マニック・ストリート・プリーチャーズ「ジ・ウルトラ・ヴィヴィッド・ラメント」について。
マニック・ストリート・プリーチャーズ、14作目のアルバム「ジ・ウルトラ・ヴィヴィッド・ラメント」をリリースした。このタイトルを聞くと、ウルトラ・ヴィヴィッド・シーンというバンドがそういえば以前にあったなと思ったりもするのだが、「シーン」ではなく「ラメント」であり、それは「嘆き」とでもいうような意味である。いかにもマニック・ストリート・プリーチャーズらしいタイトルだともいえる。マニック・ストリート・プリーチャーズのアルバムは、イギリスでずっと売れている。全英アルバム・チャートでの最高位を見ていくと、1992年にリリースされたデビュー・アルバム「ジェネレーション・テロリスト」が最高13位、次の「ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル」が最高8位、その次の「ザ・ホーリー・バイブル」が6位で、3人組になってから最初のアルバム「エヴリシング・マスト・ゴー」が最高2位を記録して以降は、2004年の「ライフブラッド」が最高13位だったのを除き、すべて5位以内にランクインしている。2014年の「フューチャロロジー<未来派宣言>」、2018年の「レジスタンス・イズ・フュータイル」という直近2作は、いずれも最高2位を記録している。
「NME」の読者層のようなタイプの音楽ファンにはデビュー・アルバム当時から人気があったのだが、国民的人気バンドともいえるレベルの支持を得るようになったのは、バンドの作詞家でリズム・ギタリストであったリッチー・エドワーズが失踪し、3人組として再スタートしてからである。まるで、リッチー・エドワーズを失う代償に名声を手に入れたかのような印象も受けるのだが、その悲しみのようなものは、以来ずっと引きずっている。
この季節にマニック・ストリート・プリーチャーズの最新アルバムがリリースされると、1998年の「ディス・イズ・マイ・トゥルース・テル・ミー・ユアーズ」を思い出す。確かにこの年の9月14日にリリースされていたようである。マニック・ストリート・プリーチャーズが国民的人気バンド的な存在になってから初めてのニュー・アルバムで、先行シングルの「輝ける世代のために」はバンドにとって初となる全英シングル・チャート1位を記録していた。ローリン・ヒル「ミスエデュケーション」が売れていて、PJハーヴェイ「イズ・ディス・ディザイアー?」、ホール「セレブリティ・スキン」、ベル&セバスチャン「ザ・ボーイ・ウィズ・ザ・アラブ・ストラップ」などもリリースされた秋の初め頃であった。アンセミックではあるのだが、悲しみをかかえたその音楽は季節の感じにもフィットしているように思えた。日本ではGREAT3「WITHOUT ONION」もこの頃にリリースされた、忘れられないアルバムである。若者達とカラオケに行ってミッシェル・ガン・エレファント「スモーキン・ビリー」で騒いだり、宇多田ヒカルが「Automatic」でデビューするのは、秋が深まり冬になる頃である。
この時からでもすでに23年が経っていて、同時代に活躍していたバンドやアーティストはそれぞれなのだが、マニック・ストリート・プリーチャーズはまたニュー・アルバムをリリースし、今回は全英アルバム・チャートの何位に初登場するのだろうか。マニック・ストリート・プリーチャーズ節とでもいうべきメロディアスでメランコリックなロックであることはあらかじめ想像されていて、それ以外を求めてすらいないのだが、やはりとても良いなと感じる。現在のシーンにおけるトレンドなどとはほとんど関係がなく、これぞマニック・ストリート・プリーチャーズというような音楽がおそらく収録されている。それが支持され続けている。そして、ミーハーで新しものの私ではあるのだが、いくつかの聴きたいニュー・リリースの中で、まずはマニック・ストリート・プリーチャーズを選んでしまう。
1曲目のタイトルは「スティル・スノウイング・イン・サッポロ」、札幌ではまだ雪が降っているというご当地ソングである。森雄二とサザンクロス「好きですサッポロ」が少なくともある世代までの道産子には有名だが、青江三奈「雪降る札幌」というのもあるようだ。現在と過去との境界をあいまいにするかのようなサウンドに続き、歌い出しでは一人で歩いている。1993年で、重い雪がまるで天使のように降ってくると歌われる。マニック・ストリート・プリーチャーズは1993年の秋、「ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル」を引っ提げて来日公演を行ったが、その際に札幌を訪れてもいたようである。10月22日、札幌ペニーレーン、FM北海道などでその会場の名前を聞いたことがあるような気はするのだが、行ったこともなければどれぐらいの規模なのか想像もできない。その日の天気予報をインターネットで調べてみたところ、雨や雷のマークはあったのだが、雪が降っていたかは定かではない。当日、ライブに行っていたという方がツイッターで個人的に交流している中にいらっしゃったのだが、やはり憶えてはいないという。
その頃、マニック・ストリート・プリーチャーズにはまだリッチー・エドワーズはいて、4人は固く結ばれていて、けして登ることのできない山を築きあげた、というようなことが実際に歌う。あの日が戻ることは二度とはないが、心の中の札幌ではいまでも雪が降っている、とも。具体的で個人的なことが歌われているのは明白なのだが、それが多くの人々の心の琴線にふれる。このように忘れられはしないし、忘れるつもりもないような過去を多くの人々が持っていて、それが現在にも影響を及ぼしているからである。曲が終わりかけるあたりでは、日本語の男性ラジオパーソナリティーの声のようなものが小さく聞こえて、ハガキを一人でこんなに出してくれた人がいる、というようなことを言っている。確かにまだメールではなく、ハガキの時代だったのである。
続く「オーウェリアン」は、先行トラックでもあり、ひじょうにポップでキャッチーなのだが、テーマとなっているのはタイトルにもあるような監視管理社会についてである。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」が語源になっている。マニック・ストリート・プリーチャーズの音楽の特徴として、政治的なメッセージ性や知的な歌詞などがあるのだが、これもまたそういった要素が強い曲だといえる。諦念をかかえながら、それでも生きていくことの切実さとでもいうべきものが、ポップ・ミュージックとして昇華されているようにも思える。
そして、「ザ・シークレット・ヒー・ハド・ミスト」なのだが、これもまたイントロからして松任谷由実「恋人がサンタクロース」かというぐらいにキャッチーなのだが、カイリー・ミノーグを想定していたのだがトレイシー・ローズとの「リトル・ベイビー・ナッシング」やカーディガンズのニーナ・パーションとの「ユア・ラヴ・アローン・イズ・ノット・イナフ」などに続く、女性ボーカリストとのデュエットものになっている。今回、参加しているのは、ニッキ・ワイアーのお気に入りバンドでもあるジュリア・カミングで、これがまたとても良い。90年代には「ゴールド・アゲインスト・ザ・ソウル」がアメリカのマーケットを狙ったのかハード・ロック的でもあるサウンドがいまひとつで、「ザ・ホーリー・バイブル」はパンク・ロックに回帰したから良いなどと思っていたのだが、この曲ではハード・ロックというか産業ロックまがいともいえるギターなども聴くことができ、しかしもはや何をやってもマニック・ストリート・プリーチャーズ節にしかならないわけであり、これすらもハマっていてたまらなく良い。
「ドント・レット・ザ・ナイト・ディヴァイド・アス」は、これまでマニック・ストリート・プリーチャーズにここまでキュートでキャッチーな曲があっただろうかというぐらいの軽さが素晴らしく、このキャリアにしてこのような曲をさり気なくアルバムに収録してしまえるところにバンドとしての成熟をむしろ感じる。それでいて、すべてのプロパガンダを拒絶しろ、などといかにもマニック・ストリート・プリーチャーズらしいことが歌われてもいて最高である。
9曲目に収録された「ブラック・ダイアリー・エントリー」には、グランジ・ロック・バンド、スクリーミング・トゥリーズのマーク・ラネガンが参加していて、渋い歌声を聴かせているわけだが、マニック・ストリート・プリーチャーズの音楽性やジェームス・ディーン・ブラッドフィールドのボーカルと、意外にもとても相性が良いのではないかと思える。あと、この曲ではギターがマニック・ストリート・プリーチャーズの曲としてはわりと珍しい感じでもあり、深い味わいがある。
取り上げた以外にもとても良い曲がたくさん収録されていて、全11曲なのだが、Apple Musicなどで聴くことができるデラックス・エディションにはこれら全曲のデモ・バージョンが収録されている。これもまたアンプラグド的に楽しめるわけだが、メロディーの良さがシンプルに実感できるようにもなっている。
いつものマニック・ストリート・プリーチャーズ節に新しい要素も少し感じられるところもある、という感じなのだが、それよりもメロディーの良さがいつもにも増して際立っているような気もする。ジェームス・ディーン・ブラッドフィールドがコロナ禍で、ピアノで作曲をするようになったということだが、それによるところもあるのかもしれない。また、作詞を担当しているニッキー・ワイアーはこの間に両親を続けて失い、それが歌詞に影響している可能性はひじょうに高いのではないかと思える。
個人的にデビュー当時には紛いものではないかと誤解していたこのバンドだが、「享楽都市の孤独」を聴いてから完全に認識が変わり、なんだかんだでそれから30年近くずっと聴いているわけだが、メンバーとほぼ同世代ということもあり、大人になってからではあるのだが、聴きながら育ってきたバンドという認識がある。それがやはりとても良いというのは、なんだかとてもうれしいものである。