ビートルズ「リボルバー」について。
発売時にリアルタイムで聴いていた音楽の場合、その季節であったり個人的な思い出などと記憶が結びついている場合も多いのだが、ビートルズの「リボルバー」がイギリスで発売されたという1966年8月5日の時点で私は生まれてさえいないので、もちろん当時の記憶というのは一切ない。なるほど、真夏に発売されたのか、などと思うのが精一杯である。日本での発売は10月5日ということなので、間に2ヶ月間もあったことになる。
ビートルズで1966年というと、6月末から7月初めにかけて来日公演があったことが思い出される。その時点での最新シングルは「ペーパーバック・ライター」だったが、「リボルバー」には収録されていない。加山雄三「お嫁においで」などは、この頃のヒット曲だったようである。一方、イギリスではロンドンが世界の流行の中心のような感じでひじょうに注目されていて、さらにサッカーのワールドカップが開催され、しかもイングランドが優勝ということでとても盛り上がっていたということである。そして、「リボルバー」はそんな夏のサウンドトラックとして記憶されてもいるのだという。
イギリスから2ヶ月遅れて「リボルバー」が発売されたらしい日本でちょうどそれぐらいの時期に生まれたことになっている私だが、どのタイミングでビートルズの存在を知ったのかはいまとなっては定かではない。ちなみに、「リボルバー」がイギリスで発売される約3ヶ月前に日本ではテレビ番組「笑点」が放送を開始する。この番組のタイトルは旭川出身の作家、三浦綾子の小説「氷点」を原作とするテレビドラマをもじったものだといわれているのだが、それはそうとして、この「笑点」の「ちびっ子大喜利」に出演していたメンバーによって結成されたグループがずうとるびで、ネーミングはビートルズのパロディーだったと思われる。
70年代の半ばあたりにずうとるびはよくテレビや子供向けの雑誌などにも登場していて、大人気であった。そのメンバーの一人が、後に「笑点」で座布団を運ぶ役で出演することになる山田隆夫であった。「リボルバー」が発売されたぐらいの年代に生まれた日本人の中には、この時点ではビートルズよりも、むしろずうとるびに馴染みがあった人達の方が圧倒的に多かったのではないだろうか。
スチャダラパーがデビューしたりして、日本でも少しずつラップが知られつつあったが、まだまだであった90年代の初め、深夜のテレビで素人がラップを披露するというコーナーがあった。「言いたいことは、ラップでYeah(言え)~」というような紹介があったような気もするが、すべてにおいて現在よりもレベルはまったく低く、そもそもラップが何なのかもよく理解されていない上に、半ば冗談のような感じで取り上げられていたような気もする。これに現在の私の妻の友人が出演したことがあり、その回のテーマが「ビートルズ」であった。そして、彼女は「ビートルズはずうとるびで、山田隆夫はジョン・レノン」というラップのようなものを披露し、なんとそれがテレビでも流れたのである。
それはまあ余談なのだが、私の場合は初めて買った洋楽のレコードがポール・マッカートニーの「カミング・アップ」だったり、その年の冬に中学校から帰ってテレビをつけるとジョン・レノンが射殺されたことが報じられたりしていた。その時点で、ビートルズはまだちゃんと聴いていなかった。学習用の英語のカセットテープに、よく知らない人が歌っている「レット・イット・ビー」が収録されていたが、あまりロックな印象は受けなかった。あと、学校にビートルズを聴いている男子がいたのだが、クラシック音楽に比べ、ポピュラー音楽、特にロックやディスコ・ミュージックなどに聴く価値はまったくなく、アイドル歌謡などはゴミ同然、ただしビートルズだけは認める、というような感じで、もちろんまったくモテてはいなかった。それで、ビートルズというのはそういうモテないタイプの人が聴くような音楽なのだ、というどうしようもない偏見を持っていたものである。
ビートルズと同時代に活動をはじめたといわれ、それ以降も解散せずにずっと活動を続けているローリング・ストーンズには不良のイメージが強く、もちろんそっちの方が聴いているとモテそうだったので、当時はすっかりビートルズよりもローリング・ストーンズ派という設定で生活をすることに決めていた。それでも初期の有名な曲がたくさん入った「1962年~1966年」のレコードは確か旭川のミュージックショップ国原で買った後、兄弟で神楽の祖母の家に行くことになっていたのだが、バスを変なところで降りてしまい、道に迷って吹雪の川沿いを妹とずっと歩いていたことが思い出される。
1987年にビートルズのアルバムがついにCD化されるということで、かなり盛り上がっていたような気がする。その第1弾として、まずは最初のオリジナルアルバム4枚がリリースされたので、これを機会にビートルズをちゃんと聴いてみようと思い、全部買った。それでそこそこ気に入っていたのだが、やはり他に買いたいCDやレコードもたくさんあったので、すぐに挫折した。それから、ポピュラー音楽史上最も重要なアルバムともいわれる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が初CD化された時にはちゃんと買ったのだが、ブックレットのようなものに気合いが入りすぎていてジャケットが分厚く、収納しにくいなと思った。あと、なんだか牧歌的なリズムの曲が多いようにも感じられ、それほどハマらなかった。その次にホワイト・アルバムこと「ザ・ビートルズ」の2枚組を買ったが、これはいろいろなタイプの曲が入っていてとても良いと思った。
それで、「リボルバー」とか「ラバー・ソウル」とかこの辺りのアルバムを買ったのはおそらく1989年の夏ぐらいで、ローソン調布柴崎店のアルバイトの給料がわりとたくさん入ってきていたので、それで少しでもほしいCDや本を手当たり次第に買っていた時期である。当時といえばパブリック・エナミーなどがバリバリに好きな時期なので、それほどビートルズにハマるというわけではなかったのだが、当時、最もすごいと思っていた岡村靖幸がプリンス、ビートルズ、松田聖子に影響を受けたと言っていて、プリンスと松田聖子は大好きだったのだが、ビートルズはよく知らなかったのでいろいろ買ってみた、というところもあったのかもしれない。
ビートルズの最高傑作は「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ」だとされている時期がひじょうに長かったような気もするが、いつの間にかそれが「リボルバー」になっているように感じられた時もあり、現在はどれなのかよく分からない。
当時、最もポピュラーなバンドでありながらひじょうに実験的なことをやっていた、というところがすごかったようにいわれている。ビートルズのファンはアイドルを応援するタイプの女性の方が多かったらしいのだが、このアルバムあたりを境に、より音楽マニア的な男性が増えていったともされているようだ。「リボルバー」をリリースした後にビートルズはツアーを行い、アメリカではジョン・レノンのいまやビートルズはジーザスよりもポピュラーだというような発言があり、これが問題視されたりされなかったりというしょうもないことが、やはり当時も起こっていたことが分かる。結局のところ、このツアーがビートルズにとっては最後となるのだが、「リボルバー」収録曲はまったく演奏されなかったという。
シングルは「エリナー・リグビー」と「イエロー・サブマリン」の両A面がアルバムと同時に発売されたようだ。「イエロー・サブマリン」はノベルティーソング的な楽曲で、大滝詠一が編曲した金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」などというのもあったが、私がこの曲を初めて知ったのは「クイズ・ドレミファドン!」で「逆さ歌クイズ」という、出題者がある曲をテープ逆回転の要領で歌い、何の曲か当てるというコーナーがあり、そこでずうとるびが歌うのでだったような気がする。
ザ・ジャムの全英NO.1シングル「スタート!」は、おそらく「リボルバー」の1曲目に収録された「タックスマン」にも影響を受けてもいると思うのだが、私は「スタート!」の方をずっと先に聴いていたので、「タックスマン」を聴いて、なんだかよく似たフレーズが主体となっているな、と感じた。「エリナー・リグビー」は以前に買ったベスト盤にも入っていて知っていたのだが、こういうクラシック音楽の要素が感じられるタイプの曲がビートルズには結構、多いなと感じた。あとは当時、東洋思想がヒップだとされていたようなところがあり、その影響でシタールなどの楽器が入り、なんとなく東洋風というかオリエンタルなムードが感じられる曲が多いのも特徴である。
最後から2曲目に収録された「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」は後にアース・ウィンド・アンド・ファイアーなどによってもカバーされるが、ポール・マッカートニーがスティーヴィー・ワンダーのライブにインスパイアされて書いた、などともいわれているようだ。ちなみに、「グッド・デイ・サンシャイン」はラヴィン・スプーンフル「デイドリーム」、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」はビーチ・ボーイズ「神のみぞ知る」にインスパイアされたとされてもいるようだ。このようにコンテンポラリーな同業者であるアーティスト達、しかもポピュラーな人達からインスパイアされ、そこからオリジナリティーに溢れた楽曲をつくっていた、というところがとても良かったのではないか、というような気もする。
それで、アルバムの最後に収録された「トゥモロー・ネバー・ノウズ」がひじょうに画期的だといわれていて、それはテープの逆回転など、当時の最新の技術を駆使することによって、とてもカッコいいサウンドをつくりあげていることによるものだという。冒頭にカモメの鳴き声のようなものが聴こえるが、これもポール・マッカートニーの声を加工したものだという。
それで、この「リボルバー」のジャケットアートワークはビートルズが人気者になる前、ハンブルクで演奏活動をしていた頃からの友人で、後にマンフレッド・マンに加入するクラウス・フォアマンによるものだという。そして、タイトルは回転式拳銃をイメージさせるが、プレイヤーの上で回る、つまりリボルブするレコードを意味してもいるのだという。直前まで「アブラカダブラ」というタイトルになりそうだったが、他のアーティストがすでに使っていた(スティーヴ・ミラー・バンドや米米クラブではもちろんない)という理由で変更されたらしい。他にタイトル案としては、「ビートルズ・オン・サファリ」「フォー・サイズ・オブ・ザ・サークル」などがあったらしいのだが、リンゴ・スターが考案した「アフター・ジオグラフィー」というのが最もくだらなくて素晴らしい。当時、ローリング・ストーンズが「アフターマス」というアルバムを出していて、「マス」といえば数学なので、それに対抗して地理を意味する「ジオグラフィー」というわけである。
通して聴いてみると、やはりバラエティーにとんでいて楽曲のクオリティーが高く、キャッチーでありながら実験性もあり、無駄のない完璧なポップ・アルバムだということがよく分かり、何度でも繰り返し聴いていられる。そして、これが真夏にリリースされたアルバムなのだと感じながら聴くことによって、また新たな楽しみ方ができるような気もするし、そうでもないような気もするのだった。
2件のコメント
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