松田聖子の名曲ベスト20 (10-1)

10. 秘密の花園 (1983)

1983年2月3日にリリースされた松田聖子にとって12枚目のシングルであり、オリコン週間シングルランキングでは「風は秋色/Eighteen」から10作連続での1位を記録した。同時期に近藤真彦「ミッドナイト・ステーション」や田原俊彦「ピエロ」、柏原芳恵「春なのに」などがヒットしていたことが思い出される。

松田聖子や田原俊彦のデビューから3年も経たずに、アイドルポップスは日本のヒットチャートのメインストリームとなっていた。中森明菜、小泉今日子といった「花の82年組」も台頭してくる中、松田聖子はキュートでポップでありながらも、マイルドなエロスを感じさせもするこのシングルをリリースした。ミニスカートの衣装も曲の内容と相まって、とても良かった。

すでに完成していた松本隆の歌詞に、ツアー中であった呉田軽穂(松任谷由実)が3日間で曲をつけたといわれている。

9. Rock’n Rouge (1984)

カネボウ化粧品のCMソングに起用された、ポップでキャッチーな楽曲である。1983年後半の「ガラスの林檎」「SWEET MEMORIES」「瞳はダイアモンド」といった、わりと本格的でスケールを感じさせる楽曲に比べ、この軽快さが新鮮さを感じさせ、デビューから2年も経たずにトップアイドル化していた中森明菜の重厚さとの差別化にもなっていたような気がする。

これもまた呉田軽穂(松任谷由実)による楽曲であり、ABBAのようなヨーロピアンテイストを意識したということである。「pure pure lips」というフレーズはクライアントであるカネボウから指定されたものだったようだが、「グッと渋いSports Car」ではじまるアメリカンなグラフィティ感覚は、この年にチェッカーズをブレイクしたタイプのトレンド感にも通じていたような気もする。

8. 風は秋色 (1980)

「Eighteen」との両A面でリリースされた、松田聖子にとって3枚目のシングルであり、オリコン週間シングルランキングでは初の1位獲得曲となった。以後、1988年の「旅立ちはフリージア」まで、実に24作連続での1位を記録する。

「La La La… Oh ミルキー・スマイル あなたの腕の中で旅をする」のサビからはじまる歌い出しの時点でつかみはOKであり、「泣き虫なのは あなたのせいよ」と切なげなところもたまらなく良い。この曲が収録されたアルバム「North Wind」のジャケットを、旭川のミュージックショップ国原や玉光堂でよく見かけたが、ジャケットでこちらを真っ直ぐに見つめるニットを着た松田聖子の姿に良さを覚えた。

7. 小麦色のマーメイド (1982)

呉田軽穂(松任谷由実)作曲による、AOR/シティ・ポップテイストのとても良い曲である。マーメイドこと人魚に足はないが、この曲では「わたし裸足のマーメイド」と歌われ、これが現実のようでありファンタジーでもあるポップスの魔法を感じさせもした。

物事には白黒がはっきり付けられるものばかりではなく、人の心ともなればなおのことであるが、この曲においては「嫌い あなたが大好きなの 嘘よ 本気よ」「好きよ 嫌いよ」と、そういった揺れ動くあいまいさの絶妙な良さのようなものがヴィヴィッドに表現されているようにも思える。2013年に大ヒットしたNHK連続テレビ小説で天野春子(小泉今日子)が歌った「潮騒のメモリー」(作詞・宮藤官九郎)においても、オマージュされている。

6. 裸足の季節 (1980)

1980年4月1日にリリースされた、松田聖子の記念すべきデビューシングルである。オリコン週間シングルランキングでは最高12位、TBSテレビ系の「ザ・ベストテン」では「今週のスポットライト」には出演したものの、最高11位でランクインは果たせなかった。この年の秋に山口百恵が引退することが決まっていて、「ポスト百恵」は誰かということが話題になっていた。

YMOが社会現象的ともいえるテクノブームを巻き起こし、山下達郎「RIDE ON TIME」が本人出演のCMの効果もあってヒットし、シティ・ポップ的なサウンドがお茶の間にも広まっていった。時代がなんとなくライトでポップなものを求めていたところに、松田聖子と田原俊彦がレコードデビューするなりブレイクを果たし、70年代後半には低迷していたフレッシュなアイドルポップスにスポットが当たるようになった。

個人的に松田聖子のことはラジオ番組「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」にレギュラー出演していたパンチガールの1人として知っていて、レコードデビューは秘かに応援してもいた。資生堂の洗顔フォームエクボのCMソングに起用されたが、映像に出演していたのは山田由紀子であった。

当時は普通に流行歌として聴いていたのだが、1980年のヒット曲をあつめたコンピレーションCDで聴いていると、当時の松田聖子の楽曲というのはサウンドのクオリティーもすでに驚異的に高かったのだということを思い知らされる。イントロのわくわく感からしてすでにもう最高であり、新しい時代の訪れを感じさせる。

5. 天国のキッス (1983)

その昔、はっぴいえんどという伝説のロックバンドが存在し、日本のポップミュージック史においてひじょうに重要な役割を果たし、YMOの細野晴臣や「A LONG VACATION」をヒットさせた大滝詠一もそのメンバーだったというようなことが語られてもいて、渋谷陽一のラジオ番組かなにかで「風をあつめて」あたりを初めて聴いたような気がする。「天国のキッス」よりも前だったか後だったかはよく覚えていない。

はっぴいえんどの元メンバー達のうち、大滝詠一、松本隆、鈴木茂はすでに松田聖子の楽曲にかかわっていたのだが、このシングルにおいてはついに細野晴臣が作曲・編曲を手がけている。後にテクノ歌謡などとも呼ばれることになるタイプの楽曲、スターボー「ハートブレイク太陽族」、真鍋ちえみ「ねらわれた少年」などを細野晴臣はこの前の年に手がけていたのだが、大きなヒットには至らなかった。

そして、そういったテクノ歌謡的な実験性を松田聖子というトップアーティストにも提供することになるのだが、これが絶妙な化学反応を実現させ、ひじょうにユニークなヒット曲の誕生となった。松本隆をして松田聖子プロジェクトの最高傑作といわしめたこの曲は、主演映画「プルメリアの伝説 天国のキッス」の主題歌でもあった。

この年に解散ならぬ散開することになるYMOは自らをテクノ歌謡化したかのような化粧品のCMソング「君に、胸キュン。」をシングルとしてリリースし、オリコン週間シングルランキングで最高2位という、テクノブーム期以上のヒットを記録するのだが、その時の1位がYMOのメンバーでもあった細野晴臣によるこの曲であった。

4. 風立ちぬ (1981)

1981年3月21日にリリースされたアルバム「A LONG VACATION」を大ヒットさせた大滝詠一がトップアイドル、松田聖子の曲を手がけたということで、当時ひじょうに話題になっていた。松田聖子のレコードのクオリティーはすでにひじょうに高いものではあったのだが、ニューミュージック的な音楽のファンにはまだまだ所詮はアイドル歌謡だと正当に評価していない人達も少なくはなかった。

完成した楽曲はまさにナイアガラサウンド、つまりオールディーズの洋楽ポップスから取り入れたエッセンスをいまどきの日本語ポップスにリメイクした最上級のそれであり、多くのニューミュージック的な音楽のファンをも納得させた。かわい子ぶりっ子と見なされて、ブレイクしてから少しの間は女性のアンチも多い印象であった松田聖子だが、この頃には「聖子ちゃんカット」が流行するなど、女性ファンも増えているといわれていた。土曜日に午前中に中学校の授業が終わり、家で昼食をとり「お笑いスター誕生」を見てから自転車で旭川の市街地に出て、ミュージックショップ国原に行くと、セーラー服を着た大人しそうな女学生が「風立ちぬ」のしかもアルバムの方を買っていた。

この頃の松田聖子は人気絶頂であり、激務のためか喉をいため、デビュー当時のような伸びのある声が出なくなっていたようだ。生出演で歌っていたベストテン番組などでもそれはじゅうぶんに感じられたのだが、それによってボーカリストとしてよりニュアンスにとんだ表現力を獲得することができたようにも思える。

3. 青い珊瑚礁 (1980)

2枚目のシングルでオリコン週間シングルランキングでは最高2位、TBSテレビ系の「ザ・ベストテン」では初の1位に輝いた。「あゝ私の恋は」の歌い出しで聴くことができる伸びのあるボーカルが素晴らしいのだが、フュージョンやAORといった当時のトレンドを取り入れたサウンドも特徴的で、松田聖子のレコードはアイドルポップスでありながらニューミュージックのような聴き方もできるというような感覚は、この曲も収録したデビューアルバム「SQUALL」の時点からすでにあったように思える。

デビュー前に出演していたラジオ番組「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」を聴いていたこともあり、秘かに応援はしていたものの、レコードを買うほどのファンではなかったのだが、玉光堂で誰かのレコードを買った時にキャンペーンでもらえたアーティスト名やロゴが印刷されたステッカーは松田聖子のものを選び、缶ペンケースに貼って使っていた。表面には黒マジックでプラスチックスのロゴを手書きしていた。

大滝詠一や呉田軽穂(松任谷由実)の曲を歌うようになって以降の唱法の方が表現力も格段に上であり、高く評価されてもいるのだが、デビュー当時のボーカルこそが至高なのではないかという意見もあって、個人的にはどちらも素晴らしいと思う。

2. 瞳はダイアモンド (1983)

個人的には2022年3月の時点で最も好きな松田聖子の楽曲だが、リリース当時にはその素晴らしさがそれほど理解できていなかったかもしれない。失恋ソングだが、都会的に洗練されていて、湿っぽくないところがとても良い。「映画色の街」というよく分からないようでなんとなく分かるような設定、AOR/シティ・ポップ的なサウンドも最高で、これもまた呉田軽穂(松任谷由実)楽曲である。

1. 赤いスイートピー (1982)

「春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ」という歌い出しのフレーズからしてもう導入としては最高なのだが、その次の「煙草の匂いのシャツ」というフレーズがもう当時の青少年にとっては反則レベルで絶妙すぎる。つまり、カジュアルに悪ぶってはいるわけであるが、「知り合った日から半年過ぎても あなたって手も握らない」のである。

つまりヘタレでしょうもないともいえるわけだが、こういう「あなた」に対し、この曲の主人公は「ちょっぴり気が弱いけど 素敵な人だから」「あなたと同じ青春 走ってゆきたいの」などと歌うわけである。「I will follow you」というフレーズで思い出すのだが、松田聖子は自身のラジオ番組でイルカが1981年にリリースしたシングル「FOLLOW ME」が気に入っているといっていて、そのサビの部分を少し歌ったりもしていた。

個人的にはサザンオールスターズ「チャコの海岸物語」や忌野清志郎+坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」などと共に、中学校の卒業を前にした少し感傷的な気分をも思い出させてくれる曲である。