90年代のつつじヶ丘や柴崎が登場する小泉今日子・緒方直人主演のテレビドラマ「愛するということ」を33年ぶりに見た。

flat screen monitor showing color bars 1990s
Photo by Tim Mossholder on Pexels.com

先日、U-NEXTで視聴できる70年代から90年代ぐらいにかけての日本のテレビドラマにはどんなものがあるのだろうと、適当に探していたところ、なんと1993年の1月から3月にかけてTBS系で放送されていた「愛するということ」を見つけてしまった。

この頃の日本のテレビドラマには珍しく、私は当時このドラマをリアルタイムで視聴していて、わりと印象深かったものの一つとしても覚えていた。それは、このドラマに当時、私が住んでいた東京都調布市のつつじヶ丘や柴崎といった辺りの風景がよく登場していたからに他ならない。渋谷や新宿などと比較して、つつじヶ丘や柴崎がテレビドラマに登場する機会は当然とても少ない。

あと、どうして当時、珍しく私がこのドラマをリアルタイムで視聴していたかというと、放送されていた曜日のこの時間帯がたまたま暇だったからなのではないかと思う。ちなみに金曜日の21時である。そして、22時からは日本テレビ系で真田広之と桜井幸子が主演した「高校教師」が放送されていて、続けてこれも見ていたはずである。

「高校教師」の方は教師と教え子の恋愛という禁断的なテーマも相まって、世間一般的にわりと話題になっていたような気がするし、テーマソングとして使用されていた森田童子「ぼくたちの失敗」もヒットしたはずである。

それに対し、「愛するということ」はそれほど話題になっていなかったような気もするのだが、記憶がそれほど定かではない。主題歌は小泉今日子「優しい雨」でいつもドラマのエンディングが近くなるととても良いところで流れはじめていた。この曲はオリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットを記録したのだが、ドラマの話題性というよりは小泉今日子のアーティストパワーによる結果だったような気もする。

リアルタイムで視聴して以降、かなりの年月が経っていたわけだが、このドラマを見返すような機会は訪れなかった。しかし、記憶の中にはずっとあって、もしも機会があるなら見返してみたいとは思っていたはずである。そして、その時が訪れた。それにしても、どうしてこのドラマがU-NEXTで視聴できることをいままで知らなかったのだろうと、少し調べてみたところ、配信開始が2026年6月とわりと最近だったことも知ることになる。

それで、軽い気持ちで見てみたわけだが、つつじヶ丘駅や柴崎駅はよく映っているし、西新宿あたりの景色もかなり懐かしいし、スマートフォンはもちろん携帯電話ですら普及していなかった頃のロマンスというのは確かにこんな感じだったとか、他にも刺さりまくるところが多々あり、なかなか充実した視聴体験であった。

それにしても、緒形直人が演じる主人公の森山良介は小泉今日子が演じるヒロインの月村智美に一目惚れするのだが、その後、「好き」という強い気持ちだけを根拠にいろいろと強引に押しまくるのだが、現在であればストーカー規制や個人情報保護の観点などから一般的にアウトと見なされる行動や事象のオンパレードであり、当時はこれが純愛であるかのように美化されるところも確かにあったな、などと思い返される。

これはやはり一体どうなのだろうか、とは思いつつも大好きでいまだに夏が来る度に見返してしまう1990年の映画「バタアシ金魚」にも共通するところだろう。

このドラマに携帯電話はもちろんポケベルやPHSなども一切登場していなく、コミュニケーションツールといえ自宅やオフィスに設置された固定電話のみである。今日の環境から見るとじつに不便なのだが、それゆえに想像力が入り込む余地がありまくり、ドラマティックが加速するという側面もあったのだろう。

とはいえ、携帯端末によるコミュニケーションが常態化するのはじつはほんの数年先だったのではないかというようなところがあり、そういった寸止め間とでもいうような感覚もなかなか良いものである。

ちなみにポケベルことポケットベルなる携帯通信機器が重要な役割を果たすテレビドラマ「ポケベルが鳴らなくて」は、「愛するということ」の放送が終了したわずか4ヶ月後にはすでに放送されていて、PHSのサービス開始はこの2年後にあたる1995年である。しかし、「愛するということ」のドラマ中にはそんな予感のかけらもない。

また、1980年代後半から1990年代にかけて放送された、人気若手俳優をメインキャストとするテレビドラマはバブル景気という時代背景ともあいまって、トレンディドラマなどとも呼ばれがちなのだが、「愛するということ」については、小泉今日子や緒形直人といった当時の人気若手俳優をメインキャストに起用しているにもかかわらず、トレンディドラマ的な気分がほとんど感じられない。浮ついていなく、より本質的な何物かを志向しているようなところも感じられる。

この頃、バブル景気は実質的にもうすでに終わっていて、一般庶民にもその感覚はうっすらと浸透しつつあったような気はしないでもない。この頃、私は卒業するために取得しなければならない単位のためにたまには、田中康夫「なんとなく、クリスタル」の主人公が通っていたのと同じ渋谷区の大学に顔を出し、週に5〜6日は六本木WAVEなる「音と映像の新しい空間」で22時すぎぐらいまで働いていた。「愛するということ」の最終回寸前あたりで辞めたのだけれども。

売場のカウンターに置いてあったバブルガム・ブラザーズのスタンディPOPが何かの拍子で倒れて、それを見て女性社員が「バブルの崩壊」などと言っていたのを明確に覚えているので、そういったフレーズはわりと普及していたのだろう。それと、仕事が終わってから中目黒にもつ鍋を食べにいったのだが、それは少しブームになっていて、不景気に安くて美味しくて健康的なのがとてもありがたい、などといわれていたような気もする。

1993年の年末にはピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時」が「待ち合わせたレストランは もうつぶれてなかった」と不景気をマイルドに匂わせ、大ヒットした広瀬香美「ロマンスの神様」は「週休二日 しかもフレックス 相手はそこにでもいるんだから 今夜飲み会 期待している 友達の友達に」と盛り上がっている。

「愛するということ」において、小泉今日子が演じる月村智美は製薬会社でOL(オフィスレディ)なのだが、見事にコピー取りや弁当の買い出しといった雑用しかさせられていない。というか、このドラマに登場するオフィスの環境の雰囲気では、女性社員が管理職であるような状況の予感のかけらすら感じさせない。ここにも時代の移り変わりを感じさせられる。

それだけに、実は渋谷区や世田谷区にも住んだ後に、結局、5年程前からまた舞い戻って最寄り駅となっている京王線柴崎駅の当時との変わらなさぶりには目眩に似たものを感じずにはいられない。また、つつじヶ丘駅はその間に高架化されたり駅舎も大胆にリニューアルされたのだが、それ以前の状況がヴィヴィッドに記録された超貴重映像でもあるので、わりと愛着のある地元民の皆様にはぜひ見つかってほしいものである。

小泉今日子が演じるヒロイン、月村智美の同僚を演じていたのが伊藤かずえであったことは、おそらく当時は認識していたものと思われるが、もうすっかり忘れていた。そして、妹を演じていたのが若かりし日の島崎和歌子であったことは今回、初めて認識した。

あと、小泉今日子が演じるヒロイン、月村智美が緒形直人が演じる主人公、森山良介と電車で甲府に行く途中に、ヘッドフォンスレテオで聴いている音楽がエヴリシング・バット・ザ・ガールだという点も味わい深くてとても良い。

つつじヶ丘や柴崎がたくさん出てくるこのドラマは、最終的に福岡県の小倉市でエンディングを迎えるわけだが、今回、見返して現在の感覚からするとやや荒唐無稽なところもあってどうなのだろうと感じたりしながらも、自室にて視聴しながら号泣していたわけである。これはおそらく加齢にによる症状、というか半ば障害である。

当時、このエンディングというか最終回付近まで見ていたかどうか記憶が定かではない。というか、こういう結末になっていたことをほとんど覚えていなかった。そして、福岡県の小倉が出てきたところで、そんな土地には縁もゆかりもないし、何の思い入れも持てなかったことだろう。

ところが、この翌年に私はドラマの中で緒形直人が演じる主人公、森山良介が住んでいる会社の寮がある下北沢に行くために、京王線で乗り換える明大前にあったとある広告代理店に就職し、そこで北九州市出身の女性と出会い、彼女と結婚することになり、行く行くは両親への挨拶のために生まれて初めて小倉を訪れるのである。

当時の下北沢の街も少しだけ映る場面があるのだが、そこもとても良かった。この文章を読んで何か少しでも感じることがあった方々には、ぜひ視聴をおすすめしたい1993年放送のテレビドラマ「愛するということ」の話であった。

「愛するということ」U-NEXTページリンク

タイトルとURLをコピーしました