500曲で振り返る凡庸なポップソングリスナーの生涯 <第5回>
021. 恋のナイト・フィーヴァー/ビー・ジーズ(1978)
「土曜の夜は《フィーバー》しよう!!」というわけで、アメリカから約7ヶ月遅れてこの年の夏に公開された映画「サタデー・ナイト・フィーバー」は日本でも大ヒットして、「ディスコでフィーバー」という概念を一般大衆レベルにまで浸透させた。
そして、アメリカで24週連続1位と売れに売れまくったサウンドトラックアルバムからは、ビー・ジーズ「愛はきらめきの中に」「ステイン・アライヴ」「恋のナイト・フィーヴァー」、イヴォンヌ・エリマン「アイ・キャント・ハヴ・ユー」の4曲が全米シングルチャートで1位に輝いた(さらにはすでに全米NO.1ヒットを記録していたビー・ジーズ「ジャイヴ・トーキン」「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」、ウォルター・マーフィー&ビッグ・アップル・バンド「運命’76」をも収録していた)。
日本でも「恋のナイト・フィーヴァー」がオリコン週間シングルランキングで最高4位という、洋楽としてはかなりのヒットを記録したのだが、ビー・ジーズの過去のオリコン週間シングルランキングを調べてみると、1967年の「マサチューセッツ」が1位、1971年の「小さな恋のメロディ」が3位を記録していて、この曲は歴代3番目に売れた楽曲にすぎないということを知らされるのであった。
とはいえ、当時の「サタデー・ナイト・フィーバー」の盛り上がりはかなりのものであり、旭川の小学生ですら主演のジョン・トラヴォルタによる決めポース的なものをことあるごとに真似しては悦に入っていたものである。
022. ストレンジャー/ビリー・ジョエル(1978)
ビリー・ジョエルの4作目のアルバム「ストレンジャー」は1977年の秋にはすでにリリースされていて、アメリカでは「素顔のままで」が全米シングルチャートで最高3位のヒットを記録していた。
「ピアノ・マン」が1974年に全米シングルチャートで最高25位を記録するものの、その後はなかなかヒット曲に恵まれず、不遇気味な状況が続いていたビリー・ジョエルにとっては、これが本格的なブレイク作品となり、後にトップアーティストとしての評価を定着させるきっかけとなった。
とはいえ、アルバムのタイトル曲でもある「ストレンジャー」が大ヒットしたのは日本だけ、というかアメリカをはじめほとんどの国ではシングルカットすらされていない。まずは5分以上にも及ぶ演奏時間はシングルカットするには長すぎたかもしれない上に、歌詞のテーマも人間の精神に潜む多面性とでもいうような、なかなかキャッチーではないテーマが扱われている。
ピアノの演奏と口笛のイントロはわりと長めで、それから一気にポップロック的になる。この曲は日本で独自にシングルカットされ、ソニーのラジカセ、ZILBA-PシリーズのCMソングに起用されたことも手伝い、オリコン週間シングルランキングで最高2位にまで上りつめる大ヒットを記録した。
ちなみにその週の1位はピンク・レディー「モンスター」なのだが、4位にはビー・ジーズ「恋のナイト・フィーヴァー」、8位にはアラベスク「ハロー、ミスター・モンキー」がランクインしていて、上位10曲中の3曲が洋楽であった。
当時、日本のラジオでもよく流れていたため、洋楽を主体的に聴いていたわけでもなかった小学生の私ですら、この曲を認知していた。
それで、春休みに留萌に遊びにいったときに叔母に連れていってもらった喫茶店でこの曲が流れていたのだが、「この歌なんていうの?」と聞かれたときに、「ビリー・ジョエルの『ストレンジャー』だよ」とわりと自慢げに答えた記憶がある。
023. 夏のお嬢さん/榊原郁恵(1978)
榊原郁恵の7枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高11位、「ザ・ベストテン」では最高5位を記録した。
この頃はニューミュージックブームであり、職業作家が書いた曲を歌っている歌謡曲の歌手よりも自分自身で書いた曲を歌っているニューミュージックのアーティストの方がエラいしカッコいいというような風潮がなんとなくあった。とはいえ、ニューミュージックにカテゴライズされているアーティストであっても、職業作家が書いた曲を歌っていた人たちは結構いたような気はする。
それはそうとして、一方、歌謡ポップス界に注目してみると、ピンク・レディー、沢田研二、山口百恵、西城秀樹、郷ひろみらをはじめとする大御所たちは相変わらずヒット曲を連発し続けていて、フレッシュアイドルたちにとってはなかなか受難のときだったような印象がある。
そんな中でも榊原郁恵、大場久美子、石野真子あたりは人気が高い方で、テレビによく出ていたり、ブロマイドが売れたりはしていたはずである。
個人的に1977年デビュー組の中では高田みづえを推し気味ではあったのだが、榊原郁恵のことももちろん気にはなっていた。キャラクターがとにかく明るく、特にこの曲などを聴いていると、歌声そのものが笑っているようですらある。そして、プロポーションがとにかく抜群というか健康なお色気なるものを発揮してもいたため、水着グラビアなどにとにかく定評があった。
それで、小学生ながら私も芸能雑誌の「明星」か「平凡」に付いていた水着ポスターを部屋に貼っていたことが思い出される。それで、この「夏のお嬢さん」はそんな榊原郁恵のキャラクターにマッチした素晴らしいサマーポップソングであり、特に「ビーチパラソル ひくくしてかくれろ」のくだりなどは感動的ですらある。
「アイスクリーム ユースクリーム 恋する季節」というところは「私は叫ぶ」という意味での「I scream」などなのだろうが、もちろん氷菓のアイスクリームを連想するわけであり、後にジム・ジャームッシュ監督の映画「ダウン・バイ・ロー」を見たときには、なるほどこれだったのかと感激したものである。
第1回大会で榊原郁恵がグランプリに輝いたオーディション「ホリプロタレントスカウトキャラバン」を告知するラジオスポットでこの曲の一部が流れていた時点で、これは絶対に買わなければならないと確信し、小学生のなけなしの小遣いでこの曲のシングルレコードを買った。
2025年5月現在、ストリーミングサービスでも聴くことができないのだが、YouTubeなどで検索すると当時のパフォーマンス映像が見られたりするかもしれないので、ぜひとも見ていただきたいと心から思うのである。
024. 勝手にシンドバッド/サザンオールスターズ(1978)
まずはこの曲がいつの間にかYouTubeでフル視聴できるようになっていたという事実に感激しているのだが、サザンオールスターズのデビューシングルである。オリコン週間シングルランキングで最高3位、「ザ・ベストテン」では最高4位を記録しているのだが、そこに至るまでには数ヶ月間を要していたはずである。
この曲もやはり初めて聴いたのはラジオであり、それまでに聴いてきた日本のポップソングとはあまりにも違いすぎていて衝撃を覚えた。タイトルはこの前の年に大ヒットした沢田研二「勝手にしやがれ」とピンク・レディー「渚のシンドバッド」をつなげ合わせたものだが、実際にこの2曲を組み合わせた音源を用いてドリフターズの志村けんがテレビで披露していたギャグのタイトルでもあった。
ユニークなボーカルで歌われる歌詞は早口で何を言っているのか正確に分からず、「今何時」という問いかけに対しては、「そうねだいたいね」「ちょっと待ってて」「まだ早い」とはっきりしたことを答えない。「胸さわぎの腰つき」というのも当時はどういった状態なのかさっぱり分からないし、そもそも「茅ヶ崎」や「江の島」という地名すらおそらくこの曲で初めて知った。
しかし、「ラララー ラララ ラララー」と繰り返されるコーラスも含め、どこか祝祭的なノリというかグルーブが感じられ、なんだかとても気になったのであった。それで、ラジオ番組から録音したカセットを再生したり一時停止したりしながら、なんとか歌詞を紙に書き起こそうとしたりもした。
そのうちサザンオールスターズがテレビ番組に出演してこの曲をパフォーマンスするのを見ることになるのだが、メンバー全員がジョギングパンツのようなカジュアルというかスポーティーな格好をしていて、演奏も楽しげでお祭り騒ぎ的である。
一体これは何なんだと大興奮した当時、小学生の私は旭川市内のレコード店でこの曲のシングルを買うことになるのだが、それがどの店だったかについてはよく覚えていない。
よくいわれているように、当時のサザンオールスターズはあまりにも前例のない破天荒な存在だったことから、コミックバンド的に見られているようなところもあり、一発屋的に消えていくような雰囲気をも漂わせていた。
025. グッド・ラック/野口五郎(1978)
野口五郎は郷ひろみ、西城秀樹と共に新御三家と呼ばれる人気男性アイドルであり、新曲を出せば必ずベストテンにランクインするような存在であった。特に1970年代半ばにはオリコン週間シングルランキングで連続して1位に輝いた「甘い生活」「私鉄沿線」が連続して大ヒットした印象が強い。
それと同時にバラエティ番組「カックラキン大放送!!」のコントなどで見せるコミカルな面も魅力的であり、子供たちにもわりと受けていたような印象がある。デビュー曲が演歌の「博多みれん」だったことなどが話題になる一方で、かなりのギターマニアとしても知られるようになっていった。
野口五郎の28枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングでは最高4位、実に21曲目のトップ10ヒットとなったこの曲は「男は心にオーデコロンをつけちゃいけない わかってくれよ」などと歌われるキザなヒットソングという印象があったのだが、後に聴きなおしてみてシティポップ歌謡とでもいうべきやたらとカッコいいサウンドと歌謡曲的なボーカルの組み合わせがたまらないなと、改めてその魅力に気づかされたのであった。