500曲で振り返る凡庸なポップソングリスナーの生涯 <第3回>
011. 気絶するほど悩ましい/Char(1977)
Charの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高12位のヒットを記録した。Charは10代の頃からロックバンド、スモーキー・メディスンなどで活躍して、日本のロック界においてひじょうにリスペクトされていたであろう内田裕也からも認められたり、スタジオミュージシャンとして活動したりもしていたすごい人である。
この曲は外部の作家によって書かれた最初の楽曲らしく、作詞が阿久悠、作曲が梅垣達志となっている。ルックスの良さも手伝い、同時期にブレイクした世良公則&ツイスト、原田真二と共にロック御三家などともいわれていた。
歌謡ロックとでもいうべき音楽性ではあるのだが、シティポップ的な洗練も感じさせる。「気絶するほど悩ましい」というタイトルがあらわしているような状態について、当時、小学5年だった私が正確に理解していたとはまったく思えないのだが、「うまく行く恋なんて恋じゃない」というフレーズは後の個人的な恋愛観に多少なりとも影響を及ぼした可能性がある。
012. イミテイション・ゴールド/山口百恵(1977)
山口百恵は1974年にオリコン週間シングルランキングで最高3位を記録したシングル「ひと夏の経験」で「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」などと歌い、青い性典路線などと言われたり言われなかったりしてはいたのだが、この「女の子の一番大切なもの」について、山口百恵自身はインタビューなどで「真心」などと答えていたようである。
かつては森昌子、桜田淳子と共に花の中三トリオなどと呼ばれたりもしていたのだが、山口百恵が17歳だった1976年にリリースした阿木燿子、宇崎竜童コンビによる「横須賀ストーリー」が「これっきり これっきり もう これっきりですか」という超キャッチーなフレーズでオリコン週間シングルランキングで1位に輝く大ヒットを記録したりもして、すっかり日本を代表する大人気歌手として認識されるようになっていた。
この曲は山口百恵の18枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高2位を記録する大ヒットとなったわけだが、明らかに性愛をほのめかす歌詞などに当時、小学5年であった私はかなり良いものを感じていたのであった。
夏休みに留萌の黄金岬というところにある海水浴場に遊びにいっているときに、売店のラジオからこの曲が流れていた場面をなぜか良く覚えていて、ポップでキャッチーでありながらまだ知らぬ大人の世界への入口でもあるような絶妙な陰りがとても良かった。
013. UFO/ピンク・レディー(1977)
ピンク・レディーは2枚目のシングル「S・O・S」がオリコン週間シングルランキングで初の1位に輝いて以降、「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」と大ヒット曲を連発し、国民的アイドルデュオとしての地位を確固たるものとしていた。
私が通っていた旭川の小学校でも、女子はピンク・レディーが新曲を出すたびにその振り付けを完コピしたり、男子はメンバーのミーとケイとではどちらがより魅力的かを議論するような状況があった。そして、逆張り的にあえてキャンディーズ派を主張する者などもいた。
それはそうとして、「UFO」はピンク・レディーの6枚目のシングルでありオリコン週間シングルランキングでは10週連続1位に輝いた。この頃、映画「スター・ウォーズ」がアメリカではすでに公開されていたのだが、日本ではまだ公開されていなかったり、かつてテレビアニメとして放送されていたアニメーション作品「宇宙戦艦ヤマト」を再編集した劇場版が大ヒットしたりとSF的なものに対する国民の興味や関心が高まっていたようなところがあり、そういったトレンドにもマッチしていたような気がする。
また、日清食品のカップ焼そば「U.F.O.」のテレビCMにもピンク・レディーは出演していたので、てっきりこの商品名もピンク・レディーのヒット曲にちなんだものだと思っていたのだが、実はこの曲がリリースされるよりも以前に発売されていて、商品名の由来は空飛ぶ円盤というか未確認飛行物体のUFOではなく、「うまい、太い、大きい」の略だということであった。
とはいえ、縁日などにおける発泡スチロール容器のイメージから四角形であることが多いカップ焼そば界において、空飛ぶ円盤というか未確認飛行物体、UFOを思わせる円形の容器も「日清焼そばU.F.O.」の特徴ではある。
この曲のシングルは冬休みに留萌の祖父母の家に遊びにいったとき、ヨシザキというレコード店で叔母に買ってもらった記憶がある。
014. 春の予感 -I’ve been mellow-/南沙織(1978)
南沙織は沖縄出身のアイドル歌手として1971年にシングル「17才」でデビューして、すぐに人気者になった。フォトジェニックなルックスからグラビアでも活躍し、ブロマイドもよく売れていた。
吉田拓郎がファンであることを公言し、後にかまやつひろしと南沙織に捧げるシングル「シンシア」をリリースしたりもしていた。
この曲は南沙織の25枚目のシングルであり、この時点ですでに23歳で上智大学に在学中であった。尾崎亜美による提供曲で、資生堂のCMソングに使われ、オリコン週間シングルランキングでは最高25位を記録した。
「春に誘われた訳じゃない だけど気づいて I’ve been mellow」というところがテレビからお茶の間に流れ、当時、多くの国民が耳にしたはずである。
イントロの音が聴こえただけで、当時の部屋のカーテン越しに差し込む春のやさしい光を思い出すことができる。
オリヴィア・ニュートン・ジョン「そよ風の誘惑」(原題は「Have You Never Been Mellow」)にインスパイアされた楽曲でもある。
南沙織は24歳の誕生日を迎えたこの年の夏に、学業に専念するため歌手活動引退を発表する。最後のコンサートは私が12歳の誕生日を迎えた翌日に、私が後に暮らすことになる(そして、現在も暮らしている)調布市の調布市福祉市民会館(調布駅のすぐ近くにあり、調布市グリーンホールとして知られる)で開催されたようである。
015. 微笑がえし/キャンディーズ(1978)
キャンディーズは1970年代に「年下の男の子」「春一番」「暑中お見舞い申し上げます」などのヒット曲を連発した3人組女性アイドルグループだが、当時の小学生としては「8時だョ!全員集合」「みごろ!食べごろ!笑いごろ!!」といったバラエティ番組におけるコメディエンヌ的な活動のイメージも強い。
1977年の夏に「普通の女の子に戻りたい!」と引退宣言をして以降は、ピンク・レディー派であった私ですらなんだかセンチメンタルな気分になっていたものである。しかも、その後にリリースされたシングル「アン・ドゥ・トロワ」「わな」がいずれもとても良かった。
そして、活動中のラストシングルとしてリリースされたのがこの「微笑がえし」であり、オリコン週間シングルランキングでは最初で最後の1位に輝いている。
阿木燿子による歌詞はカップルの別れとキャンディーズとファンとの別れとをダブルミーニング的に表現したようなものであり、「私たち お別れなんですね」とあくまでも爽やかで前向きに歌われている。
とはいえ、「おかしくって 涙が出そう」というところなどには思わずグッときてしまうというものである。歌詞に過去のキャンディーズのヒット曲のタイトルなどが散りばめられているところなどもとても良い。