1983年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト20

1983年のポップ・ミュージックといえば、MTVの影響などによってアメリカで第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンが本格的に盛り上がりを見せたりして、アメリカとイギリスとでヒットする音楽の違いがそれほどなくなっていったような印象を受ける。この年にリリースされたポップ・ソングの中から、特に重要だと思われる20曲を選んでいきたい。

20. Uptown Girl – Billy Joel

アルバム「イノセント・マン」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高3位、全英シングル・チャートでは初の1位に輝いた。

ビリー・ジョエルのこの前のアルバム「ナイロン・カーテン」はわりとシリアスな内容であり、当時のビリー・ジョエルにしてはセールスがいま一つ伸びなかった。それから1年も経たないうちにリリースされたのが「イノセント・マン」であり、このアルバムではビリー・ジョエルが慣れ親しんだモータウンやドゥー・ワップなどからの影響が感じられる、エンターテインメントに徹した内容になっていた。これが大ヒットしたことからも、当時の大衆がビリー・ジョエルに求めていた音楽というのは、こういったタイプのものだったのだろうということが推測できる。

アメリカでは「あの娘にアタック」が全米シングル・チャートで1位に輝いたが、イギリスでは貧しい青年が裕福な女性に恋をするという内容の「アップタウン・ガール」の方がヒットした。ミュージックビデオに出演しているモデルのクリスティ・ブリンクリーは後にビリー・ジョエルと結婚し、離婚することになる。

19. (Keep Feeling) Fascination – The Human League

1981年にリリースされたシングル「愛の残り火」は全英シングル・チャートで1位になった翌年、アメリカでもヒットして、ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー「エボニー・アンド・アイボリー」にかわって、全米シングル・チャートでも1位に輝いた。当時、全米シングル・チャートにおいてシンセ・ポップはまだ珍しかったのだが、その後に増えていったような気がする。

このシングルもシンセサイザーを主体としたサウンドでひじょうに新しさが感じられたのだが、男女ボーカルの掛け合いも含め、よりポップでキャッチーな楽曲となっている。全英シングル・チャートで最高2位、全米シングル・チャートでも最高8位のヒットを記録した。

18. Burning Down The House – Talking Heads

アルバム「スピーキング・イン・タンズ」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高9位を記録した。メンバーのクリス・フランツがマディソン・スクエア・ガーデンで行われたパーラメント/ファンカデリックのライブに行って深い感銘を受けたらしく、その影響があらわれた楽曲となっている。

17. Borderline – Madonna

マドンナのデビュー・アルバム「バーニング・アップ(原題:Madonna)からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高10位を記録した。これがマドンナにとって初の全米トップ10シングルである。ミュージックビデオにはまだ大スターになる前のマドンナの姿が記録されている。

16. The Lovecats – The Cure

全英シングル・チャートで最高7位を記録し、ザ・キュアーにとって初のトップ10ヒットとなった曲である。イギリスのインディー・ロックといえば基本的に暗いものである、というような認識がうっすらとあったのだが、それと独特なポップ感覚のバランスが絶妙であり、ジャズ的な要素も感じられるアレンジもユニークで楽しい。

15. Radio Free Europe – R.E.M.

1981年にすでにリリースされていた曲を、デビュー・アルバム「マーマー」のために再レコーディングしたバージョンである。ポスト・パンク的なバンドでありながらフォーク・ロックなどからの影響も感じられるサウンドは当時のメインストリームのトレンドとはまったく関係がなかったが、「ローリング・ストーン」誌でマイケル・ジャクソン「スリラー」を抑えて年間ベスト・アルバムに選ばれるなど、注目はひじょうにされていた。アメリカ人でも何を歌っているのかはっきりとは分からないという、マイケル・スタイプのボーカルも特徴的であった。全米シングル・チャートでの最高位は78位とそれほど高くはないのだが、当時のこのタイプの楽曲としてはランクインすること自体がすごいことだったようだ。

14. Oblivious – Aztec Camera

ネオ・アコースティックというサブジャンル名は日本人にしか通じないという話を聞いたりもするのだが、その代表作といわれているのがアズテック・カメラのデビュー・アルバム「ハイ・ランド、ハード・レイン」で、この曲はその1曲目に収録されている。最初にシングルでリリースされた時の全英シングル・チャートでの最高位は47位だったが、その後で再発されて最高18位を記録した。邦題は「思い出のサニー・ビート」である。

中心メンバーのロディ・フレイムが、当時まだ10代の美少年であることも話題になっていた。シンセ・サウンドが全盛の時代に、このアコースティックなサウンドがむしろ新鮮であり、日本ではファッショナブルな音楽としても聴かれていたような記憶がある。

13. Sweet Dreams (Are Made Of This) – Eurythmics

第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンによって、全米シングル・チャートにはイギリスの新しいバンドやアーティストが次々とランクインしていたのだが、ユーリズミックスはシンセ・サウンドとソウルフルなボーカルとの組み合わせ、ビデオで見られるボーカリスト、アニー・レノックスのユニセックス的なイメージなどがひじょうに印象的であった。全英シングル・チャートで最高2位、全米シングル・チャートでは1位に輝いていた。

12. Holiday – Madonna

マドンナのデビュー・アルバム「バーニング・アップ(邦題:Madonna)からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高16位を記録した。これがマドンナにとってメインストリームでの初めてのヒット曲であり、ここから歴史が動いていくのであった。休暇という人生においてひじょうに重要かつ素晴らしいテーマを扱った、ご機嫌なダンス・ポップである。

11. Sunday Bloody Sunday – U2

U2の初期を代表する素晴らしいアルバム「闘(WAR)」の1曲目に収録された曲である。北アイルランドでデモ行進中であった市民たちがイギリス陸軍に銃撃され、死傷した血の日曜日事件をテーマにした、政治的メッセージが強めの楽曲でもあり、ライブでもよく演奏される。

10. All Night Long (All Night) – Lionel Richie

元コモドアーズのライオネル・リッチーはソロ・アーティストとしても大成功し、ヒット曲を連発していた。バラードのイメージがなんとなく強いのだが、2作目のソロ・アルバム「オール・ナイト・ロング」からの先行シングルであるこの曲はアップテンポでカリビアンなフレイバーも感じられる素晴らしいダンス・ポップである。全米シングル・チャートで1位に輝いた。

9. Relax – Frankie Goes To Hollywood

トレヴァー・ホーンと妻のジル・シンクレア、「NME」のジャーナリストであったポール・モーリーによって設立されたZTTレコーズからリリースされたリバプール出身のバンド、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのデビュー・シングルである。ゲイ・セックスを連想させる内容から放送禁止になったりもするが、それが話題になってセールスを押し上げることになった。全英シングル・チャートで1位に輝いたほか、バンドの存在そのものが社会現象的に注目されたりもして、その後のシングルやアルバム、Tシャツなどもたくさん売れることになった。

8. New Year’s Day – U2

U2のアルバム「闘(WAR)」からの先行シングルで、全英シングル・チャートで最高10位を記録した。クリスマスのことを歌った曲はたくさんあるのだが、元旦についてとなるとそれほど多くないような気がする。とはいえ、この曲がテーマにしているのは、ポーランドの独立自主管理労働会だという。軽薄なムードの80年代にあって、とても真面目そうなロック・バンドというような印象であった。

7. White Lines (Don’t Don’t Do It) Grandmaster & Melle Mel

グランドマスター・フラッシュ&ネリー・メルの楽曲として当時はリリースされたが、実際にはグランドマスター・フラッシュはかかわっていなく、現在ではメリーメルの曲ということになっているようだ。タイトルからも想像ができる、反ドラッグをテーマにした楽曲である。全英シングル・チャートでは最高7位を記録している。後にデュラン・デュランがカバーしていた。

6. Girls Just Want To Have Fun – Cyndi Lauper

当初、「ハイスクールはダンステリア」という邦題がつけられていたのだが、シンディ・ローパー自身からの抗議があり、現在は原題をカタカナ表記しただけの邦題となっている。元気ハツラツに歌われるユニークなボーカルも印象的なガールズ・アンセムであり、全米シングル・チャートでは最高2位を記録した。

5. Jump – Van Halen

1984年のヒット曲という印象が強く、収録アルバムのタイトルまで「1984」だったのだが、発売されたのは1983年の暮れで、あくまで発売日を基準に振り分けをしているので、1983年のポップ・ソングとして取り上げることになった。それで、ヴァン・ヘイレンといえばハード・ロック・バンドで、エドワード・ヴァン・ヘイレンはギターヒーローである。にもかかわらず、キーボードを弾いて、その演奏が大々的にフィーチャーされている。もちろんギターソロもあるのだが、デヴィッド・リー・ロスのワイルドなボーカルとも相まって、ポップスのレコードとしてひじょうにクオリティーが高いものになっている。全米シングル・チャートでは1位に輝いてもいる。

4. Let’s Dance – David Bowie

1970年代には変幻自在なイメージでポップ・ミュージック史に残る数々の名盤、名曲を生み出してきたデヴィッド・ボウイだが、1983年のアルバム「レッツ・ダンス」ではシックのナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、ダンス・オリエンティッドなポップスでエンターテインメントに徹しているようである。タイトルトラックであり先行シングルでもあるこの曲は、アメリカやイギリスをはじめ多くの国々のシングル・チャートで1位に輝いた。

3. Every Breath You Take – The Police

ニュー・ウェイヴ・バンドとしてひじょうに人気があったポリスの5作目のアルバム「シンクロニシティー」は、心理学者、カール・ユングの学説をテーマにしたりもしている、知的で大人の雰囲気が感じられ、80年代ロックの1つの到達点ともいえるようなレコードとして評価されていたような気がする。

「見つめていたい」の邦題でも知られるこの曲は先行シングルとしてリリースされ、アメリカやイギリスのシングル・チャートで1位に輝いた。純粋なラヴ・ソングとしても解釈されがちだったが、偏執的な歪んだ愛情をテーマにしているということが作詞・作曲者のスティング自身によって明らかにされている。

2. Blue Monday – New Order

インディー・ロックとダンス・ミュージックの融合といえばこの曲、というぐらいにとても重要で画期的な楽曲である。全英シングル・チャートで最高9位、インディー・チャートでは1位を記録したのみならず、186週間にもわたってランクインし続けた。当時、一般的にはまだそれほどポピュラーではなかった12インチ・シングルで発売されてものすごく売れたり、アートワークに凝りすぎていたため、売れば売るほど赤字になる、というような話題もあった。

1. This Charming Man – The Smiths

マンチェスター出身のインディー・ロック・バンド、ザ・スミスの2作目のシングルで、最高25位(1992年に再発され、最高8位)を記録している。モリッシーのユニークな歌詞とボーカル、様々な音楽から影響を受けたジョニー・マーの楽曲とギター、アンディ・ルーク、マイク・ジョイスのリズム隊の演奏力もひじょうに高く、インディー・ロック・ファンから熱烈に支持されるようになった。花束を振り回し、くねくねと踊りながら歌うモリッシーの存在はロックのステレオタイプとしてのマッチョイズムから自由で、そこがひじょうに魅力的でもあった。