ザ・スミス「ストレンジウェイズ、ヒア・ウィ・カム」について。

ザ・スミスの4作目にして最後のアルバム「ストレンジウェイズ、ヒア・ウィ・カム」が発売されたのは1987年9月28日だったのだが、この時点でバンドはすでに解散していた。ギタリストでありソングライターのジョニー・マーが脱退したことがその原因だが、元イースターハウスのアイヴァー・ペリーを後任として迎え、活動を継続しようという試みも間もなく断念された。それ以前に「NME」にジョニー・マー脱退のニュースが掲載されたのだが、ジョニー・マーはそれをモリッシーによるリークによるものだと疑っていた。

モリッシーとジョニー・マーの出会いからはじまったザ・スミスだが、活動を続けるうちにその関係には溝が生まれ、「ストレンジウェイ・ヒア・ウィ・カム」の時点では修復不能なレベルにまで達していたともいわれる。ジョニー・マーはミュージシャンとしての意識から、ザ・スミス以外のプロジェクトでも活動することを望み、実際にそうしてもいたのだが、モリッシーはそれを快く思っていなかった。また、ジョニー・マーはモリッシーがザ・スミスで60年代のポップ・シンガーの曲をカバーしたがることに不満を覚えていて、「ストレンジウェイ、ヒア・ウィ・カム」からの先行シングル「ガールフレンド・イン・ア・コーマ」のB面でシーラ・ブラック「ワーク・イズ・ア・フォー・レター・ワード」をレコーディングしたことが決定打となり、その後でロサンゼルスに休暇で出かけた。他にも撮影現場にモリッシーが現れなかったことなどが原因でマネージャーがいなくなり、その役割をジョニー・マーが果たさざるをえなかったことなども、大きなストレスになっていたようである。

それ以前よりジョニー・マーはザ・スミスのインディー・ロック的な音楽性に飽きていたようなところもあり、「ストレンジウェイ、ヒア・ウィ・カム」においては様々な音楽的な実験が行われている。特にアルバムの1曲目に収録された「ザ・ランド・イズ・アワーズ」においては、ザ・スミスのサウンドを特徴づけていたギターが一切、使われていない。また、「デス・オブ・ディスコ・ダンサー」では、モリッシーがピアノを弾いていたりもする。

このような音楽性の変化に加え、楽曲のクオリティーも高かったことから、「ストレンジウェイ、ヒア・ウィ・カム」ははジョニー・マーやモリッシーにとって、特にお気に入りのザ・スミスのアルバムとなっているのみならず、音楽メディアからの評価もひじょうに高かった。歌詞にはモリッシーならではの独特なユーモア感覚や自己憐憫的な内容が特徴的なのだが、このアルバムにおいては特に関係の終わりや死をテーマにしたものがひじょうに多いように感じられる。このアルバムはけして当初からザ・スミスにとって最後のアルバムになることを意図してはいなかったのだが、結果的にそれに相応しい内容となっていたのだった。

「ガールフレンド・イン・ア・コーマ」はタイトルがあらわしているように、ガールフレンドがコーマ、つまり昏睡状態にあることについて歌われているのだが、これは深刻だというようなことが歌われるにもかかわらず、曲調はひじょうに軽快である。そして、曲の主人公はかつてそのガールフレンドを殺してしまいそうになったこともあったが、いまは彼女に何かが起こることは嫌だと思っている。そして、リスナーに対し、あなたは彼女が本当に持ち直せると思えるかい、と問いかけている。それを望んでいるかどうかは明らかにせず、ただ軽快なサウンドとメロディーに乗せて、それが歌われている。いかにもモリッシーらしいともいえる内容だが、一般的なポップ・ソングの概念からすると、けしてポップでキャッチーとはいえず、それでも共感ができなくもないという絶妙に微妙なところをえぐってくる。そして、この曲は全英シングル・チャートで最高13位にまで達した。

「デス・オブ・ア・ディスコ・ダンサー」においては、ディスコ・ダンサーの死はけして珍しいことではないと説明され、愛、平和、そして調和、それはヴェリー・ナイスであると歌われた後、もしかすると次の世界ではね、と補足される。このシニカルさがたまらなく良い。

アナログレコードではA面の最後に収録された「ストップ・ミー」は当初、シングル・カットの予定があり、モリッシーとモリッシーっぽい人達が自転車で走ったりするビデオが制作されもしたのだが、歌詞に大量殺人を計画するというくだりがあり、それがこの年の8月にイギリスで実際に起こったハンガーフォード殺戮事件を連想させもするという理由で、「アイ・スターティッド・サムシング」に変更された。

B面の1曲目に収録された「サムバディ・ラヴド・ミー」は「ストレンジウェイ、ヒア・ウィ・カム」からの最後のシングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高30位を記録した。アルバムでは冒頭に80年代半ばの炭鉱労働者ストライキからの音声を含む長いイントロが収録されていたが、シングル・バージョンではカットされた。原題を直訳すると、昨夜、誰かが自分を愛している夢を見た、というものであり、これもまたいかにもモリッシーらしいテーマだともいえる。

「ストレンジウェイズ、ヒア・ウィ・カム」は全英アルバム・チャートに2位で初登場したが、マイケル・ジャクソン「バッド」に阻まれて1位には届かなかった。翌週にはブルース・スプリングスティーン「トンネル・オブ・ラヴ」が初登場1位に輝いた。ザ・スミスの4作のオリジナル・アルバムのうち、「ミート・イズ・マーダー」のみが1位、「ザ・スミス」「クイーン・イズ・デッド」「ストレンジウェイ、ヒア・ウィ・カム」はいずれも最高2位を記録している。一方、全米アルバム・チャートでの「ストレンジウェイ、ヒア・ウィ・カム」の最高位は55位だったが、これでもザ・スミスのアルバムとしてはそれまでの最高位を更新してはいた。イギリスとアメリカとでは、レコード購買者に対する人気にこれほど差があったということである。

この頃、ヒップホップやハウス・ミュージックが新しいポップ・ミュージックとして注目されていて、インディー・ロックは時代の最先端という感じではなかった。それでもザ・スミスだけは特別という意見も少なくはなかったが、この解散によって、いよいよその感じというのが強くなっていった。年末に「NME」が選んだ年間ベスト・アルバムで「ストレンジウェイズ、ヒア・ウィ・カム」は3位、1位がパブリック・エナミー「YO!バム・ラッシュ・ザ・ショウ」、2位がプリンス「サイン・オブ・ザ・タイムス」であった。

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