリーム化してきていたのだが、アメリカではいわゆる産業ロックやカントリーなどがひじょうに売れていて、それぞれかなりの違いがあった。この年の夏にアメリカで開局したMTVが近いうちにこの違いを少なくしていくのだが、それまではもう少し待たなければならなかった。というような年にアメリカやイギリスでリリースされたポップ・ソングの中から、特に重要だと思われる20曲を選んでいきたい。

20. Pull Up To The Bumper – Grace Jones

「NME」で年間ベスト・アルバムに選ばれた「ナイトクラビング」からシングル・カットされ、全英シングル・チャートで最12位を記録した。モデルでもあるグレイス・ジョーンズの姿は、日本の広告などでも見ることができ、いわゆる最先端人間的な人たちにひじょうに人気があったような印象がある。実際にとてもカッコいい音楽ではある。

19. It Must Be Love – Madness

スカ・リバイバルのシーンから登場し、国民的人気グループとなったマッドネスのヒット曲の1つで、全英シングル・チャートで最高4位を記録した。イギリスのシンガー・ソングライター、ラビ・シフレの曲のカバーである。コミカルなキャラクターにも人気があり、日本でも自動車のテレビCMに出演し、わりと知られていたような気がする。

18. Mama Used To Say – Junior

イギリスのR&Bアーティスト、ジュニアのデビュー・シングルで、全英シングル・チャートで最高7位であった。とにかくとてもカッコよい曲であり、ディスコでもよくかかっていた、と夜遊びをしていた病院の娘がいっていた。

17. Pretty In Pink – Psychedelic Furs

1986年に映画「プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角」のサウンドトラックに収録されたのとは、別のバージョンである。スティーヴ・リリーホワイトがプロデュースしたキャッチーなニュー・ウェイヴで、全英シングル・チャートではこの時には最高43位であった(1986年のバージョンは最高18位であった)。

16. Chant No.1 (I Don’t Need This Pressure On) – Spandau Baret

1983年に第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの流れに乗って、「トゥルー」をヒットさせたりもしたスパンダー・バレエだが、この頃はファンカラティーナ的な音楽をやっていて、ご陽気でとても良い。全英シングル・チャートでは、最高3位のヒットを記録した。

15. I Can’t Go For That (No Can Do) – Daryl Hall & John Oates

アメリカでヒット曲を連発していたポップ・デュオ、ダリル・ホール&ジョン・オーツのアルバム「プライベート・アイズ」からシングル・カットされた、それまでとは少し毛色が違う楽曲である。都会的で洗練されたブルー・アイド・ソウルで、後にデ・ラ・ソウルにサンプリングされたりもする。全米シングル・チャートで10週連続1位だったオリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカルの記録をストップさせた曲としても知られる。

14. Just Can’t Get Enough – Depeche Mode

この年の全英シングル・チャートでは、シンセ・ポップがどんどん上位にも入るようになっていたのだが、この曲も最高8位を記録している。キュートなシンセ・サウンドとニュー・ウェイヴ的なボーカルとがとてもマッチしていて、新しい時代のポップスだと思わされた。

13. Favourite Shirts (Boy Meets Girl) – Haircit 100

ヘアカット100のデビュー・シングルで、全英シングル・チャートで最高4位を記録した。「フェイバリット・シャツ(好き好きシャーツ)」という邦題がつけられたりもして、そのクールでキュートでスタイリッシュな感じは日本のニュー・ウェイヴ少女にも人気があった。同じクラスの遊んでいる女子からこの曲も収録したデビュー・アルバム「ペリカン・ウェスト」を買って貸すように強要されたのだが、無視してマイケル・マクドナルド「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」を買ったのは良い思い出(なのか?)。フリッパーズ・ギターもカバーしたり、渡辺満里奈に提供した曲のタイトルに引用したり、バンド名を曲名にしたりしていた。

12. Genius Of Love – Tom Tom Club

トーキング・ヘッズのメンバーであったティナ・ウェイマスとクリス・フランツによるユニットで、ミニマルなダンス・ポップがユニークでとても良かった。日本ではこの前のシングル「おしゃべり魔女」の方が人気があり、旭川の公立中学校に通う優等生のI君までもがレコードを買っていた。この曲は1990年代にマライア・キャリーの「ファンタジー」でもサンプリングされていた。また、米米クラブのバンド名はこのユニットからヒントを得たものである。

11. This Is Radio Clash – The Clash

パンク・ロック・バンドとしてスタートしたのだが、音楽性はどんどん広く深くなっていったザ・クラッシュのシングルで、全英シングル・チャートで最高48位を記録した。つまり、それほど大ヒットというわけでもないのだが、ヒップホップの要素をロックバンドとしてはひじょうに早くも取り入れていたりもして、とてもカッコいい。

10. Start Me Up – The Rolling Stones

パンク/ニュー・ウェイヴ的な感覚がカッコいいとされていた時代で、オールドスタイルなロックは遅れているとも見なされがちだったのだが、ローリング・ストーンズのアルバム「刺青の男」にはガツンと打ちのめされた(個人的に実際にはこれが初めてのローリング・ストーンズ体験であり、最初はよく分からなかったのだがどんどん好きになっていった)。先行シングルであるこの曲は全米シングル・チャートで最高2位を記録し、その後、ライブでもひじょうに重要な曲の1つとなった。

9. Bette Davis Eyes – Kim Carnes

邦題は「ベティ・デイビスの瞳」で、カントリー的な楽曲などを歌っていたキム・カーンズのハスキーなボーカルがニュー・ウェイヴ的ともいえるサウンドにハマり、全米シングル・チャートで通算9週間1位を記録する大ヒットとなった。

8. Our Lips Are Sealed – The Go-Go’s

デビュー・アルバム「ビューティ・アンド・ザ・ビート」が全米アルバム・チャートで1位に輝いた元気があってとても良いガールズ・ロック・バンド、ゴーゴーズがザ・スペシャルズ/ファン・ボーイ・スリーのテリー・ホールと共作したとても良い曲。全米シングル・チャートでの最高位は20位であった。後にソロ・アーティストとしても成功するベリンダ・カーライルも初々しくてかなり良い。

7. In The Air Tonight – Phil Collins

ジェネシスのドラマー、フィル・コリンズのソロ・デビュー・アルバム「夜の囁き」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。静かにはじまって、途中でエネルギッシュで激しいドラムを聴くことができるところなどが特にとても良い。

6. Under Pressure – Queen & David Bowie

クイーンとデヴィッド・ボウイが競演した曲として話題になった。当時、コラボレーションという言葉を少なくとも日本人は使っていなかったような気がする。全英シングル・チャートでは1位に輝いたのに対し、全米シングル・チャートでは最高29位と落差があった。この頃にリリースされたクイーン「グレイテスト・ヒッツ」のアメリカ盤や日本盤にはこの曲が収録されていたのだが、イギリス盤には入っていなかった。後にヴァニラ・アイス「アイス・アイス・ベイビー」がサンプリングされていると思ったが、実は無許可で勝手に使っていたらしく、もちろん訴訟を起こされ敗訴していた。

5. Edge Of Seventeen – Stevie Nicks

フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスがリリースしたソロ・アルバム「麗しのベラ・ドンナ」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高11位を記録した。2003年の映画「スクール・オブ・ロック」では堅物だと思われた女性教師がこの曲を聴いて若かりし頃を思い出しエキサイトしたり、2020年にリリースされたマイリー・サイラスの楽曲にその影響が感じられたりもしている上に、フリートウッド・マックの「ドリームス」がTikTokをきっかけにリバイバルしたりと、なんとなく時代がスティーヴィー・ニックス的なものを求めているような気がしないでもない。

4. Don’t Stop Believin’ – Journey

この年のアメリカでは、REOスピードワゴン「禁じられた夜」、スティクス「パラダイス・シアター」、ジャーニー「エスケイプ」、フォリナー「4」といった、いわゆる産業ロックのアルバムがひじょうによく売れていた。パンク/ニュー・ウェイヴ的な価値観からすると、まったくカッコよくはないこれらのロックだが、とはいえやはり抗えない魅力というのはあるものであり、ギルティー・プレジャー的に楽しんでもいた。しかし、アメリカのテレビドラマ「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」のラストシーンでこの曲が流れるのを聴いて、やはり最高なのではないかと感じたのであった。スティーヴ・ペリーの暑苦しいボーカルも、これはこれで良いものである。当時の全米シングル・チャートでの最高位は9位であった。

3. Tainted Love – Soft Cell

収録アルバムのタイトルが「ノンストップ・エロティック・キャバレー」と、怪しげな感じでとても良い。この年に全英シングル・チャートで1位に輝いたが、翌年にはアメリカでもロングヒットとなって、全米シングル・チャートでは最高8位を記録している。オリジナルはグロリア・ジョーンズだが、ソフト・セルによるカバー・バージョンの方がずっと有名である。

2. Ghost Town – The Specials

スカ・リバイバルの中心的なバンドであったザ・スペシャルズが、当時のイギリスの暗い社会情勢をテーマにした曲であり、全英シングル・チャートで1位に輝いた。歌詞や歌だけではなく、サウンド全体にどことなく不穏な感じがしっかりと表れているところがとても良い。しかも、これが1位になったというのもなかなかすごいことのように思える。

1. Don’t You Want Me – The Human League

この年に全英シングル・チャートで1位に輝き、翌年の夏には全米シングル・チャートでもポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー「エボニー・アンド・アイボリー」を抜いて1位になった。当時、アメリカのシングル・チャート上位にこのようなシンセ・ポップはあまりランクインしていなかったので、とても不思議な感じがした。

ギターではなくシンセサイザーが主体のサウンドで、とても新しい感じではあるのだが、歌われている内容がまるで演歌のような男女の色恋デュエットというのもなかなか乙なものであった。そして、「ベストヒットUSA」で初めて見たミュージックビデオには、なんとなく湿っていて暗い印象を受けたのだが、そこにまだ知らぬ良さを感じたりもした。

1981年にアメリカで開局したMTVはやがてブームになっていくのだが、そこでは以前から映像に力を入れる傾向があった、イギリスのシンセ・ポップやニュー・ウェイヴのバンドやアーティストによるビデオがよく流れていて、それらがいずれ全米シングル・チャートにも影響をあたえていったともいわれる。これがいわゆる第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン(第1次はビートルズやローリング・ストーンズが活躍した1960年代である)といわれるようになり、デュラン・デュランやカルチャー・クラブなどがアメリカでもブレイクする。一方、やはりミュージックビデオに力を入れたアメリカのアーティスト、マイケル・ジャクソンなどがイギリスでもアメリカと変わらないぐらい売れるようになったりもして、アメリカとイギリスのヒット・チャートには次第に同じようなアーティストの曲がランクインするようになっていったような気がする。