1984年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト20

映像がヒット・チャートに影響をあたえるという流れはもはや止めることができない程の勢いになっていたわけだが、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンやマイケル・ジャクソン「スリラー」に続いては、ビッグなアーティスト達がプロモーションの手段や新たな表現手法の一つとして映像を用い、それがひじょうに受けるというような事例もいろいろと見られるようになっていった。それが、スーパースターの時代につながり、一方で今日ではソフィスティ・ポップなどとも呼ばれがちな、ニュー・ウェイヴから派生してソウル・ミュージックやジャズなどの要素も取り入れた、おしゃれで洗練されたポップ・ミュージックが流行りはじめたりもしていた。そんな1984年のポップ・ソングの中から、特に重要だと思われる20曲を選んでいきたい。

20. What’s Love Go To Do With It – Tina Turner

アイク&ティナ・ターナーでヒット曲を出したりもしていたベテランR&Bシンガー、ティナ・ターナーがカムバックし、その力強いボーカルとコンテンポラリーなサウンドとの組み合わせで大ヒットを記録したのがアルバム「プライヴェート・ダンサー」で、シングル・カットされたこの曲は「愛の魔力」の邦題でも知られ、全米シングル・チャートで1位に輝いたり、グラミー賞で3部門を受賞したりした。

19. When Love Breaks Down – Prefab Sprout

ソフィスティ・ポップの名盤といえば、プリファブ・スプラウトの「スティーヴ・マックイーン」だが、この曲は先行シングルとしてリリースされ、当初は全英シングル・チャートにランクインしなかったが、翌年に再発され最高25位を記録した。卓越したソングライティングと、当時を感じさせるがそれがいなやエヴァーグリーンにも感じられるサウンドがたまらなく良い。

18. Smooth Operator – Sade

これもまた現在であれば迷わずソフィスティ・ポップと呼びたくなる音楽性なのだが、当時はどう呼んでいたかよく覚えていない。シャーデーは個人ではなくバンドの名前だが、ボーカリストのシャーデー・アデュが元モデルという経歴も含め、日本でもおしゃれな音楽としてとても人気があった。デビュー・アルバム「ダイヤモンド・ライフ」はまず本国のイギリスでヒットしたのだが、翌年にはアメリカでもとても売れるようになり、シングル・カットされたこの曲は全米シングル・チャートで最高5位を記録した。

17. Heaven Knows I’m Miserable Now – The Smiths

イギリスのインディー・ロック・ファンから熱烈な支持を受けていたザ・スミスのシングルで、モリッシーの独特なセンスとユーモアが生かされた歌詞に、ネオ・アコースティック的でもあるサウンドも素晴らしい。演奏はとても爽やかに聴こえるのだが、歌われている内容は仕事が見つかってとても惨めだ、働きたくないという見事なものである。

16. I Wanna Be Loved – Elvis Costello & The Attractions

見苦しいほど愛されたい、というような言葉があるように、愛されたいという欲望は多くの人々に共通するものではあると思うのだが、それを表明することはそれほど美しくはないとされることもある。エルヴィス・コステロのこの曲においては、ただそのことだけが繰り返し切実に歌われていて、哀感とユーモアに溢れているように感じられる。全英シングル・チャートでは最高25位を記録し、アルバム「グッバイ・クルエル・ワールド」にも収録されている。

15. Material Girl – Madonna

マドンナはデビュー・アルバム「バーニング・アップ」から「ホリデイ」「ボーダーライン」「ラッキー・スター」を続けてヒットさせ、1984年の秋にリリースした「ライク・ア・ヴァージン」が全米シングル・チャートで初の1位、一気にポップ・アイコン化していったのであった。この曲は「ライク・ア・ヴァージン」のアルバムに収録され、翌年にシングル・カットされると全米シングル・チャートで最高2位のヒットを記録した。物質主義的な80年代の気分にマッチしたテーマがハマり、ビデオではマリリン・モンローにオマージュを捧げるなど、いよいよマドンナの時代が加速していくのであった。

14. My Ever Changing Moods – The Style Council

ポール・ウェラーがイギリスで大人気だったバンド、ザ・ジャムを解散してはじめたのが、ザ・スタイル・カウンシルであった。ソウル・ミュージックやジャズからも影響を受けたその音楽性はザ・ジャム時代のファンからは賛否両論だったというのだが、日本やアメリカではむしろこちらの方が受けたともいえ、この曲はザ・ジャムが一度もランクインしなかった全米シングル・チャートで、最高29位を記録した。日本ではザ・ジャムなどは知らないような人達にまで、おしゃれな音楽として支持されているようなところもあった。アルバム「カフェ・ブリュ」にはこの曲のシングルとは別のバージョンが収録されている。

13. Wood Beez (Pray Like Aretha Franklin) – Scritti Politti

中心メンバーのグリーン・ガートサイドが美青年だったので、日本のニュー・ウェイヴ少女たちにもひじょうに人気があったような気がするスクリッティ・ポリッティだが、ソウル・ミュージックに影響を受け、温もりが感じられるシンセ・ポップとしてその音楽性も高く評価され、このシングルなどは「ミュージック・マガジン」の年間ベストにも何人かの選者が挙げていた記憶がある。全英シングル・チャートでは最高10位を記録した。この曲も収録した翌年発売のアルバム「キューピッド&サイケ85」もとても素晴らしい。

12. I Want To Know What Love Is – Foreigner

産業ロックなどと(渋谷陽一などから)呼ばれて、それほどクールではないとされていた音楽があり、パンク/ニュー・ウェイヴ的な概念とは対立するものとされていたようなところがあるのだが、売れているものならばほとんど好きなミーハーである私はわりと気に入って聴いていたりもした。1981年の「ガール・ライク・ユー」は全米シングル・チャートで10週連続2位を記録するものの、オリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」が強すぎたことなどにより、結局は1位に上がれずに終わった。ところが、この曲は見事に1位に輝いたばかりか、「ミュージック・マガジン」に辛口な批評を連載していたグリール・マーカスも高く評価していたりもした。ゴスペル音楽の要素なども取り入れ、愛とは一体何なのかを知りたい、というような不朽のテーマについて歌ったパワーバラードである。

11. Nelson Mandela – The Special A.K.A.

南アフリカにはアパルトヘイトがあり、反対運動を行って終身刑の判決を受けたたネルソン・マンデラは獄中生活を余儀なくされていた。その解放を訴え、人種差別に対し抗議したプロテストソングがこの曲であり、全英シングル・チャートでは最高9位を記録した。ネルソン・マンデラは1990年に釈放され、後にノーベル平和賞を受賞している。この曲を収録したアルバム「イン・ザ・スタジオ」もとても良い。

10. Two Tribes – Frankie Goes To Hollywood

当時の世界情勢においては、アメリカ合衆国とソビエト戦争との間で冷たい戦争が行われていて、世界の人々はいつ起こるとも知れぬ核戦争の恐怖に怯えているようなところもあった。「リラックス」を大ヒットさせたフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドが次にリリースしたシングルは、反戦をテーマにしていて、アメリカのロナルド・レーガン大統領とソビエト連邦のコンスタンティン・チェルネンコ書記長とが土俵の上で戦い、各国の首脳が観客としてエキサイトするというビデオも話題になった。この曲も「リラックス」に続いて、全英シングル・チャートの1位に輝いたのであった。

9. I Feel For You – Chaka Khan

プリンスが1979年のアルバム「愛のペガサス」に収録していた「恋のフィーリング」をチャカ・カーンがカバーし、全米シングル・チャートで最高3位、全英シングル・チャートでは1位に輝いた。当時、まさに旬のアーティストであったプリンスの過去の楽曲をタイムリーに取り上げたのみならず、最高のダンス・ポップ・トラックとしてアップデートしているように感じられてとても良い。邦題は「愛のフィーリング」ではなく「フィール・フォー・ユー」で、現在はプリンスのオリジナルもこれになっている。

8. The Boys Of Summer – Don Henley

元イーグルスのドン・ヘンリーが2作目のソロ・アルバムとしてリリースした「ビルディング・ザ・パーフェクト・ビースト」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高5位を記録した。いまや夏をテーマにしたポップ・ソングのリストやプレイリストに選ばれがちな曲となったが、ヒットしていたのは冬であった。

7. Purple Rain – Prince & The Revolution

批評家からの評価は高かったのだが、1982年のアルバム「1999」からシングル・カットされた「リトル・レッド・コルヴェット」が全米シングル・チャートで初のトップ10入り、さらにはこの年にリリースされた主演映画「パープル・レイン」のサウンドトラックが全米アルバム・チャートで1位に輝き、ついにメインストリームで大ブレイク、ポップ・アイコン化するに至った。

タイトルトラックでもあるこの曲はバラードであり、アルバムから3枚目のシングルとしてリリースされた。「ビートに抱かれて」「レッツ・ゴー・クレイジー」が全米シングル・チャートで連続1位に続いて、この曲も最高2位を記録した。

6. The Killing Moon – Echo & The Bunnymen

イギリスのインディー・ロック・バンドで当時、特に人気があったのが、ザ・スミス、ザ・キュアー、エコー&ザ・バニーメンであった。日本のニュー・ウェイヴファンの間ではエコバニの略称でも親しまれたエコー&ザ・バニーメンは、中心メンバーであるイアン・マッカロクのビッグマウスでも有名であった。

この曲はバンドにとっての最高傑作ともいわれるアルバム「オーシャン・レイン」からの先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高9位を記録した。

5. Pride (In The Name Of Love) – U2

U2の4作目のアルバム「焔(ほのお)」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高3位を記録した。ブライアン・イーノとダニエル・ラノアをプロデューサーに迎えた、最初のシングルでもある。アメリカでは全米シングル・チャートで最高33位を記録し、初のトップ40入りを果たした。この年の秋にテレビ朝日系の番組として初めて放送が開始されたMTVで、よくこの曲のビデオがかかっていた。人種差別撤廃に向けて活動を行い、そのために暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師のことが歌われている。

4. Dancing In The Dark – Bruce Springsteen

ブルース・スプリングスティーンのアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」からの先行シングルで、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。ブルース・スプリングスティーンのキャリアの中でも最もヒットしたシングルではあるのだが、代表曲とはあまりされていないような気がする。アルバムはシンセ・ポップ全盛の時代にストレートなロックがカッコいい、というようなものであったが、この曲ではシンセサイザーをほんのりと導入し、時代のトレンドに寄せにいっているようなところが感じられる。そこがとても良いのではないだろうかというような気もするのだが、そうではない意見の方が多いように感じられる。

3. Like A Virgin – Madonna

デビュー・アルバム「バーニング・アップ」から3曲連続ヒットの後にこの曲だったのだが、一気にメジャー感が増したように思えた。ナイル・ロジャーズがプロデュースのコンテンポラリーなダンス・ポップで、これは本格的に売ろうとしているように思えたし、実際にとても売れたようなので良かった。全米シングル・チャートでは、マドンナにとって初めての1位を記録している。

2. How Soon Is Now? – The Smiths

シングル「ヘヴン・ノウズ」のB面としてリリースされたが、とても人気があったので翌年にはシングルA面として発売され、全英シングル・チャートで最高24位(1992年の再リリース時には16位)を記録している。

ザ・スミスの楽曲にしてはロック的なカタルシスのようなものが感じられるサウンドになっていて、歌詞は出会いを求めてクラブに行くのだが、結局は一人ぼっちで踊って家に帰って泣いて死にたくなるという、一定のタイプの人々にとっては刺さりまくるような内容となっている。

1, When Doves Cry – Prince

主演映画「パープル・レイン」のサウンドトラックから先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートでプリンスにとって初となる1位を記録した。邦題は「ビートに抱かれて」である。ベースが入っていないなど、ポップ・ソングとしてはひじょうに特殊なつくりになってはいるのだが、それでもポップでキャッチーだというところがとにかくすごい。だとしても、これが全米シングル・チャートで1位というのがとても良い。ここから、プリンスの時代もやはり本格的にはじまっていく。