恩藏茂「『FMステーション』とエアチェックの80年代 僕らの音楽青春記」について。
とても良い本がめでたく文庫化されたので、それについて取り上げていきたい。2009年に出版された時には「FM雑誌と僕らの80年代『FMステーション青春記』」というタイトルだったのだが、12年越しの文庫化にあたり、「『FMステーション』とエアチェックの80年代 僕らの音楽青春記」に改題されている。しかも、サニーデイ・サービスの曽我部恵一による解説は、今回、新たに加えられたものとなる。さらにとても素晴らしいことには当時は1,700円(税別)だった価格が、990円(税込)とお求めやすくなっていることである。文庫化されて本が小さくなったのだからそんなのは当然だろうというご意見は至極真っ当以外の何ものでもないのだが、ライトでポップな80年代において、数あるFM雑誌の中でも私を含む軽くて薄い人達に支持されていたような印象が強い「FMステーション」について書かれた本としては、文庫本というフォーマットが相応しいように思える。そして、12年も前に出版された本なので内容が古くなっているのではないかという懸念もあるし、だからそこが良いんじゃないという意見もあるとは思うのだが、むしろ現在の方が感覚として受け入れ態勢が整っているのではないかというような気もする。この本の中では当時の気分をあらわす言葉として「ライト&メロウ」が何度か出てくるが、シティ・ポップやAORがリバイバルしがちな現在のムードにはフィットしている。それから80年代カルチャー全般に対しても、たとえばかつての50年代アメリカのように、未来に希望が持てたキラキラとした輝ける時代として、当時を知らないナウなヤングにとっても肯定的に捉えられてもいるのではないかという感じもある。というわけで、文庫化のタイミングとしては実に絶妙だし、ぜひとも多くの方々に読んでいただきたいという気持ちでいっぱいである。
この本の著者はかつて「FMステーション」の編集長だった方であり、もちろんその頃のエピソードが貴重でひじょうに面白いわけだが、それだけではなく、日本におけるFM放送やFM雑誌、あるいはポップ・ミュージックの受容の歴史というようなものにまで言及していることによって、ひじょうに味わい深い読みものになっている。著者は1949年生まれということなので、80年代の大半は30代、この本を書かれた時は60歳ぐらいということになるのだが、それだけに文章に歴史の生き証人的なリアリティーが感じられるのと同時に、軽妙で若々しいユーモア感覚に溢れていて、楽しみながらスイスイ読み進められる。本当に面白い本なので、あまりネタバレ的なことは書きたくはないのだが、深夜の編集部でオフコース「さよなら」を合唱のくだりが個人的には大好きである。あと、高いビルから人を乗せたままの高級車が落下するという実際のエピソードも、わりと序盤の方に出てくるし、実はそれがわりと重要だったりもする。
私は特に高校生の頃にこの「FMステーション」という雑誌をよく買っていて、ヘヴィーに読んでいたというか使っていたのだが、とにかくすべてが懐かしく、忘れかけてた記憶が甦ってくるのを感じながらも、これは重要な記録でもあるな、と思うのである。ごく個人的なエピソードと一般大衆的に起こっていた事象とが並列的に語られていて、この辺りのバランスも個人的には大好きな類いである。
そして、単行本が最初に出版された時のタイトルには無くて、文庫化にあたって入った単語が「エアチェック」なのだが、FM雑誌の時代というのはすなわちエアチェックの時代でもあったのだな、ということを改めて思い知らされる。エアチェックという単語は私も懐かしい文章を書く際には用いがちなのだが、ほぼ決まってラジオ番組をカセットテープに録音すること、という説明を入れることにしている。80年代にポップ・ミュージックを楽しんでいた人達の相当数は、おそらくエアチェック、つまりラジオ番組からカセットテープに録音することをやっていたと思うのだが、そのための手引きとしてFM雑誌が存在していた。「FM fan」「週刊FM」「FMレコパル」という3誌がすでに存在していたのだが、「FMステーション」は後続誌として、ダイヤモンド社などというお堅いイメージの出版社から創刊された。アメリカでMTVが開局し、日本では「ベストヒットUSA」が放送を開始した1981年のことである。田中康夫「なんとなく、クリスタル」がベストセラーになり、ライト&メロウな気分がオッシャレーとされる一方で、ツッパリ文化が盛り上がっていて、T.C.R.横浜銀蝿R.S.に人気があったり、暴走族の写真集がベストセラーになったり、校内暴力が問題になったりもした。漫才ブームは下火になっていたが、「ビートたけしのオールナイトニッポン」は大人気であった。
その翌年は1982年で、私は北海道旭川市で高校生になるのだが、「花の82年組」といって、中森明菜や小泉今日子をはじめ、後にヒットチャートの常連化する女性アイドルがたくさんデビューする。山下達郎が「FOR YOU」をリリースし、前年の大滝詠一「A LONG VACATION」と共に、後にシティ・ポップの名盤として評価される。この年の秋に北海道では初の民放FM局、FM北海道が開局し、「ベストヒットUSA」はやっとネット放送されるようになる。ここで、山下達郎「FOR YOU」のジャケットアートワークを手がけていたイラストレーター、鈴木英人が表紙やカセットレーベルを手がけ、翌年からはアイドルを積極的に取り上げるようになる「FMステーション」の軽さは、当時の感覚にフィットしたといえ、部数が急増したのも納得というものである。
その背景ではこのようなドラマが繰り広げられていたのかと、実に興味深く読むことができた。FM雑誌の衰退というのは、エアチェック文化のそれでもあったということが、この本では書かれているのだが、その要因の一つとなったのがCDの普及とCDレンタルの広がりではないかとされているし、実際にそうなのだろう。CDを初めて聴いた時の感想についても書かれているのだが、確かにそうだったなとすっかり忘れていたことを思い出すことになった。こういうことが読んでいてところどころにあるので、本当にこの本は素晴らしいなと感じずにはいられない。
「FMステーション」の時代に音楽ファンとして青春を送っていた人達にはひじょうに感慨深いであろうことはもちろんだが、それ以外の方々にとってもある時代におけるヴィヴィッドな記憶の記録という意味でひじょうに貴重だし、楽しく読めるのではないかと思える。ずっと秘かに大好きな一冊ではあったのだが、これを機会にもっと広がってほしいというか、広がるべきなのではないかと思える。あと、すっかり忘れていたのだが、サニーデイ・サービスの曽我部恵一が解説を書く必然性というのも、実はすでにあったのだということも再認識させられた。とにかくとても良い本なのである。