佐野元春の名曲ベスト30(20-11)
20. Season In The Sun -夏草の誘い- (1986)
1986年のアルバム「カフェ・ボヘミア」に向けてリリースされた3枚のシングルのうち、2枚目がこの「Season In The Sun -夏草の誘い-」で、オリコン週間シングルランキングでは最高9位を記録した。「M’s Factory」という新たなレーベルからリリースされ、ジャケットが普通の7インチシングルよりも少し豪華だった。その分、価格も100円ぐらい高かったような気がする。
この年の7月21日発売であり、タイトルから想像できるように夏らしい楽曲である。KUWATA BAND「スキッピ・ビート」、EPO「太陽にPump!Pump!」などと同じカセットに入れて聴いていたような気がする。その少し前にはレベッカ「ラズベリー・ドリーム」、米米クラブ「SHAKE HIP!」がリリースされていたりして、とにかくソニー系に勢いがあった。これらのビデオは、TVKこと神奈川テレビの「ミュージックトマトJAPAN」で見ていた記憶がある。本厚木駅から神奈中バスで20分以上もかかるキャンパスに泣きながら通わなければならず、小田急相模原に住んでいたからである。
厚木といえば地元(正確には隣接する座間市)出身のTUBEがやはり「SEASON IN THE SUN」という曲でブレイクし、こちらはオリコン週間シングルランキングで最高6位であった。佐野元春のレコードをかなり気に入って聴いていながらも、この年の夏には渋谷公会堂で行われた松本伊代のコンサートに行って感動し、帰りにまだ宇田川町にあった頃のタワーレコード渋谷店でザ・スミス「クイーン・イズ・デッド」とスティーヴ・ウィンウッド「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」を買ったことが思い出される。
夏休みの帰省から帰ってきて、小田急相模原の駅に着いたのだが、そういえば「ロッキング・オン」から日本のアーティストだけを専門に扱った新しい雑誌が創刊されて、しかも表紙が佐野元春であったことを思い出し、アイブックスで「ロッキング・オンJAPAN」創刊号を買ったのもこの年のことであった。
19. ヤァ! ソウルボーイ (1996)
アルバム「フルーツ」からの先行シングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高36位であった。同じアルバムからは「水上バスに乗って」のミュージックビデオを「ミュージックトマトJAPAN」で見た記憶があるのだが、シングルカットはされていなかったようだ。
この頃は「渋谷系」的なものがメインストリーム化した後でもあり、UA「情熱」などクラブミュージック的なものも流行りつつあったのだが、ベテランの域に達し、このシングルが40枚目だった佐野元春はより良質なロックミュージックをやっていて、「ミュージック・マガジン」あたりでも高評価されていた印象である。
ホーンのサウンドが印象的なソウルミュージック的でもある楽曲であり、ゴージャスで音楽的にも充実している中に切なさも感じられるところがとても良い。
18. NEW AGE (1984)
アルバム「VISITORS」の最後に収録され、4枚目のシングルとしてカットもされた曲である。「心のスクラッチを抱いて オマエを激しくノックする」という印象的なフレーズのほか、コミュニケーションとディスコミュニケーション、「分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ」にも通じるかもしれない感覚、「昔のピンナップはみんな壁から剥がして捨ててしまった」にはアズテック・カメラ「ウォーク・アウト・トゥ・ウィンター」でジョー・ストラマーのポスターが壁から剥がれるくだりを思い出したりもする。そして、人生の意味(the meaning of life)とは何を指すのかまで、ニューヨークでヒップホップの洗礼を受けた佐野元春が生み出す新しい日本語ポップスのリアルが感じられる。
17. 境界線 (2015)
佐野元春& THE COYOTE BANDが2015年にリリースしたアルバム「BLOOD MOON」からの先行シングルで、報道ジャーナリストに捧げるというコンセプトでつくられた曲である。
「カフェ・ボヘミア」期にも通じる音楽性が当時からのファンにはうれしくも懐かしいが、そこに込められた思いはより深く重いものになっているように感じられる。「境界線」というテーマについては様々な解釈が可能であり、高度情報化社会がもたらした分断の時代に相応しいともいえる。
16. VISITORS (1984)
「VISITORS」とは訪問者のことであり、「this is a story about you」と歌われているところが歌詞カードでは「これは君のことを言ってるんだ」と日本語で表記されている。「夜が終わるまで誰かを抱きしめていたい」「クロスワードパズル解きながら今夜もストレンジャー」と、言葉はより本質的なことを詩的に表現しているようにも感じられる。当時の日本のポップミュージックとしてはいかにも異質ではあるのだが、これがオリコン週間アルバムランキングで初登場1位というのがまた、なかなかにラジカルであった。チェッカーズ、吉川晃司、岡田有希子、菊池桃子などがブレイクし、竹内まりや「プラスティック・ラヴ」、サザンオールスターズ「ミス・ブランニュー・デイ」などがリリースされた頃のことである。
15. ジャスミンガール (1990)
アルバム「TIME OUT!」からの先行シングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高18位を記録した。デジタル化が進みすぎたことに対する揺り戻しか、この頃にはポップ・ミュージック界においてアナログ回帰的な動きも少しあった。きっかけはレニー・クラヴィッツあたりだったような気もするのだが、佐野元春の「TIME OUT!」やRCサクセションの最後のアルバム「Baby a Go Go」などもその流れにあったように思える。
ポップ・ミュージック史においては、「〇〇ガール」という曲がわりとありがちであり、佐野元春もそういうのがやりたかったとのことである。フリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」、岡村靖幸「家庭教師」、ユニコーン「ケダモノの嵐」などの年であり、日本のポップミュージックもひじょうに成熟してきたなという感じではあったのだが、佐野元春のこの楽曲にもわりとストレートではありながらもそれらと拮抗しうるポップスとしての強度が感じられた。
14. ナポレオンフィッシュと泳ぐ日 (1989)
1989年は平成元年で「三宅裕司のいかすバンド天国」がはじまった年でもあって、バンドブームである。佐野元春のアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」はロンドンで現地のミュージシャンと共にレコーディングされ、ロックミュージックというフォーマットにおける新たなアプローチや、生々しさのようなものが感じられもした。
この曲はアルバムのタイトルトラックであり、1曲目に収録され、後にシングルカットもされたのだが、スティーヴ・ウィンウッドあたりにも通じるソウルミュージック解釈や、一部ラップ的にもなるボーカルなど、とても楽しめる内容になっている。ミュージックビデオの撮影風景のようなものが、日曜の昼にやっていた渋谷陽一がかかわっているテレビ番組で放送されていたような気がする。
13. 彼女はデリケート (1982)
佐野元春がアーティストとしてブレイクする以前に、沢田研二のアルバム「G.S. I LOVE YOU」に提供したうちの1曲である。セルフカバーバージョンは1982年3月21日発売のアルバム「ナイアガラ・トライアングルVol.2」に収録され、シングルカットもされたが、ライブではそれ以前からパフォーマンスされていた。レコードが発売されるよりも前に、「アンジェリーナ」とこの曲のライブ映像をテレビで見たことがあるような気がする。
「ナイアガラ・トライアングルVol.2」に収録されたバージョンではイントロよりも前に気取った調子のセリフが入っていてそれを真似するのが友人との間で流行ったのだが、ベストアルバム「No Damage(14のありふれたチャイム達)」では入っていなかった。エンディング近くで「ツイスト・アンド・シャウト」のフレーズが出てきたりもして、とても盛り上がる。
12. Rock & Roll Night (1982)
1982年のアルバム「SOMEDAY」のB面最後から2曲目に収録された、とても長くてスケールが大きい曲である。「たどりつくといつもそこには川が横たわっている」のにはブルース・スプリングスティーンの「ザ・リバー」を連想してしまうのだが、「今夜は思いっきりルーズにみじめに汚れた世界の窓の外で全てのギヴ&テークのゲームにさよならするのさ」はレコードに合わせて歌うとカタルシスを得られた。「瓦礫の中のGolden ring」というフレーズも実に素晴らしく、久々に聴くといかにこの曲のエッセンスが自分の意識や無意識に入り込んでいるかを再認識させられる。当時、部屋を暗くして集中して聴いたり、小冊子のようでもある歌詞カードを見ながらレコードに合わせて歌うというようなことを15歳の頃にやっていたのだから、それも当然なのではないかというような気もするが。
11. ダウンタウン・ボーイ (1981)
この曲がシングルとしてリリースされたのは1981年10月21日で、つまり大滝詠一、杉真理とのナイアガラ・トライアングルによる「A面で恋をして」と同じ日さったようだ。NHK-FM旭川放送局で夕方に放送されていたローカル番組「夕べのひととき」でかかったのをカセットテープに録音して、それを繰り返し聴いていた記憶がある。
佐野元春の音楽の魅力というのはいろいろあるのだが、そのオリジナリティー溢れる歌詞というのもひじょうに大きい。それで、録音したカセットテープを小刻みに再生しては一時停止しながら、聴きとった歌詞を書き写したりしていくのだが、「マーヴィン・ゲイ」という単語をアーティスト名とは知らずに、この曲ではじめて聞いたのであった。「リズム合わせてゆけば」を「リズム合わせてGet Back」と空耳してはいたのだが。
個人的に高校受験が近づいてきてもいて、いろいろセンチメンタルになりがちでもあったのだが、この曲で描かれる都会のキラキラした生活の中にある孤独や寂しさというようなものに強くひかれた。特に「オールナイト・ムービー 入口の前ではくわえタバコのブルー・ボーイ」の辺りなどである。翌年、アルバム「SOMEDAY」にはシングルとは別のバージョンが収録されていて、ベストアルバム「No Damage(14のありふれたチャイム達)」にも選曲されなかったのだが、このシングルバージョンにこそひじょうに思い入れが強い。