500曲で振り返る凡庸なポップソングリスナーの生涯 <第7回>
アイム・セクシー/ロッド・スチュワート(1978)
ロッド・スチュワートのソロアーティストとしては通算9作目のスタジオアルバム「スーパースターはブロンドがお好き」から先行シングルとしてリリースされ、アメリカやイギリスなどのヒットチャートで1位、日本のオリコン週間シングルランキングでも最高17位のヒットを記録した。
当時大流行していたディスコミュージックを取り入れた楽曲で、ロックシンガーとしてのロッド・スチュワートのファンやロックジャーナリストからの評価は芳しくなかったようだが、大衆的には大ヒットとなった。
ロックジャーナリズムにおいてはディスコミュージックまだ正当に評価されていなかったりというような状況もあったようなのだが、ロックンロールの真髄を体現しているような印象もあるローリング・ストーンズですらディスコミュージックを取り入れたシングル「ミス・ユー」を大ヒットさせていた。
032. おしゃれフリーク/シック(1978)
シックの2作目のアルバム「エレガンス・シック」から先行シングルとしてリリースされ、通算6週1位、日本ではオリコン週間シングルランキングで最高37位を記録した。ディスコブームを代表するヒット曲の1つで、当時、日本のラジオでもよくオンエアされていた。
メンバーのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズがグレイス・ジョーンズに招待されて、ニューヨークのトレンディなディスコ54を訪れたのだが、話が通っていなかったりしてドアマンから入場を拒否され、そのときの怒りをぶちまけた曲だったようである。「Freak out!」というかけ声も、当初は「Fuck off!」だったようだ。
033. セプテンバー/アース・ウィンド・アンド・ファイアー(1978)
アース・ウィンド・アンド・ファイアーのベストアルバム「ベスト・オブ・EW & F VOL.1」に新曲として収録される少し前にシングルとしてリリースされ、全米シングルチャートで最高8位、オリコン週間シングルランキングでは最高39位を記録した。
ホーンセクションを取り入れたファンキーなサウンドとハイトーンのボーカルが特徴的な大世帯バンドで、ディスコブームの渦中において日本の音楽ファンの間でもひじょうに人気が高かった記憶がある。
個人的に小学校高学年でクラスが同じで中学生から高校生の頃にお互いが買ったレコードを聴かせ合う会を定期的に開催していた友人がスティーヴィー・ワンダーと並んで最も心酔していたアーティストであり、彼の部屋で聴いた印象がひじょうに強い。
9月になるとなんとなく聴きたくなるような気もするのだが、歌詞はクリスマスシーズンに9月の出来事を思い出しているという内容である。
また、新潟を拠点とする3人組アイドルグループ、Negiccoのファンにとっては「ねぇバーディア」案件の楽曲としても知られる。
034. 君は薔薇より美しい/布施明(1979)
布施明の42枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高8位、「ザ・ベストテン」では最高4位のヒットを記録した。
当時、中学1年ぐらいだった世代の人たちにとっては布施明といえばかつて「シクラメンのかほり」でレコード大賞などを受賞したこともあるベテラン歌手というイメージが強かったのだが、カネボウ化粧品のCMソングでもあったこの曲には、ゴージャスでありながら軽快なサウンドも含め、フレッシュなポップ感覚が感じられたのであった。
作曲・編曲はニューミュージックブームでひじょうに人気が高かったバンド、ゴダイゴのミッキー吉野で、ボーカリストのタケカワユキヒデを除いたメンバーは演奏にも参加している。
035. いとしのエリー/サザンオールスターズ(1979)
サザンオールスターズの3枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位、「ザ・ベストテン」では7週連続1位、年間チャートでは小林幸子「おもいで酒」に次ぐ2位の大ヒットを記録した。
デビューシングル「勝手にシンドバッド」で日本のポップミュージックシーンに衝撃をあたえたサザンオールスターズだが、いろいろな意味であまりにも新しすぎたこともあり、当時はコミックバンド的な見方をされていたところもある。
2枚目のシングル「気分しだいで責めないで」も同じような路線であり、デビューシングルの余波でまあまあヒットはしたもののパワーダウンは否めなく、そのままフェイドアウトしていきかねない雰囲気もあったし、桑田佳祐はテレビの音楽番組でこの曲をパフォーマンスしながら「ノイローゼ」などと絶叫していた。
そして、リリースされた3枚目のシングルが「いとしのエリー」で、バラードであった。ラジオで聴いたときの個人的な印象はサザンオールスターズにしては普通の曲であり、このまま地味に盛り上がらなくなっていきそうな予感もしていた。
しかし、聴けば聴くほど実は良い曲なのではないかというような気分になっていき、ヒットチャートでの順位も上昇していった。気づけばこの年を代表する大ヒット曲の1つであるのみならず、不朽の名曲としてのオーラさえまとうようになっていた。
この曲のヒット以降、サザンオールスターズはその高い音楽性が一般大衆的にも正当的に認められ、コミックバンド的な見られ方も一切されなくなるのと同時に、桑田佳祐はソングライターやパフォーマーとして天才なのではないだろうか、というような評価にもつながっていく。
後にピチカート・ファイヴ「これは恋ではない」、小沢健二「愛し愛され生きるのさ」といった、いわゆる「渋谷系」の名曲の歌詞においても、この曲が言及されることになる。
また、桑田佳祐が敬愛するレイ・チャールズが「エリー・マイ・ラブ」としてカバーバージョンをリリースし、ヒットしたこともあった。