ポール・サイモンの名曲ベスト10

「明日に架ける橋」「サウンド・オブ・サイレンス」をはじめとする数々のヒット曲をサイモン&ガーファンクルとして発表したポール・サイモンの誕生日が10月13日ということで、今回はソロ・アーティストとしての作品の中から、特に重要だと思える10曲を選んでいきたい。

10. Diamonds On The Soles Of Her Shoes (1986)

サイモン&ガーファンクルの人気は日本でもひじょうに高く、ある時代においては中高生の洋楽入門編として機能していたようなところもあるのではないだろうか。しかし、現在のポップ・ミュージック批評において、ポール・サイモンの代表作といえばサイモン&ガーファンクル時代よりも、むしろ1986年のアルバム「グレイスランド」が挙げられることの方が多いような気もする。

元来のフォーク・ロック的な音楽性にアフリカ音楽の要素を取り入れたことが画期的ではあったのだが、当時は反アパルトヘイトの立場からの南アフリカをボイコットする流れに反するのではないか、などと批判も浴びていた。しかし、結果的にはスランプに陥っていたポール・サイモンのキャリアを救ったのみならず、モダン・クラシックとしての評価を確立することになった。

南アフリカの男性コーラスグループ、レディスミス・ブラック・マンバーゾをフィーチャーしたこの曲は「グレイスランド」とは別にリリースされる予定だったのだが、「グレイスランド」のリリースが予定よりも延期されたことにより、収録されることになったのだという。

9. Mother And Child Reunion (1972)

サイモン&ガーファンクルの解散後、最初のソロ・アルバム「ポール・サイモン」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高4位を記録した。邦題は「母と子の絆」で、このタイトルは鶏肉と卵を使った中華料理店のメニューにインスパイアされたという。レゲエのリズムが用いられているのだが、これは当時のポップスとしては画期的なことだったようだ。ちなみにこの曲を収録したアルバム「ポール・サイモン」は当時、日本のオリコン週間アルバム・チャートで1位に輝き、年間ランキングでも10位にランクインしていたという。ちなみに年間ランキングでは1位と3位が天地真理、2位がよしだたくろうだったのだが、4位と5位にサイモン&ガーファンクルが入っている。

8. Late In The Evening (1980)

ワーナーに移籍して最初のアルバム「ワン・トリック・ポニー」からの先行シングルで、邦題は「追憶の夜」である。ポール・サイモンが脚本を書き、主演もした映画のサウンドトラックでもある。映画はそれほどでもなかったのだが、この曲は全米シングル・チャートで最高6位のヒットを記録した。キューバ音楽からの影響が感じられるスティーヴ・ガッドのドラム・ビートが、ひじょうに印象的な楽曲である。

7. The Obvious Child (1990)

アフリカ音楽を取り入れた「グレイスランド」が大ヒットし、高評価を得た次のアルバムは「リズム・オブ・ザ・セインツ」で、今度はブラジル音楽を取り入れている。この曲は先行シングルで大きなヒットにはならなかったが、現地でレコーディングされた地元ミュージシャンの演奏とポール・サイモンのソングライティングやボーカルが融合し、とても高い評価を受けた。

6. Me And Julio Down By The Schoolyard (1972)

アルバム「ポール・サイモン」からのシングル・カットで、邦題は「僕とフリオと校庭で」である。ブラジルの打楽器が用いられた軽快なサウンドに乗せて、子供の頃の思い出が歌われるのだが、内容はそれほど具体的ではない。それが子供の頃の思い出として、逆に真実味があるような気もする。

5. 50 Ways To Leave Your Lover (1975)

アルバム「時の流れに」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで1位に輝いたこの曲の邦題は「恋人と別れる50の方法」である。最初の妻と離婚したばかりだったポール・サイモンが、その件を洒落た感じで作品化した楽曲だとされているようだ。スティーヴ・ガッドによるドラム・ビートが印象的であり、パティ・オースティン、フィービ・スノウ、ヴァレリー・シンプソンがコーラスで参加している。

4. Kodachrome (1973)

アルバム「ひとりごと」からシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。邦題は「僕のコダクローム」でである。タイトルのコダクロームは、コダック社が発売していたカラーフィルムの名称である。高校生だった頃の思い出というのは、実際よりも美化されたりされていなかったりはするのだと思うのだが、この曲ではそんな過去に対しての絶妙に微妙な感覚が表現されていて、「母さん、僕のコダクロームを取り上げないで」のリフレインがとても印象的である。

3. You Can Call Me Al (1986)

「グレイスランド」からのシングル・カットで、イギリスではシングル・チャートで最高4位のヒットを記録しているが、アメリカでは最高23位と思っていたほど上位にがランクインしていなかったようだ。日本では小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」にイントロが引用されていることでも知られている。タイトルはかつてポール・サイモンと当時の妻がパーティーで会った人に名前を間違って覚えられていたという内輪ネタが元になっているようだ。アフリカ音楽からの影響を受けた軽快なポップスでありながら、中年期の危機ことミッドライフ・クライシスというわりと深刻な問題について歌われている。

2. Still Crazy After All These Years (1975)

アルバム「時の流れに」のタイトルトラックでシングル・カットもされたのだが、全米シングル・チャートでの最高位は40位とそれほど大規模なヒット曲というわけではない。とはいえ、昔の恋人と会って別れたことについて歌われた楽曲のクオリティーはひじょうに高く、これぞ大人のポップスという感じである。この曲で歌われている昔の恋人については、別れた妻のことではないかとか、アート・ガーファンクルのことをそう例えて歌っているのではないかとか、いろいろな憶測が飛び交ったようである。

1. Graceland (1986)

「グレイスランド」のタイトルトラックでシングル・カットもされたが、全米シングル・チャートでの最高位は81位とそれほどヒットしてはいない。それでも、このモダン・クラシックアルバムを象徴する楽曲としてはやはり最も相応しいのではないかと思える。当時、ポール・サイモンはキャリア的にもスランプに近い状態で、私生活においては2人目の妻と別れたところであった。そして、エルヴィス・プレスリーの聖地であるメンフィスはグレイスランドに向かう道中のことが、この曲では歌われている。喪失と再生、失意と希望というようなテーマが、この生命力に満ちたポップ・ソングには宿っていて、実際にそれはこのアルバムの成功によって現実にもなったのであった。