佐野元春の名曲ベスト30(30-21)
1956年3月13日に東京都で生まれ、1980年3月21日にシングル「アンジェリーナ」でデビューした佐野元春の楽曲から、これは特に名曲なのではないかと思える30曲を挙げていく回である。
30. NIGHT LIFE (1981)
「アンジェリーナ」「ガラスのジェネレーション」に続く3枚目のシングルだが、ベストアルバムに収録される確率はそれほど高くはないような気もする。とはいえ、個人的にひじょうに重要な楽曲というか、初めて好きになった佐野元春の曲である。1981年の春に旭川の中学生だったわけだが、部活も何もやっていなかったので帰宅してNHK-FMの「軽音楽をあなたに」で、佐野元春の最新アルバム「Heart Beat」から、「ガラスのジェネレーション」「NIGHT LIFE」「君をさがしている(朝が来るまで)」の3曲がオンエアされたのであった。それまで、佐野元春の名前は音楽雑誌などで見たことはあり、ライヴハウスで若者に人気の新進気鋭のロッカーというようなイメージを持ってはいたのだが、実際にその音楽を聴いたことはなかった。
それまで聴いていた日本のロックやポップスとは一味違った言語感覚、どこかシャイなクールネスを感じさせるボーカルなどに良さを感じ、たまたま録音していたカセットテープを何度も繰り返し聴いた。特にこの「NIGHT LIFE」には、キラキラした都会の生活をイメージさせてくれるようなところがあり、文字通りシティ・ポップとして聴いていた可能性がひじょうに高い。「ガラスのジェネレーション」と共に、畑中葉子が主演したにっかつロマンポルノ作品で使われていたことはあまり知られていないような気がする。
29. SHAME-君を汚したのは誰 (1984)
佐野元春は1981年に大滝詠一のナイアガラ・トライアングルのメンバーとして、杉真理と共に抜擢され、秋にはシングル「A面で恋をして」がオリコン週間シングルランキングで最高14位のヒットを記録する。それをきっかけに、ソロアーティストとしてもより広く知られるようになり、1982年にリリースした3作目のアルバム「SOMEDAY」がオリコン週間アルバムランキングで最高4位、翌年には初のベストアルバム「No Damage(14のありふれたチャイム達)」が1位に輝いた。その絶好のタイミングになんと単身でニューヨークに渡り、地元のミュージシャン達と新しい音楽をつくりはじめたのだが、その成果として翌年に届けられたのがあの問題作「VISITORS」であった。
今日では日本のメインストリームのポップミュージックにおいて、いち早くヒップホップを取り入れた作品として高く評価されているのだが、当時はあまりにも音楽性が変わりすぎてファンの間でも賛否両論であった。NHK-FMの「元春レディオショー」こと「サウンドストリート」でオンエアされた先行シングル「TONIGHT」はまだそれまでの音楽性にも近いものだったのだが、そのカップリング曲「SHAME-君を汚したのは誰」がひじょうにヘヴィーな内容で衝撃を受けたことを覚えている。「VISITORS」全般のヒップホップ導入による衝撃ではなく、この曲の場合はバラードであったため、曲そのものに対してのそれである。
「誰かのエゴがみえる 誰かにエゴをみせたくはない」の「エゴ」を「ヘド」と聴き間違えたというような原稿が、「ロッキング・オン」だったか「よい子の歌謡曲」だったかに載っていたような気がする。ちなみに「ロッキング・オンJAPAN」の創刊はこの翌々年で、創刊号の表紙は佐野元春だったのだが、それ以前は日本人アーティストについての記事も「ロッキング・オン」に掲載されていた。「偽り 策略 謀略 競争 偏見」といったワードの羅列が続き、「ひどすぎる」と締められ、「I’m so angry この気持ちは消えない」といフレーズにエッセンスが凝縮されているように思えた。まるで「ジョンの魂」のような、佐野元春楽曲である。
28. Strange Days -奇妙な日々- (1986)
1986年というのは個人的には大学に入学し、小田急相模原のワンルームマンションで暮らしはじめた年という印象がひじょうに強いのだが、このシングルから3枚連続でなんだか通常よりも少し豪華な仕様のパッケージに入った7インチシングルで発売されて、コツコツとそれらを買い続けていた。アナログレコードからCDへの移行がグッと進んでいた頃で、個人的にもこの年の春に本厚木の丸井ではじめてのCDプレイヤーを購入するのだが、CDシングルというものはまだ存在していなく、アルバムはCDでも出ているがシングルはアナログレコードだけという状態が何年か続いていた。
この曲はフォークロック的というのだろうか、どこかメッセージソングのようなところもあるのだが、抜けのよいポップ感覚も感じられて、なんだかまた新しいことがはじまるのだろうな、と予感させられたりもした。オリコン週間シングルランキングでは、最高5位のヒットを記録した。
27. グッドバイからはじめよう (1983)
ベストアルバム「No Damage(14のありふれたチャイム達)」からの先行シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高34位を記録した。絶賛ブレイク中でノリにノッていた時期ではあったのだが、それにしては地味すぎはしないだろうか、という感想も少なくとも一部ではあったような気もする。
「どうしてあなたはそんなに手を振るのだろう 僕の手はポケットの中なのに」というフレーズが好きすぎるというような話を、休み時間に教室の後ろの方で友人としていたことが思い出される。この曲を置き土産に佐野元春は単身でニューヨークに旅立ち、「No Damage(14のありふれたチャイム達)」はオリコン週間アルバムランキングで初の1位に輝いた。
26. TONIGHT (1984)
約1年間のニューヨーク生活を経て、届いた通算4作目のオリジナルアルバム「VISITORS」からの先行シングルである。アルバム全体のラジカルさからしてみると、まだ無難な方ではあるのだが、それでも新しさはじゅうぶんに感じられた。ニューヨークだけに、「雨あがりの街に」というところを当初は「女神の街に」と空耳していたのだが、同様のリスナーは他にいないのだろうか。
「VISITORS」はファンの間では賛否両論だったものの、音楽評論家のような人達には概ね好評で、中でもハードロック/ヘヴィーメタルが専門分野の伊藤政則が好き嫌いは別にしてと前置きしながらも高評価していたのが印象的である。オリコン週間シングルランキングでは、12インチが最高23位、7インチが最高32位を記録している。
25. Wild Hearts -冒険者たち- (1986)
1986年にリリースされた7インチシングル3連発のうちの3枚目で、ソウルミュージックのからの影響が感じられる。これはかなり指摘されていたことでもあるが、ザ・スタイル・カウンシルに通じるところもひじょうにある。ちなみに佐野元春とポール・ウェラーは、日本の学年でいうと1つ違いである。
それはそうとして、「土曜の午後 仕事で車を走らせていた ラジオに流れるR&B 昔よく口ずさんだメロディー」というような大人な気分に自分もいずれなるのだろうかと、当時は考えていたものである。オリコン週間シングルランキングでは最高7位を記録した。
24. Sugartime (1982)
アルバム「SOMEDAY」からの先行シングルで、オリコン週間シングルランキングでの最高位は77位であった。「ナイアガラ・トライアングルVol.2」で共演した杉真理がコーラスで参加している。
当時の佐野元春にはシングルヒットを出したいという希望もあり、インタヴューか何かでベストテンに入っているような曲の後に自分の曲を聴いて、どこが違っているのか考えたりもする、というようなことも言っていたような気がする。ポップスの魔法が感じられるドリーミーな楽曲であり、アルバムの1曲目にもひじょうに相応しい。
23. 誰かが君のドアを叩いてる (1992)
アルバム「Sweet16」からの先行シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。本人が出演したTDKのテレビCMでも使われていて、後にマキシシングルと呼ばれることになるアルバムと同じサイズのCDでリリースされたのだが、当時の帯には「スペシャル・5インチ・シングル盤」と印刷されている。
22. キャビアとキャピタリズム (2015)
佐野元春は80年代にデビュー、ブレイクして一時代を築いたアーティストなわけだが、2010年代にこのような曲をリリースしていることで、個人的にはひじょうに信頼がおけると強く感じることができる。
この曲は吉本隆明の訃報に際して書かれた詩が元になっているわけだが、要は市場原理主義に対する異議申し立てである。
21. 警告どおり 計画どおり (1988)
1988年の夏にリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高9位を記録した。アルバムでいうと「カフェ・ボヘミア」と「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の間にリリースされた。
「ウィンズゲール スリーマイルズ・アイランド チェルノブイリ すべては計画どおり」と歌われているように、いわゆる「反原発」ソングである。RCサクセションが親会社が原発メーカーでもあるため、東芝EMIから「反原発」ソングをも含むアルバム「カバーズ」の発売を中止され、ザ・ブルーハーツも「チェルノブイリ」という「反原発」ソングをリリースしていた。ポップミュージックはもちろん政治的であり、持ち込むとか持ち込まないとかいう話ではまったくないのだが、そういうことがナチュラルに表現された楽曲である。