ビリー・アイリッシュ「バッド・ガイ」について。

ビリー・アイリッシュの「バッド・ガイ」が全米シングル・チャートで1位に輝いたのは、2019年8月24日付でのことであった。ラッパー、リル・ナス・Xがカントリー歌手のビリー・レイ・サイラスをフィーチャーした「オール・タウン・ロード」のリミックスバージョンがこの前の週までは19週連続1位で、これはすでに全米シングル・チャート史上、最長記録を更新していた。「バッド・ガイ」はこの曲を収録しているビリー・アイリッシュのデビュー・アルバム「ホエン・ウィ・オール・フォール・アスリープ、ホエア・ドゥ・ウィ・ゴー?」と同時にシングルとしてもリリースされ、アルバムは初登場で1位になったのだが、シングルの方は約5ヶ月間かかって1位になったことになる。それというのも、この全米シングル・チャート歴代1位最長記録のリル・ナス・X「オール・ダウン・ロード」があまりにも強かったからということもできるのだが、「バッド・ガイ」はこの曲の下で9週連続2位の末に1位になり、これもまた全米シングル・チャート史上新記録である。2位の連続記録ということでいうと、たとえば1981年から翌年にかけて、オリヴィア・ニュートン・ジョン「フィジカル」とダリル・ホール&ジョン・オーツ「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」の下でフォリナー「ガール・ライク・ユー」が10週連続を記録しているのだが、この曲は結局は1位になれなかった。「バッド・ガイ」の場合、最終的に1位になったというところがポイントである。

ダークでミニマリスト的なサウンドと囁くようなボーカル、曲のテンポが途中でかなり落ちたりもする。ひじょうにユニークなポップ・ソングなのだが、歌詞がティーンエイジ・アングスト的でありながら皮肉も効いていて、オルタナティヴとメインストリームの境界を行き来するような快感がある。タイトルの「バッド・ガイ」は悪ぶってカッコつけている男やそういったイメージそのものを皮肉っているような、この曲の内容を端的にあらわしていて、本当に悪いのは実は自分の方なのだ歌っているところがとても良い。この曲は西暦2000年以降に生まれたアーティストが記録した初の全米NO.1でもあるらしく、そういった意味でも新しい時代を感じさせてくれた。とはいえ、ポップ・ミュージックというのは基本的に若者のためのものである場合が多く、健全であるようにも思え、ビリー・アイリッシュの親ぐらいの年代であろう私がこの曲のポップスとしてのスリルをじゅうぶんに感じられているとはまったく思えない。それでもこの曲のヒットが画期的であり、時代から必然的に求められたものではないかという気はなんとなくしている。

コマーシャルに売れているものと批評的に高く評価されているものとは近かったり遠かったりいろいろな時があるのだが、これが一致していた時のダイナミズムにはたまらないものがあり、たとえばプリンスの「パープル・レイン」が大ヒットしていた時などに近いような感覚がある。マドンナの「ライク・ア・プレイヤー」などもまさにそうだったのだが、コマーシャル的には「ライク・ア・ヴァージン」などの時の印象の方が強く、その時代に多感なポップ・ミュージック生活を送っていた世代にはそういった感覚が刷り込まれているケースも少なくはないのではないか。そういった意味で、ビリー・アイリッシュの存在というのはひじょうに面白く感じられる。

「バッド・ガイ」のミュージックビデオを見ると、やはりこの頃のビリー・アイリッシュを特徴づける緑色の髪であったり虚ろげな表情だったりというのが目立っていて、これはあの時代を象徴するイメージでもあったなと感じさせる。とはいえ、それほど時間は経っていないのだが、いわゆるコロナ禍よりも前と後で、実際以上の年月の経過を感じさせられたりもする。そして、約2年後にリリースしたアルバム「ハピアー・ザン・エヴァー」のジャケットにおいては髪の色がブロンドで、音楽的にもより深化を遂げながらオーセンティック気味な魅力も感じられたりもする。この間にグラミー賞の主要部門を受賞したり、「007」シリーズの主題歌を手がけたりもしている。SNS時代のファンダムやセレブリティー文化にさらされ、その苦悩を赤裸々に作品に反映させている点などもいかにも現在的である。

現在進行形でそのクリエイティヴィティーやポピュラリティーのピークがまだこの先かもしれないという期待をいだかせてくれるアーティストなわけであり、その動向をこれからも追えることはポップ・ミュージックファンの楽しみであり希望でもある。その過程における重要な楽曲であり、ポップ・ミュージック史におけるモダン・クラシックとしては比較的新しめ(カーディ・Bとミーガン・ジー・スタリオンの「WAP」などもあるため、最新という訳ではない)の作品だということができる。