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クインシー・ジョーンズ関連の名曲ベスト10

1933年3月14日に生まれたクインシー・ジョーンズはジャズ・ミュージシャンや音楽プロデューサーなどとして、ポップミュージック史に偉大な足跡を残してきたわけだが、2022年にもザ・ウィークエンドのアルバム「Dawn Fm」収録曲に参加して、その存在感を示したりもしていた。

今回はクインシー・ジョーンズがアーティストやプロデューサーとしてかかわった楽曲から、これは名曲なのではないかと思える10曲をあげていきたい。

10. Ironside – Quincy Jones (1971)

アメリカのテレビドラマ「鬼警部アイアンサイド」のテーマソングである。今回、この記事のタイトルを「クインシー・ジョーンズがプロデュースした名曲ベスト10」にしようと考えていたのだが、実はこの曲を収録したアルバム「スマックウォーター・ジャック」のプロデューサーがフィル・ラモーンであったことが分かり、だからといってこの曲が入っていない選択肢は考えられなかったので、コンセプトそのものを変更するに至った。

「鬼刑部アイアンサイド」というテレビドラマは日本でも放送されていたようなのだが、人気はあったのだろうか。当時、小さな子供だったこともあり、まったく記憶がない。それで、この曲といえば日本テレビ系で土曜の夜に放送されていた「テレビ三面記事 ウィークエンダー」である。何やらスキャンダラスな事件などをゴシップ的に取り扱う番組なのだが、家庭によって子供には見せていなかったり見せていたりした。事件を紹介する時にこの曲がかかり、「新聞によりますと~」とナレーションが入るのがお決まりであった。クインシー・ジョーンズの曲だということも「鬼警部アイアンサイド」のテーマソングだったことも当時はまったく知らず、「テレビ三面記事 ウィークエンダー」で「新聞によりますと~」の時にかかる曲としてしか認識していなかった。それで、ずっとどこか怪しげな印象とセットになって記憶されている。

「ダウンタウンDX」やクエンティン・タランティーノ監督作品「キル・ビル」のサウンドトラックなどでも使われていた。

9. Yah Mo B There – James Ingram & Michael McDonald (1983)

ジェームス・イングラムのデビューアルバム「イッツ・ユア・ナイト」に収録されたマイケル・マクドナルドとのデュエット曲で、シングルカットもされた。全米シングル・チャートでは最高18位、全英シングル・チャートではジェリービーンによってリミックスされたバージョンが最高12位を記録している。

マイケル・マクドナルドはドゥービー・ブラザーズの後期ボーカリストとして「ホワット・ア・フール・ビリーヴ」を大ヒットさせたり、ソロアーティストとしては1982年のアルバム「思慕(ワン・ウェイ・ハート)」から、後にギャングスタラップのウォーレン・G「レギュレイト」で引用される「アイ・キープ・フォーゲッティン」がAORとしてひじょうに受けていた。現在ではクリストファー・クロスなどと並ぶヨット・ロックの重要アーティストとして再評価されている。

この曲には第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン勢が全米ヒットチャートを席巻していた当時を思い起こさせるかのように、シンセポップ的なところもややあって、AORやブラックコンテンポラリーなどとのクロスオーバー的な楽曲としても楽しめるような気がする。邦題は「歓喜の調べ」である。

8. Baby, Come To Me – Patti Austin & James Ingram (1981)

パティ・オースティンが1981年にリリースしたアルバム「デイライトの香り(原題:Every Home Should Have One)」から翌年にシングルカットされ、当時の全米シングル・チャートでの最高位は73位であったが、アメリカの人気テレビドラマ「ジェネラル・ホスピタル」で使われると問い合わせが殺到し、シングルを再リリースすることになった。今度は大ヒットを記録して、1983年2月19日付の全米シングル・チャートでメン・アット・ワーク「ダウン・アンダー」を抜いて1位に輝いた。

当時、日本の洋楽ファンの多くが見ていた思われるテレビ朝日系「ベストヒットUSA」のカウントダウンでも紹介されていたのだが、ミュージックビデオが制作されていなかったのか、この曲の時にはパティ・オースティンがブラインド越しにこちらを見ているアルバムジャケットがずっと映し出されていた記憶がある。「あまねく愛で」という邦題も、いま思うと地味になかなかクセがすごかったようにも思える。マイケル・マクドナルドがバックコーラスで参加している。

6. Give Me The Night – George Benson (1980)

ジョージ・ベンソンといえばジャズギタリストとしてすでにそスジでは超有名だったと思われるのだが、1980年のこの曲や収録アルバムにおいては、ブラックコンテンポラリーというかシティ・ソウルというか、「たまらなく、アーベイン」的というか、とにかく当時の女子大生にモテそうな音楽であった。つまり、完全に正しいということである。

先にあげたパティ・オースティン&ジェイムス・イングラムと同じく、この曲をつくっているのはロッド・テンパートンというソングライターだが、70年代に「ブギー・ナイツ」をヒットさせたディスコバンド、ヒートウェイヴのキーボーディストだった人である(ジェイムス・イングラム&マイケル・マクドナルド「歓喜の調べ」のソングライティングにもかかわっている)。それで、この曲にはパティ・オースティンがバックコーラスで参加している。

6. I’ll Be Good To You – Quincy Jones featuring Ray Charles & Chaka Khan (1989)

1976年にブラザーズ・ジョンソンが全米シングル・チャートで最高3位を記録した、クインシー・ジョーンズのプロデュースによるヒット曲のカバーバージョンである。豪華アーティストがいろいろ参加した1989年のアルバム「バック・オン・ザ・ブロック」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高18位を記録した。日本のトレンディーでコンサヴァティヴな音楽ファンにもひじょうに人気があり、J-WAVEの「TOKIO HOT 100」においては、80年代最後にして90年代最初の1位に輝いている。

レイ・チャールズとチャカ・カーンがリードボーカルをとっていて、ニュー・ジャック・スウィングを取り入れたトレンディーなサウンドが特徴的である。

5. We Are The World – USA For Africa (1985)

アフリカの飢饉についてのドキュメンタリー番組を見て心を痛めたボブ・ゲルドフが中心となったチャリティーシングル、バンド・エイド「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」には人気アーティスト達が多数参加して、大ヒットを記録することになった。そのアメリカ版として企画されたのが、USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」であり、ソングライターはマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチー、プロデュースをクインシー・ジョーンズとマイケル・オマーティアンが手がけた。レイ・チャールズ、ボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ビリー・ジョエル、ダイアナ・ロスなどをはじめとする錚々たるメンバー達を束ねるクインシー・ジョーンズには、やはりとてつもない大御所感がただよっていた。

4. Ai No Corrida – Quincy Jones (1981)

大島渚監督による映画「愛のコリーダ」は日本とフランスの合作映画であり、世界中で公開されたようなのだが、当時の日本においては性的描写をめぐる話題ばかりがスキャンダラスに報じられていたような印象がある。その映画にインスパイアされ、タイトルにもなっている曲なのだが、オリジナルはチャズ・ジャンケルが1980年にリリースしていて、クインシー・ジョーンズによるバージョンはカバーである。

全米シングル・チャートでの最高位は28位であり、同じアルバム「愛のコリーダ(原題:The Dude)」からシングルカットされた曲ではジェイムス・イングラムのボーカルをフィーチャーした「ジャスト・ワンス」「ワン・ハンドレッド・ウェイズ」の方がヒットしていた。日本ではディスコソングとして大ヒットして、オリコン週間シングルランキングで最高13位、洋楽のみのチャートだと12週連続1位で、年間ランキングでも1位に輝いている。当時を過ごした日本人の中には、寺尾聰「ルビーの指環」、松山千春「長い夜」などと同様に、この曲を1981年のヒット曲として認識している人達も少なくはないと思われる。

B&Bの島田洋七はディスコでナンパするくだりの描写に、「愛のコリーダ♪ 電話番号は?」というフレーズを用いていた。大晦日の「NHK紅白歌合戦」においては、松田聖子、田原俊彦、近藤真彦、岩崎宏美、郷ひろみ、西城秀樹らを含む人気ポップスター達がこの曲の日本語カバーを余興として全員で歌っていた。

3. It’s My Party – Lesley Gore (1963)

オールディーズの名曲として知られるレスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティー」だが、これもまたクインシー・ジョーンズによるプロデュース作品であった。自分の誕生日パーティーに恋人が他の女の子と仲よくしていてとても悲しい、というシチュエーションについて歌われていて、ティーンエイジャーの苦悩をドラマティックに描写するタイプのポップソングとして代表的なものの一つである。

当時まだ女子高校生でクインシー・ジョーンズからレッスンを受けていたレスリー・ゴーアが、この曲を気に入ってレコーディングしていたのだが、どうやらフィル・スペクターも別のグループでこの曲を録音したらしいとパーティーで聞いたクインシー・ジョーンズが急いでテスト盤のプレスを手配して、ラジオ局に配りまくったというエピソードがある。その甲斐もあって、全米シングル・チャートで1位に輝く大ヒットとなった。

80年代にはデイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキンによるカバーバージョンが話題になり、全英シングル・チャートで1位を記録した。2010年にはクインシー・ジョーンズも、エイミー・ワインハウスのボーカルでセルフカバーしている。

2. Soul Bossa Nova – Quincy Jones (1962)

この曲を収録したアルバムのタイトルは「Big Band Bossa Nova」であり、文字通りビッグバンドでボサノヴァをやってみるということなのだろう。ジャンルを越境したクロスオーバーなポップスとしてひじょうに楽しいこのインストゥルメンタル曲は、クインシー・ジョーンズ名義での最初のシングルでもあったようだ。

「ファッションを語るとモードになる」というようなコピーで知られるモード学園のCMが深夜によく流れていたのだが、そのBGMとしてもこの曲は使われて、よく耳にしていた人達も少なくはないように思える。90年代にはカナダのヒップホップグループ、ドリーム・ウォリアーズがこの曲をサンプリングした「マイ・ディフィニション」でジャズラップとして話題になったり、マイク・マイヤーズ主演のコメディ映画「オースティン・パワーズ」で使われたりもした。

1. Billie Jean – Michael Jackson (1982)

クインシー・ジョーンズがマイケル・ジャクソンと出会ったのは、音楽でかかわった1978年の映画「ウィズ」の撮影現場においてだったという。その後、「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「BAD」と3作のアルバムをリリースし、ポップミュージックの歴史を変えたことはよく知られている。このリストをより正確につくったとするならば、ベスト10はこの3作のアルバム収録曲だけで埋まってしまうかもしれない。それではマイケル・ジャクソンの名曲ベスト10とあまり変わらないのではないかというような気もするので、ここでは1曲に代表させることにした。となると、やはり「スリラー」から2枚目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた「ビリー・ジーン」であろう。

「オフ・ザ・ウォール」もじゅうぶんに売れたのだが、それではまだ十分ではないと、よりマーケットの拡大を目指したのが「スリラー」であり、ソウルミュージックやディスコポップのファンだけではなく、ロックやポップスが大好きな人達にも気に入られることに、「ガール・イズ・マイン」でのポール・マッカートニーや「今夜もビート・イット」でのエドワード・ヴァン・ヘイレンの起用は功を奏したように思える。

また、1981年に開局した音楽専門ケーブルテレビチャンネル、MTVが若者を中心にヒットして、全米チャートにも影響を及ぼすようになっていたのだが、オンエアされるのはまだまだ白人のアーティストによるビデオばかりであった。その状況に風穴をあけたのが「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」などのビデオであり、これらがなければその後のポップ・ミュージック史はまたかなり違ったものになっていたかもしれない。

有名人のスキャンダル的な内容を扱った歌詞もユニークであり、後のセレブリティ文化の時代においてもリアルであり続けた。エルヴィス・プレスリー「ハートブレイク・ホテル」、ビートルズ「抱きしめたい」、マドンナ「ライク・ア・ヴァージン」、ニルヴァーナ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」などと並ぶ、時代を変えた音という印象である。

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