ポール・マッカートニーのソロでの名曲ベスト10

ポール・マッカートニーがビートルズ解散後にソロアーティストとして、あるいはポール・マッカートニー&ウイングスやウイングス、ポール&リンダ・マッカートニーとしてリリースした楽曲から、これは名曲なのではないかと思える10曲を挙げていきたい。

ポール・マッカートニー&ウイングス名義などだとするならばソロ作品とはいえないのではないかというような意見もあるかもしれないのだが、そこはニュアンスで切り抜けていきたい。

とはいえ、何をして名曲とするのかという価値観は人それぞれだとも思え、特にポール・マッカートニーのように長年にわたって数多くの音楽をつくり続けているアーティストについてならばなおのことである。最大公約数的に無難なものはセレクトはやろうと思えばやれるのかもしれないが、そうではなく人それぞれの本当に名曲だと思えるやつでやっていくと、かなりいろいろなリストができるのではないかと思える。

そこは違っているという事実を分かち合うというか、分かり合えやしないってことだけを分かり合うというか、そういった感じでよいのではないかと思ったり思わなかったりする。

というわけで、何はともあれはじめていきたい。

10. Temporary Secretary – Paul McCartney (1980)

まず初めからこれは一体どうなのだという感じではあるのだが、1980年のアルバム「マッカートニーⅡ」から3枚目のシングルとして12インチのみでカットされたのだが、枚数限定だったこともありチャートには入っていない。

ポール・マッカートニーがシンセサイザーにプリセットされていた音源を組み合わせたりしながらつくっていった曲ということなのだが、当時のファンにはハマらなかったような気はするものの、いま聴くと時代を先取っていたように思えなくもなく、カルトフェイヴァリット化してもいるようである。

9. No More Lonely Nights – Paul McCartney (1984)

映画「ヤァ!ブロード・ストリート」のサウンドトラックアルバムから先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。邦題は「ひとりぼっちのロンリー・ナイト」である。

メロディーがとても良いミッドテンポの曲なのだが、甘ったるくはなっていない。ヒットしていたのが秋から冬にかけてで、温もりがよりありがたく感じられる季節であった。当時やっとテレビ朝日系の番組としてではあったが、日本でも放送がはじまったMTVでもよくビデオが流れていたような気がする。

素晴らしいギターソロはピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアによるものである。

8. My Brave Face – Paul McCartney (1989)

アルバム「フラワーズ・イン・ダート」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高18位を記録した。エルヴィス・コステロとの共作曲であることも話題になった。

ミュージックビデオの冒頭には、ポール・マッカートニー関連物の収集家を自称する日本人が登場する。この翌年に東京ドームで行われた来日公演もかなり過熱していた印象がある。

7. Here Today – Paul McCartney (1982)

アルバム「タッグ・オブ・ウォー」からは先行シングルとしてリリースされたスティーヴィー・ワンダーとのデュエット曲「エボニー・アンド・アイボリー」がイギリスやアメリカをはじめ様々な国のシングル・チャートで1位に輝き、「テイク・イット・アウェイ」も全米シングル・チャートで最高10位のヒットを記録した。

レコードではA面の最後に収録されたこの曲は、かつてのバンド仲間で1980年の12月に殺害されたジョン・レノンに対して直接は伝えられなかった思いが詰まった感動的な楽曲になっている。演奏がアコースティックギターと弦楽四重奏のみとシンプルなのもとても良い。

6. Coming Up – Paul McCartney (1980)

アルバム「マッカートニーⅡ」から先行シングルとしてリリースされ、イギリスでは全英シングル・チャートで最高2位だったが、アメリカでは全米シングル・チャートで1位に輝いた。とはいえ、アメリカではニューウェイヴ的なスタジオバージョンではなく、ウイングスをバックにしたグラスゴーでのライブバージョンの方がA面扱いであった。

スタジオバージョンでは妻であるリンダ・マッカートニーのコーラスを除き、すべてのパートをポール・マッカートニー自身が演奏していて、ミュージックビデオでも1人で何役も演じている。

この年の初め、ポール・マッカートニーは来日公演を予定していたが麻薬の不法所持が発覚したために中止となった。ポールの拘留中にリンダ・マッカートニーは元サディスティック・ミカ・バンドの福井ミカと共にYMOのレコーディングスタジオを訪れるが、その時の会話が元になったのかYMOのアルバム「増殖」に収録された「ナイス・エイジ」のセリフにはポール・マッカートニーの拘置所番号やレコーディング時には発売前であった「カミング・アップ」の歌詞の一節が入ってもいた。

5. Uncle Albert/Admiral Halsey – Paul & Linda McCartney (1971)

ポール&リンダ・マッカートニーのアルバム「ラム」からアメリカでのみシングルカットされ、全米シングル・チャートではソロになってから初となる1位に輝いた。

邦題は「アンクル・アルバート~ハルセイ提督」で、曲の断片をつなぎ合わせたメドレー形式になっているが、曲や演奏そのものがとても良い。

4. Jet – Paul McCartney & Wings (1973)

ポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」からシングルカットされ、イギリス、アメリカいずれのシングル・チャートでも最高7位を記録した。

タイトルはポール・マッカートニーの愛犬の名前から取られているようだ。とてもキャッチーなコーラスが印象的で、1987年のベストアルバム「オール・ザ・ベスト」発売日には、小田急相模原のレコード店、オウム堂の店頭でおそらく初聴だと思われる小学生ぐらいの男の子たちもすぐに口ずさんでいた。

3. Live And Let Die – Wings

映画「007/死ぬのは奴らだ」のテーマソングとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。

メロディーはいかにもポール・マッカートニーらしいキャッチーなものだが、オーケストラを効果的に用いたりもしたジョージ・マーティンのプロデュースによって、「007」シリーズのサウンドトラックっぽくもちゃんとなっている。

1991年にはガンズ・アンド・ローゼズがカバーして、全英シングル・チャートではウイングスの最高9位を上回る5位を記録している(全米シングル・チャートでは最高33位)。

2. Band On The Run – Paul McCartney & Wings (1973)

ポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」のタイトルトラックであり、シングルカットもされて全米シングル・チャートで1位、全英シングル・チャートでは最高3位を記録している。

自由と逃避がテーマになっていて、楽曲は三部構成のメドレーのようにも聴こえる。ポール・マッカートニーのソングライターとしての魅力が、コンパクトにたっぷり味わえるようにもなっている。

1. Maybe I’m Amazed – Paul McCartney (1970)

ポール・マッカートニーのソロデビューアルバム「マッカートニー」の収録曲で、邦題は「恋することのもどかしさ」である。この時にはシングルとしてリリースされなかったのだが、1977年のライブアルバム「ウイングス・オーヴァー・アメリカ」からカットされ、全米シングル・チャートで最高10位を記録した(この時には邦題が「ハートのささやき」になっている)。

ポール・マッカートニーが妻であるリンダに対する思いを歌ったストレートなラヴソングで、楽曲のクオリティーが高いのに加え、ボーカルパフォーマンスもひじょうに力強いものになっている。