カイリー・ミノーグ「ラッキー・ラヴ」について。
1988年8月27日付の全英アルバム・チャートにおいて、カイリー・ミノーグのデビュー・アルバム「ラッキー・ラヴ(原題:Kylie)」が登場7週目にして初の1位に輝いている。この間、1位だったのはトレイシー・チャップマン「トレイシー・チャップマン」が1週、コンピレーション・アルバムの「ナウ・ザッツ・ホワット・アイ・コール・ミュージック!12」5週であった。ヒット曲満載の2枚組コンピレーション・アルバム「ナウ・ザッツ・ホワット・アイ・コール・ミュージック」のシリーズは1983年に最初のアルバムが発売されて以降、ずっと売れ続けていた。これに対抗する「ヒッツ」シリーズというのも登場し、この間に最高2位を記録している。そのうち、確か全英アルバム・チャートはコンピレーション・アルバムを通常のチャートからは除外し、それ専用のチャートを設けるようになったような気がするのだが、それがいつ頃からだったのかははっきりと思い出せない。
「ラッキー・ラヴ」は4週連続1位を記録するのだが、その後、「ホット・シティ・ナイツ」なるコンピレーション・アルバムにその座を明け渡す。クイーン「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」、ハート「アローン」、INXS「ニュー・センセイション」などが収録されていたようだ。ちなみにこの間、「ラッキー・ラヴ」が1位だったことにより最高位が2位に終わったアルバムに、フェアグラウンド・アトラクション「ファースト・キッス」、ザ・スミスのライブ・アルバム「ランク」がある。「ホット・ナイト・シティ」の翌週にはボン・ジョヴィ「ニュー・ジャージー」が初登場1位に輝き、その座を2週間キープした後でクリス・デ・バー「フライング・カラーズ」に明け渡し、さらに翌週はU2「魂の叫び」が1週、そして、ダイアー・ストレイツのベスト・アルバム「マネー・フォー・ナッシング」が3週1位を記録し、その翌週に「ラッキー・ラヴ」が登場19週目にして1位に返り咲き、「ナウ・ザッツ・ホワット・アイ・コール・ミュージック」シリーズの今度は13弾に奪われるまで2週間キープした。要はとても売れまくっていたわけである。
カイリー・ミノーグはオーストラリア出身で幼いころから芸能活動を行っていたが、テレビドラマ「ネイバーズ」で人気が出たタイミングで、レコードもヒットしたという。1987年の暮れにリリースされたシングル「ラッキー・ラヴ」は、全英シングル・チャートで1位に輝いていた。この曲は本国のオーストラリアでも1位になっていたが、これはあらゆるアーティストにとっても初めての記録だったのだという。ちなみにデビュー・アルバムの「ラッキー・ラヴ」が全英アルバム・チャートで1位になった時点でカイリー・ミノーグは20歳と8ヶ月であり、当時における最若年新記録だったのだが、2002年に当時、18歳だったアヴリル・ラヴィーンによって記録は破られることになった。
それはそうとして、「ラッキー・ラヴ」は当時、ユーロビートなどと呼ばれたタイプのダンス・ミュージックで、音楽プロデューサーチームのストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースしていた。デッド・オア・アライヴやバナナラマの曲をヒットさせ、評判になっていたこのチームは「ラッキー・ラヴ」のヒットによってまたさらに知名度を上げていった。当時のカイリー・ミノーグの音楽は主に若年層やティーンエイジャーをターゲットにしていて、80年代後半のバブルガム・ポップ的な位置づけだったような気がする。しかし、やはりストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースしたリック・アストリー「ギヴ・ユー・アップ」などと同様に、シリアスなポップ・ミュージックファンからは軽んじられていたような印象がある。かくいう私もディスコのパーティーなどでヒューヒューいって騒いでいる軽薄な連中が好む音楽だと思って敵視していた一方で、やはり気になってこのアルバムのCDを買ったりはしていたのだった。とはいえ、それほど真剣に聴き込むようなこともなく、いずれ手放してしまったような気がする。
このアルバムではリトル・エヴァの60年代のヒット曲で、グランド・ファンクのカバーでも知られる「ロコモーション」がやはりユーロビートのようなサウンドでカバーされていて、ヨーロッパやオーストラリアのみならず、アメリカでも大ヒットしたりしていた。これ以外にもいくつかヒット曲が収録されているが、「愛が止まらない~ターン・イット・イントゥ・ラヴ~」は日本でWinkがカバーして大ヒットさせたことで知られる。「ラッキー・ラヴ」は和田加奈子がカバーして、オリコン週間シングルランキングで最高35位を記録していた。アルバム全体を、やはりストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースしている。
カイリー・ミノーグはこの後、よりクラブ・ミュージックに接近したり、セクシー路線にイメージチェンジしたりする中、インディー・ロック好きからもリスペクトされたり、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーと対談するようになったりもする。そういった流れの中で、私もカイリー・ミノーグのファンになっていくのだが、初期の楽曲についてはシングルだけ押さえておけば良いだろうぐらいに思っていた。
ところが、この「ラッキー・ラヴ」というアルバムは、なかなか良いポップ・アルバムである。リリース以降のある時期においては、サウンドがちょっと時代遅れに聴こえていた時期もあるとは思うのだが、いまやこういう時代のこういうサウンドとして聴くことにより、当時のバブルガム・ポップとしての良さが浮かび上がってくるようにも思える。90年代の日本における小室哲哉プロデュース作品にも影響をあたえたように思えたりもするが、これはもしかするとわれらの時代におけるモータウンサウンドみたいなものかもしれない、と感じたりもした。
楽曲の題材は主に恋愛にまつわるものであり、バブルガム・ポップとして実に正しいのだが、「ラッキー・ラヴ」などタイトルがあらわすように楽しげな内容なのかと思いきや、よく見ると原題の「I Should Be So Lucky」も私はとてもラッキーであるべきだ、という願望を歌っているのであり、現状に対しての不満がテーマになっている。これ以外にも恋愛にまつわる悩みのようなものについて歌われている場合も多く、全体的に切なげである。この辺りもバブルガム・ポップに相応しいと感じられる要因かもしれない。