マニック・ストリート・プリーチャーズ「レジスタンス・イズ・フュータイル」について。

マニック・ストリート・プリーチャーズの13枚目のアルバム「レジスタンス・イズ・フュータイル」がリリースされたので、さっそく聴いてみた。昨年末から先行トラックが少しずつ公開されていたようなのだが、それらは一切聴いていなかったので、今回、全収録曲を一気に聴いたことになる。先行トラックを聴いていなかった理由は、それほど急いで聴かなくてもいいのではないかと思っていたからであり、特に意味は無い。

1990年代はおもにイギリスのインディー・ギター・ロックを好んで聴いていたのだが、いわゆるブリットポップ・ムーヴメントの中心的バンドでは、オアシス、ブラー、パルプなどよりもスウェード、マニック・ストリート・プリーチャーズの方が好きだった。ポップではあるのだが全体的なトーンが暗めの方が落ち着くというか、自分らしいというか、何となくそんな感じである。

それらのバンドの中には解散してしまったり、その後、再結成をしてふたたび活動を再開しているものなど、様々である。元メンバーのソロや別プロジェクトも含め、あれから20年以上が経過したいまでも新作が出ればチェックをしたりしなかったりはしているのだが、やはり当時と同じ感覚では、もうすでにない。そもそもそれを期待してさえいない。それでも、やはり好きなタイプの音楽ではあるので、わりと気に入る作品も少なくはない。

マニック・ストリート・プリーチャーズの今回のアルバムの先行トラックに対してもそのような印象であり、だからずっと聴いていなかったのだろう。「享楽都市の孤独」とか「デザイン・フォー・ライフ」とかものすごく好きで、いまでもよく聴くのだが、ここ10年ぐらいの作品についてはそれほどでもない。もちろんこれほどの長きにわたって活動していること自体が奇跡的であり、その間ずっとピークの状態が続くはずなどないのだ。

そのような気持ちでこのアルバムを聴いたのだが、期待を相当に上回る素晴らしい作品であった。

タイトルの「レジスタンス・イズ・フュータイル」とは、「抵抗はムダ」とでもいうような意味である。ジャケットには侍のような写真が載っている。

マニック・ストリート・プリーチャーズの優れた楽曲のいくつかは、労働者階級のアンセムとでもいうべきものであった。イギリスの文学やポップ文化を鑑賞する上で、階級社会、クラス・システムというものを避けるわけにはいかない局面に入ってくる。私がそれらをより深く理解しようとしていた若かりし頃、日本は一億総中流社会などといわれていたので、あまり実感をともなって理解をすることができなかったのだが、アメリカと同様に高度資本主義社会の限界にぶち当たり、中間層の消滅、持つ者と持たざる者との格差が広がる傾向にある現在の日本においては、その理解はより容易いような気もする。

まあ、とにかくいろいろクソなわけであり、それに対してどうにかできることとどうにもならないことがある。絶望というか、諦念である。その上でどうしていくかということが問題なのであり、哲学である。

「レジスタンス・イズ・フュータイル」、つまり「抵抗はムダ」とでもいうようなタイトルのアルバムにおいて、マニック・ストリート・プリーチャーズは諦め、絶望し、混乱している。しかし、ここに収められた楽曲の数々は美しいメロディーと演奏と歌によって驚くべき強度を実現し、このバンドのキャリアやメンバーの年齢相応に回想的でメランコリックなムードが漂っているものの、じつに生気に溢れている。

「リヴァプール・リビジテット」という曲が収録されている。数年前、1996年の大ヒット・アルバム「エヴリシング・マスト・ゴー」を再現するライヴを行うため、リヴァプールを訪れたときのことを書いているのだという。それはとてもさわやかな朝で、数々の思い出とともに、誇らしい気持ちがよみがえってくるようである。

過去を思い出し、失ったものを確認する。それは現状を嘆き、そこから退行するために行うのではない。勇気と誇らしさの感覚を取り戻し、培った経験と叡智によって、態度を明確にし、自分とは何者なのかと、やはりあの頃と同じように問い続けていくことなのだろう。

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