マドンナの曲ベスト20
8月16日はマドンナの誕生日ということで、そのキャリアの中から特に優れた楽曲のトップ20を決めてカウントダウンしていきたい。
20. Frozen (1998)
ウィリアム・オービットをプロデューサーに迎え、エレクトロニカに接近したアルバム「レイ・オブ・ライト」からの先行シングル。娘の出産や映画「エビータ」への出演などを経て、価値観に変化が生じたともいわれるマドンナの新たな音楽性にはより精神的な深みが生まれ、冷酷で無感情な人物について歌われたこのミッドテンポのバラードにもそれはじゅうぶんに感じられる。
19. Open Your Heart (1986)
3作目のアルバム「トゥルー・ブルー」から4枚目のシングルとしてカットされた、元々は「フォロー・ユア・ハート」というタイトルでシンディ・ローパーのために書かれていたロック調の曲を改変したものである。ダンサブルなサウンドに乗せて心の奥で燃えさかっている欲望について歌われた直球のラブソングである。マドンナがピープショーのダンサーを演じるミュージックビデオも話題になり、少年のダンサーと踊るくだりはライブで再現されることもあった。
18. Music (2000)
フランスのミュージシャンであり音楽プロデューサー、ミルウェイズ・アマッザイとの共作となるエレクトロニカでクラブ・ミュージック的な楽曲。音楽が持つパワーについて歌われているが、インスピレーションを得たのは観客として見ていたスティングのライブだったという。
17. Secret (1994)
センセーショナルな話題も提供した「エロティカ」とエレクトロニカに接近し新しい音楽性を印象づけた「レイ・オブ・ライト」との間にリリースされたアルバム「ベッドタイム・ストーリー」にはややインパクトが弱く、過小評価されているようにも思われがちだが、R&Bの要素を取り入れた素晴らしい作品である。先行シングルとして全米シングル・チャートで最高3位を記録したこの曲は、アコースティックとエレクトロニクスとのバランスが絶妙であり、恋人同士の親密な関係性がヴィヴィッドに表現されているように思える。ジュニア・ヴァスケスによるリミックスがいくつも存在することでも知られている。
16. Take A Bow (1994)
「ベッドタイム・ストーリー」から2枚目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで1位に輝いたベイビーフェイスとの共作曲である。「エロティカ」での官能的でセンセーショナルなイメージからトーンダウンし、よりオーセンティックなラヴソングを歌うアーティストとしてのブランディングに成功しているように思える。個人的には当時、宿泊していたシンガポールのホテルで寝ようとしてライトを落としラジオをつけた瞬間にこの曲が流れ、とても良い曲だなと思った印象が強い。テレビではマライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」のビデオがよく流れていた。
15. Live To Tell (1986)
「トゥルー・ブルー」からの先行シングルとしてリリースされ、マドンナにとって3曲目の全米シングル・チャートで1位獲得曲となった。パトリック・レナードがある映画のために書いていたインスト曲をマドンナに聴かせたところ気に入って、当時の夫であったショーン・ペンの映画「ロンリー・ブラッド」のためにすべての歌詞を書き、メロディーも共作したといわれている。
14. La Isla Bonita (1986)
「トゥルー・ブルー」から5枚目のシングルとしてカットされ、シングル・チャートでは全米で4位、全英では1位に輝いている。スパニッシュギターやマラカス、キューバンドラムなどが用いられ、ラテン音楽のフレーバーが感じられる楽曲となっていて、タイトルはスペイン語で「美しい島」を意味する。
13. Hung Up (2005)
ディスコクラシック的な感覚を現代のテクノロジーでアップデートしたフューチャー・ノスタルジアな感じが昨今は流行りだが、この曲は当時にしてすでにそれをやっていた素晴らしいダンスポップである。ABBA「ギミー!ギミー!ギミー!」をサンプリングしていることや、ピンクのレオタードでマドンナが踊りまくるミュージックビデオも話題になった。
12. Borderline (1983)
マドンナがポップ・カルチャーのアイコン化する以前、新しいダンス・ポップのパフォーマーとして認知されているに過ぎなかった頃の楽曲で、マドンナにとって初の全米トップ10ヒットとなった。この曲を収録したデビュー・アルバム「バーニング・アップ」(原題は「Madonna」)は80年代のダンス・ポップアルバムとして再評価されているような印象もあるが、満たされない愛について歌われたこの曲も切なげなイントロから躍動感に満ち溢れるところをはじめ、ポップスとしての魅力がじゅうぶんに感じられる。
11. Papa Don’t Preach (1986)
「トゥルー・ブルー」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。この辺りからボーカリストとしての魅力も一気に増したような印象がある。10代の妊娠という社会的なイシューを扱ったことでも話題になり、父親との絶妙に微妙な関係性をドラマ仕立てで演じたビデオクリップも印象的であった。
10. Crazy For You (1985)
映画「ビジョン・クエスト」のサウンドトラックからシングル・カットされ、マドンナにとって2曲目となる全米NO.1を記録した。アルバム「ライク・ア・ヴァージン」がまだ売れ続けていたこともあり、レーベルはこの曲をシングルでリリースすることに難色を示していたという。マドンナにとってはシングルとしてリリースした初のバラード曲であり、それまでダンス・ミュージックをメインに手がけてきたプロデューサーのジェリービーンにとってもチャレンジであった。この曲のヒットが結果的にマドンナはバラードもいけるという印象をあたえることにもつながり、アーティストとしての評価を高めたともいえる。当時のFENでシャーデー「スムース・オペレーター」などと共によく聴いた記憶がある。
9. Lucky Star (1983)
デビュー・アルバム「バーニング・アップ」からアメリカでは「ボーダーライン」に続く5枚目で最後のシングルとしてカットされ、最高4位と初のトップ5入りを果たした。80年代らしいシンセを用いたダンスポップとしてのクオリティーが高く、タイトルはマドンナがポップ・ミュージック界の輝けるスターになりつつあることを予感もさせた。とはいえ、この曲で「ラッキー・スター」と歌われているのは、主人公が恋をしている相手のことである。
8. Material Girl (1984)
物質的な世界に暮らしている私は物質的な女の子、と歌われるこの曲によって、マドンナはいかにも80年代らしいポップ・アイコンとしての存在感を強く印象づけた。そして、そういった気分はこの曲がヒットした1985年の秋に発表したプラザ合意をきっかけとしてバブル景気へと突入していく日本の若者にも理解しやすかったように思える。「紳士は金髪がお好き」にインスパイアされたと思われるミュージックビデオも、当時よくMTVなどで流れていた。
7. Ray Of Light (1998)
ウィリアム・オービットが共同プロデュースしたアルバム「レイ・オブ・ライト」のタイトルトラックで、2枚目のシングルとしてカットもされた。クラブ・ミュージック的でもあるサウンドと精神的な自由について歌われた歌詞はマドンナのポップ・ミュージックアーティストとしてのキャリアが新たなフェイズに突入したことを強く認識させた。
6. Holiday (1983)
マドンナのデビュー・シングル「エヴリバディ」と次の「バーニング・アップ」は全米シングル・チャートにランクインすらしていなく、その後にリリースされたデビュー・アルバム「バーニング・アップ」(原題は「Madonna」)からシングル・カットされたこの曲が初のヒット曲となる。最高位は16位でこの曲の知名度やクオリティーからすると低すぎるような気もするが、当時のマドンナにとっては大躍進だったということがいえる。「ホリデイ」、つまり休暇が人生で最高の時間であることは多くの人々が知るところだと思うが、その楽しみが圧倒的な強度で表現されているとでもいうべき、ピュアなジョイがはち切れんばかりのダンスポップである。マドンナは1985年7月13日に開催された「ライヴ・エイド」でもこの曲をパフォーマンスしているが、イギリスではその後にシングルが再リリースされ、全英シングル・チャートで最高2位を記録している(この時の1位はマドンナのまた別のシングルであった)。
5. Express Yourself (1989)
4作目のアルバム「ライク・ア・プレイヤー」から2枚目のシングルとしてカットされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録したセルフ・エンパワーメント的な楽曲。女性達に妥協することなく自分自身を表現することを推奨するセクシャル・イコーリティー的なメッセージソングでもある。ミュージックビデオを後に映画監督として成功するデヴィッド・フィンチャーが手がけている。
4. Like A Virgin (1984)
「ホリデイ」「ボーダーライン」「ラッキー・スター」が連続してヒット、しかも16位、10位、4位と最高位を順当に上げていった後にリリースされたニューアルバムからの先行シングルで、ナイル・ロジャースがプロデュースしたサウンドには明らかにメジャー感が漂っていた。これは売れてしまうのではないかと思っていたところ、やはり初の全米NO.1に輝いたのであった。ミュージックビデオでは白いウェディングドレスを着たり、露出が多めの服を着てカヌーで川を下りながら踊っていたかと思えばライオンが登場したりと、これもメジャーなつくりになっていた。歌詞の解釈についてはクエンティン・タランティーノ監督の「レザボア・ドッグス」でも、冒頭で登場人物達が議論していた。
3. Into The Groove (1985)
シンセサイザーとドラムマシンのサウンドが印象的なこの曲はマドンナが80年代にリリースしたダンスポップの中でも特に人気が高いのだが、アメリカでは「エンジェル」のB面だったためシングル・チャートにランクインしていない。初の主演映画「マドンナのスーザンを探して」に使われていた曲でもあり、「ライヴ・エイド」でもパフォーマンスされた。イギリスではシングルでリリースされ、全英シングル・チャートで1位に輝いている。後にオルタナティヴ・ロック・バンドのソニック・ユースがチコーネ・ユースの名義で「イントゥ・ザ・グルーヴ(ィー)」としてカバーしている。
2. Vogue (1990)
当時、最先端のポップ・ミュージックとして注目されていたハウス・ミュージックの要素を取り入れメインストリームで全米シングル・チャートの1位などに輝いてしまった最高のダンスポップ。しかも、なんとなくハウス風なポップスというわけではなく、そのジャンルの名プロデューサー、シェップ・ペティボーンとの共作という本気度である。ニューヨークのアンダーグラウンドなサブカルチャーだったヴォーグダンスを取り入れたり、ハリウッドの歴代のスター達の名前を歌詞に入れたりとフックはいろいろあるのだが、キャッチーでありながらなかなか深くもあるポップソングとしての強度がそれらをまずは凌駕している。
1. Like A Prayer (1989)
「ライク・ア・プレイヤー」のタイトルトラックであり先行シングルで、これもまた全米シングル・チャートで1位に輝いている。ミュージックビデオでの宗教的なイメージの描かれ方が一部の人々を怒らせて、キャンセルカルチャーの犠牲になるものの、その評価は当時からずっと高い。ゴスペル音楽を取り入れているところなども、音楽的な豊かさにつながっているのと同時に、ある種のメッセージとして機能しているようにも思える。ポップでキャッチーでありながら知的で過激でもあるという、ポップ・ミュージックとしてほぼ完璧な楽曲ではないかといまだに感じられ、今日のポップシーンを考えるに、いろいろなものの先駆的存在だったのだということを改めて実感させられる。