close up photography of a red and gold bow hanging on a christmas tree

バンド・エイド「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」について。

バンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」がレコーディングされたのは1984年11月25日で、その後、12月3日にリリースされると、全英シングル・チャートで5週連続で1位を記録した。1997年に交通事故によって亡くなったダイアナ妃を追悼するエルトン・ジョン「キャンドル・イン・ザ・ウインド~ダイアナ元皇太子妃に捧ぐ」に抜かれるまで、イギリスで史上最も売れたシングルであった。

ブームタウン・ラッツは70年代のパンク・ロックのシーンから出てきたバンドで、全英シングル・チャートで1位に輝いた「哀愁のマンデイ」などで知られていた。そのボーカリストであったボブ・ゲルドフがBBCテレビで放送されたエチオピアの飢饉についてのドキュメンタリー番組を観て、衝撃を受けたことが発端であった。それがこの年の10月23日のことだったのだが、その翌週、ボブ・ゲルドフの妻でドキュメンタリー番組を一緒に観ていたTVパーソナリティーのポーラ・イェーツは音楽番組「ザ・チューブ」の収録に向かった。その日の出演者の中にイギリスのニュー・ウェイヴ・バンド、ウルトラヴォックスがいた。このバンドはイギリスで人気があったが、日本でもウィスキーのテレビCMに使われた「ニュー・ヨーロピアンズ」によって、そこそこ知られていた。

ポーラ・イェーツが収録後に楽屋でウルトラヴォックスのフロントマン、ミッジ・ユーロと話をしている時に、夫のボブ・ゲルドフから電話があった。ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロとは以前にチャリティー・イベントで一緒になったこともあり、友人同士でもあったのだが、そこで電話を代わり、エチオピアの飢饉についても話をした。ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロは数日後に昼食を共にし、その場でエチオピアの飢饉について何かできないだろうかと話をした結果、チャリティー・レコードをつくるのはどうかということになった。

他に参加できるアーティストはいないかといろいろ探していたところ、ザ・ポリスのスティングやデュラン・デュランのサイモン・ル・ボンといった当時の人気アーティスト達から快諾を得られることになった。その後も様々なアーティストが参加することが決まり、当時のポップ・ミュージックファンにとっては夢の競演ともいうべき豪華なレコーディングが実現することになったのであった。

「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」は、まずミッジ・ユーロによってなんとなくクリスマスっぽい曲がキーボードを用いて録音され、そのテープがボブ・ゲルドフに届けられた。翌日、ボブ・ゲルドフがミッジ・ユーロの家に行き、一緒に曲を完成させたということだが、歌詞の一部にはボブ・ゲルドフがブームタウン・ラッツのために書いたが、レコーディングには至っていなかったものが用いられた。ドラムのサウンドにはティアーズ・フォー・フィアーズ「ザ・ハーティング」のサンプリングも用いられ、デュラン・デュランのジョン・テイラーがベースの演奏を加えた。ポール・ウェラーもギター・パートをレコーディングしていたのだが、全体のサウンドと合っていないという結論になり、これは使われなかったという。

レコーディングはロンドンのスタジオで行われ、フィル・コリンズはドラムセットを持ち込んで、すでにレコーディングされていたバック・トラックにドラムの演奏を付け加えた。カルチャー・クラブのボーイ・ジョージはレコーディングに誘われていたものの、当日はニューヨークで寝ていて、ボブ・ゲルドフからの電話で呼び出されて、飛行機で向かった。

この曲は日本の洋楽ファンの間でも大いに話題になり、エチオピアの飢饉の現実を知らされると同時に、そのオールスターが一堂に会した感じのミュージック・ビデオに興奮してもいた。ソロ・パートを歌うのは順番に、ポール・ヤング、ボーイ・ジョージ、ジョージ・マイケル、サイモン・ル・ボン、ポール・ウェラー、ボノ、グレン・グレゴリー(ヘヴン17)、マリリンなどとなっている。

レコーディングに参加したアーティストのほとんどはイギリスかアイルランドのアーティストだったが、クール&ザ・ギャングとシャラマーのジョディ・ワトリーはアメリカのアーティストであった。また、バナナラマは1989年に「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツクリスマス?」がリメイクされ、再び全英シングル・チャートで1位を記録した時のメンバーにも名を連ねていた、数少ないアーティストである。

バンド・エイドは当時のイギリスの人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」にも出演したが、主要メンバーではジョージ・マイケルとボノが参加できなかった。ジョージ・マイケルのソロ・パートでは客席が映されていたのだが、ボノのところではなぜかポール・ウェラーが映されていた。ボノのボーカルが聴こえているのだが、画面に映っているのはリップシンキングというか口パクをするポール・ウェラーという、なかなかシュールな映像がイギリスのお茶の間に流れたのであった。

このプロジェクトは多くのアーティストが一堂に会すチャリティー・レコードの先駆的な役割も果たし、翌年のUSA・フォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」やアパルトヘイトに反対するアーティストたち「サン・シティ」などにも影響をあたえたと思われる。

1985年7月13日に開催された大規模なチャリティーライブイベント「ライヴ・エイド」にもつながったのだが、ここでも「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」はイギリス会場のトリとして歌われることになった。この時には、最初のソロパートをデヴィッド・ボウイが歌っている。

この曲のクオリティーについては当時からあまり高くは評価されていないところがあり、ボブ・ゲルドフもそれについては自虐的に語ってもいるのだが、何度かのリメイクなども経て、いまやクリスマスのスタンダードになったようなところもある。

やはり1984年のクリスマスシーズンにリリースされ、スタンダード化したクリスマスソングとしてワム!「ラスト・クリスマス」があるが、ジョージ・マイケルも参加した「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」がずっと1位だったため、最高2位に終わっていた(しかし、2021年1月7日付の全英シングル・チャートにおいて、リリースから36年後にしてついに1位に輝いた)。

This is...POP?!
1980sChristmas