500曲で振り返る凡庸なポップソングリスナーの生涯 <第4回>
016. 横浜いれぶん/木之内みどり(1978)
木之内みどりの11枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高28位を記録した。テレビドラマ「刑事犬カール」、映画「野球狂の詩」に主演したり、ブロマイドがよく売れていたり、総合男性誌「GORO」の表紙を何度も飾るなど人気はあったのだが、レコードはなかなか売れていなく、このシングルで初めてオリコン週間シングルランキングの50位以内にランクインした。
「あんたの傷をいやすのは 海鳴りよりは土砂降りがいい」などと歌われるマイルドにはすっぱな感じがとても良く、個性的なボーカルにもそこはかとないエロスが感じられる。
「ボタン二つをはずした胸がまぶしすぎるとふと黙る そんなカゲリにおぼれてしまう」というような小悪魔性とピュアネスとの絶妙なバランスにも、かなりグッとくるものがある。
この年の秋、妻帯者でもあったベーシストで作曲・編曲家の後藤次利との交際が発覚し、ロサンゼルスに逃避行したことがスキャンダラスに報じられ、すべてのスケジュールをキャンセルしたことなどから無責任だと非難されもする。
しかし、当時、小学6年の男子だった私はその欲望に忠実なところに好感しか覚えず、木之内みどりのことがさらに好きになった。
こういった騒動もあって木之内みどりは21歳で引退するのだが、その後、後藤次利と結婚するのだが離婚して、俳優の(個人的に初めて知ったのはテレビ朝日系「ザ・テレビ演芸」のオーディションコーナー「飛び出せ!笑いのニュースター」で「笑いながら怒る人」などの独創的なネタを披露するコメディアンとしてだが)竹中直人と再婚する。
1990年代のはじめ、六本木のCDなどを販売したりするショップで働いてもいた私は竹中直人とプライベートで買物をする木之内みどりを目撃し、心の底から感動したわけだが、我慢して長生きしていればけして嫌なことばかりではないのだな、と思うことができた一件でもあった。
017. 東京ららばい/中原理恵(1978)
中原理恵のデビューシングルで、オリコン週間シングルランキングでは最高9位のヒットを記録した。
東京湾(ベイ)、山の手通り、(東京)タワーなどが歌詞に登場する東京のご当地ソングではあるのだが、「ふれ合う愛がない」「夢がない 明日がない」「倖せが見えない」などとネガティブに描写され、「ないものねだりの子守歌」と続いていく。
作曲の筒美京平は当時、嫌なことが続いたかなにかで、もう作曲をやめるといいだすほどに落ち込んでいて、CBSソニーのディレクター、白川隆三がたずさわっていた太田裕美の楽曲などでコンビを組んでいた作詞家の松本隆にちょっと慰めてきてくれないか、などと依頼されるレベルだったのだという。
それで他人のヒット曲ばかりつくっていないでもっと自分の好きなことをやれば、というような松本隆のアドバイスもあったりして、出来あがったのだがこの曲だというのだが、そこには筒美京平と松本隆が桑名正博「哀愁トゥナイト」をつくり終えた後に出かけた南米への旅行や、筒美京平が好きでよく聴いていたというサンタ・エスメラルダの音楽などから影響を受けたという異国情緒も感じられる。
この曲もまた小学生の頃にラジオで聴いているうちに好きになったのだが、函館出身だという中原理恵がスタイリッシュなサウンドにのせて都会の孤独のようなものについて歌っているところにも良いものを感じた。
この年のおそらく初夏だったような気がするのだが、札幌の中島公園で新人歌手をあつめた無料野外イベントのようなものがあり、石野真子、石川ひとみ、太川陽介などと共に中原理恵も出演していたような気もするのだが、それを家族で見にいっていた。実家のアルバムにはまだそのときの写真があるはずである。
018. 時間よ止まれ/矢沢永吉(1978)
矢沢永吉のソロアーティストとしては5枚目のシングルで、資生堂のCMソングとしてテレビからお茶の間によく流れていた影響もあり、オリコン週間シングルランキングで3週連続1位の大ヒットを記録した。
TBSテレビがこの年のはじめから「ザ・ベストテン」の放送を開始して、ヒットチャートが映像として見られるようになった。ランキングはレコード売上の他に有線放送、ラジオ番組、番組に寄せられたはがきによるリクエストを集計したものによって決定されていた。
この曲は「ザ・ベストテン」にもランクインして、最高4位まで上がったのだが、番組には出演しなかった。ちなみにその週の上位3曲は、世良公則&ツイスト「宿無し」、山口百恵「プレイバックPart2」沢田研二「ダーリング」である。
矢沢永吉と「ザ・ベストテン」といえば、1980年にリリースされたシングル「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」が番組のランキングではベストテン入りしなかったのだが、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録するなど、レコードはよく売れていた。それで、番組冒頭にテロップで流れる各部門のランキングでは紹介されることになっていたのだ。
タイトルからも分かるようにコカコーラののCMソングだったわけだが、「ザ・ベストテン」の提供スポンサーにはキリンビールが入っていて、清涼飲料水市場ではコカコーラと競合していたからか、タイトルが「CMソング」と表記されていたことが思い出される。
それはそうとして、「時間よ止まれ」はこの年の夏を代表する大ヒットソングとなり、キャロル時代のファンにとってはカリスマ的であった矢沢永吉の存在を一般大衆にも広めることになった。
当時、小学生だった私もおそらくこの曲で矢沢永吉のことを知ったわけだが、イントロを聴くだけであの夏の光景やプール用具入れの匂いなどが思い出されるような気がする。
この年には「矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG」が発売され、ベストセラーになるのだが、この本を書き起こしていたのが、後に大ブレイクするコピーライターの糸井重里であった。また、「時間よ止まれ」のレコーディングにはYMOことイエロー・マジック・オーケストラを結成する少し前の坂本龍一と高橋幸宏も参加している。
019. Mr.サマータイム/サーカス(1978)
サーカスの2枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで1位に輝く大ヒットとなった。カネボウ化粧品のCMソングで、矢沢永吉「時間よ止まれ」と並んでこの年の夏をテーマにしたヒットソングの代表格となった。いずれも化粧品のCMソングであり、オリコン週間シングルランキングでは1位だったものの、「ザ・ベストテン」では最高4位だったところまで同じである(ちなみにその週の上位3曲は、沢田研二「ダーリング」、ピンク・レディー「モンスター」、郷ひろみ・樹木希林「林檎殺人事件」であった。
オリコン年間シングルランキングでもサーカス「Mr.サマータイム」が8位で矢沢永吉「時間よ止まれ」が9位と近い売り上げを記録しているのだが、上位3曲を「UFO」「サウスポー」「モンスター」で独占したピンク・レディーが圧倒的な強さを見せつけている。
それはそうとして、「Mr.サマータイム」は日本のポップソングにしてはあまりにも洗練されていて、そこにたまらない良さを感じてもいたのだが、それもそのはずで原曲はミッシェル・フュガン&ル・ビッグ・バザールというフランスのグループが1972年にリリースした「愛の歴史」という楽曲で、歌詞はひと夏の不倫の恋を後悔する女性の心情を表現したものであった。
タイム・トラベル/原田真二(1978)
原田真二の4枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングと「ザ・ベストテン」でいずれも最高4位のヒットを記録した。
この前の年の秋にシングル「てぃーんずぶるーす」でデビューし、その後、「キャンディ」「シャドー・ボクサー」と3ヶ月連続でシングルをリリースし、しかもそのすべてをヒットさせたことによって、一気に人気者となった。
ルックスの良さからアイドル的な人気も高く、世良公則&ツイスト、Charと共にロック御三家などと呼ばれたりもしたのだが、最大の魅力は洋楽的なセンスを感じさせる高い音楽性であった。
当時、小学校の同級生で、後に高校生になっても不定期的にお互いが買ったレコードを聴かせ合う回を開催することになる友人は、「キャンディ」について、どうしてこんな良い曲がつくれるのか気が狂いそうになる、というようなことを言っていたような気がする。
土曜日の深夜に放送されていた「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」を札幌テレビ放送ことSTVラジオで聴いていたのだが、とあるカセットテープに録音していた回でこの曲が1曲目にかかっていて、「新御三家、新々御三家ですか」などと言って紹介されていた。
歌謡曲でも演歌でもない日本のポップソングはだいたいニューミュージックと呼ばれていて、すっかりメインストリームになってきていた。ヒットチャートの上位にもニューミュージックに分類される楽曲がいくつもランクインし、大晦日の「NHK紅白歌合戦」では庄野真代、世良公則&ツイスト、サーカス、さとう宗幸、渡辺真知子、原田真二が登場するニューミュージックコーナーが設けられたりもした。
「時間旅行のツアーはいかが いかがなもの?」と歌われるように、時間のみならず空間さえをも飛び越えるSF的でもある歌詞は松本隆によるものであり、原田真二はこれに長野県の温泉につかりながらメロディーをつけたという。