blue vinyl record playing on turntable

近田春夫「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」について。

1976年、私は小学生で北海道の苫前という小さな町に住んでいた。よくある(いまや「あった」といった方が適切だろうか)町の小さな書店にいると岩崎宏美の「ファンタジー」が流れていたのだが、その時にこれはなんだかとても良い曲だな、と感じたのだった。流行歌はテレビやラジオからよく流れていて、当たり前にそこにあるものとして親しんではいたのだが、このように感じたことは初めてだった。歌詞に「地下鉄」という単語が出てくるのだが、当時は見たことも乗ったこともなく、どんなものかすらよく分からなかったのだが、そこになんとなく都会を感じたのと、よく分からないのだが切ない気分というものに酔いしれる感覚をそこで初めて知ったのではないかと思うのである。

そう考えると、岩崎宏美が歌っている曲にはいずれもそんな感覚が宿っていたのではないかという気がしてきた。岩崎宏美が東京の深川という町の出身であることを知り、さらに親しみを感じた。なぜなら祖父母や親戚が住んでいて、盆や正月にはよく遊びにいっていた旭川という(当時の私の感覚では)大都市の隣に深川という町があり、汽車が停車した時に名物のうろこだんごを買うのを楽しみにしていたからである。

翌年、父の仕事の都合でその大都会、旭川に引越すことになったのだが、それまで仲よくしていた友人達と離れなければならず、大いに泣いた。それで引越してみるとわりとすぐ慣れて、それどころかレコード店や書店が(当時は)多くてなんて楽しいのだろうという気分になっていたので、お調子者は当時からである。そして、ラジオに夢中になった。特に深夜放送は未知なる大人の世界を垣間見せてくれるようで、秘かな楽しみとなった。

「オールナイトニッポン」の2部というのは深夜3時から早朝5時までの2時間なのだが、寝ないで聴いていたというよりは、ラジオをつけたまま寝ていて、夜中に起きるとやっていたのでなんとなく聴いているうちにまた寝ていた、という感じだったような気がする。月曜2部の糸居五郎が「ゴーゴーゴーアンドゴーズオン」などと言いながら洋楽をかけまくるストロングスタイルのDJだったが、他の曜日や時間においてはアーティストやお笑いタレントなどのトークが中心となっていた。火曜2部の近田春夫はちょっと異色で、流行歌を次から次へとかけまくって、好き勝手なことを言っているという感じだったと思う。それを私はかなり楽しく聴いていて、詳細はよく覚えていないのだが、とにかく郷ひろみはすごいのだということは刷り込まれたような気がする。それと、流行歌を批評的に聴くことの楽しさである。「きりきりまい」(山本リンダのカバー)「ロキシーの夜」などは、近田春夫の楽曲としてこの番組で聴いた記憶がある。

近田春夫についてはその後、近田春夫&ビブラトーンズ、PRESIDENT B.P.M.、ビブラストーン、はたまたハルヲフォンやソロの再発盤を買ったり買わなかったりするマイルドなファンだったり、映画「星くず兄弟の伝説」がとにかく極度に好きだったりはするのだが、同時並行的に歌謡ポップスも一貫して好きである。歌謡ポップスをバカにしがちなロック&ポップスファンなども周囲にはいたのだが、私はずっとどちらとも好きであり、それは「近田春夫のオールナイトニッポン」の影響だったのではないかと、思ったり思わなかったりする。

筒美京平の楽曲だからと身構えて聴いていたというよりは、好きな曲にたまたま筒美京平の作品が多かったというような印象である。筒美京平の人間性であったり個人的なエピソードについてはほとんど知らない。洋楽からの影響を取り入れているのだが、それでいて明らかに日本のポップス以外の何物でもないというような素晴らしい楽曲をいくつも書き続けたすごい人という印象であり、そこから広がることはけしてなかった。しかし、それぐらいが健全でちょうどいいのかな、というような気がしていたのも事実である。

近田春夫が筒美京平について語っている本が出ることを、少し前にツイッターのタイムラインで知った。しかも、構成は「調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝」でもタッグを組んだ下井草秀さんだという。これは面白くないわけがない。タイトルは「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」で文藝春秋から新書での発売だという。これは教養としても役立つちゃんとした本なのだろうな、というような気がなんとなくしたのだった。ただし、もちろんこういうのもとても価値があることには間違いがなく、これはとても良いことだと思えたのだった。

しかし、読む側の熱量としてはそれほどものすごく高かったというわけでもなく、それはやはり新書ということとタイトルからして、それほど個性が爆発したような内容にはなっていないのではないか、という推測がなんとなくあったからである。しかし、やはり読むことは読むのであるが、Kindle版もあると知ったのでますは無料サンプルをダウンロードしてみた。そして、目次を読んでいる時点でやはりこれは読まなければいけない本だということが分かり、すぐに購入したのだった。それからまあ貪るように読んだわけだが、これはいわゆる教養として筒美京平のことが知りたい人達もとても役立つだけではなく、すでにかなり精通している(ような気になっている)ような人達にもとても面白く、新たな発見や気づきがあって、すぐにこれらの楽曲をまた聴きたくなる、その時にはより楽しめるようになっているかもしれない、というようなとにかくとても良い本なのである。

まだ発売されたばかりの本なので、ネタバレに繋がりそうなことは徹底的に避けるのだが、ひじょうにコアでマニアックな話がされていながら間口が広いというか初心者に親切、これは聞き手が補足を入れながら質問をしていることによるものであり、まるで優れたトーク番組のホストのように、常にオーディエンスのことが意識されていることによるものであろう。また、ポイントとなる曲名が太字になりジャケットも掲載されていることで、これらをプレイリスト化することによって、きわめて汎用的なベスト・オブ・筒美京平ができるようになっているのも良い点である。80年代のジャニーズ事務所所属アーティストの楽曲はストリーミングサービスで聴くことができないが、郷ひろみの楽曲が聴けるようになった直後にこの本が出たことは実にタイムリーだったといえる。

その少し後、スピッツの草野マサムネがパーソナリティーを務める「SPITZ 草野マサムネのロック大陸漫遊記」で郷ひろみと樹木希林の「お化けのロック」を、放送される頃にはストリーミングサービスでも聴けるようになっているとは知らずにかけていた。「お化けのロック」は宇崎竜童の曲だが、郷ひろみといえば筒美京平というか、筒美京平といえば郷ひろみの印象が強い。とはいえ、筒美京平について語られたこの本で、スピッツに言及されていることはやや意外だったが、よく考えてみるとなるほどと思えたりもする。

また、この本のタイトル「筒美京平 大ヒットメーカーの秘密」に相応しく、様々な貴重なエピソードなども語られているのだが、個人的にこれを読んで秘密が明らかになったなと感じられる点としては、データやクレジットにおける偉大な作曲家、筒美京平というある意味において記号的な存在のきわめて人間的な部分がいろいろと明かされるところである。

そして、この本は大きく二部構成になっていて、前半は構成の下井草秀さんが聞き手として近田春夫の貴重な証言を最大限に引き出して、とても面白い読みものとしてまとめ上げている。ヒップホップについての言及も面白かったが、ネタバレになりそうなことは一切書かない、とはいえ、PRESIDENT B.P.M.の作品にも参加していたTINNIE PUNXの高木完はソロで「HIP.HIP.FOLK」などという曲をやっていたな、などと思い出されたりもしていた。そして、80年代で私が最も好きな女性アイドルこと松本伊代のおそらく何百回も聴いたであろうデビュー・シングルについて知るいまさらながらの新事実にも目から鱗であった。

そして、後半では今度は近田春夫が聴き手として、筒美京平の実弟である渡辺忠孝、数々のヒット曲を共に生み出した作詞家であり盟友、橋本淳、デビューから「真夏の出来事」の大ヒット、それ以降も個人的に交流があった平山みきに話を聞いている。これがまた貴重であり、とても面白い。この本を読んでいて、筒美京平がいかにベテランの大御所となって以降もポップ・ミュージックの最新トレンドに敏感で、それを取り入れながらもオリジナルな作品を作り続けていたかということがよく分かる。

ところで、近田春夫は1989年に小泉今日子に「Fade Out」という楽曲を提供していて、これはオリコン週間シングルランキングで最高2位を記録するのだが、当時、ポップ・ミュージック界の流行最先端だったハウス・ミュージックを取り入れた画期的な作品であった。単にハウス・ミュージック風の歌謡ポップスということではなく、ハウス・ミュージック的なサウンドでありながら、ちゃんと歌謡曲的なメロディーが出てきたりもする(「Ah 今頃Discoでは」以下のところ)のがとても良いと思った。2016年のゴールデンウィークに行ったDJイベントで、蛭子能収がデザインした東京オリンピックのTシャツを着たECDがこの曲をかけていて、やはりとても良い曲だなと再認識したのだった。最先端の洋楽のトレンドを取り入れて、ちゃんと日本のポップスでしかあり得ないオリジナルな楽曲にしているところが最高で、こういう作家というのもなかなかいないのではないかと思っていたのだが、これは実は近田春夫が筒美京平の流儀から学んだことだったのかもしれない、と感じたりもした。

とにかくこれはとても面白くてためになり、そしてやはり面白い本なので、必読ということはいっておきたい。あと、やはりネタバレ的なことは書かないのだが、個人的にラジカセのエピソードがとても好きだった。

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