サザンオールスターズの名曲ベスト50 Pt.1 (50-41)

サザンオールスターズはデビュー以来、40年以上にもわたって日本のロック&ポップス界のメインストリームであり続けているという驚異的なバンドなのだが、その楽曲でベストソングランキングのようなものをつくるのはひじょうに難しいのではないかと考えられる。

曲数ならばいくらでもあるのでまったく問題ないのだが、要は日本語ロックであり大衆歌謡の革命児的存在であった初期とJ-POPのビッグネームとなった中期以降の楽曲を並列に評価することの難しさである。特に個人的に前者の時代にリアルタイムでの熱心なファンとしてコミットしていたとするならば思い出補正との格闘という側面がある一方、その時代には生まれてすらいなかったようなナウなヤングにとっては、初期のサウンドはレコーディング技術の問題などもあり、あまりにも薄く感じられなくもなく、当時の衝撃を想像することがなかなか難しかったりはするのではないだろうか。

というような現実をふまえた上で、なんとかまとめ上げたベスト50をここでもやっていきたい。こういったタイプのリストの宿命ではあるのだが、どうしてあの曲が入っていないのだとか、あの曲よりもこの曲の方が上にランクインするのはどう考えてもおかしいだろうとか、根本的にこれはまったくダメなのではないだろうか、とか様々な感想を想定しながらも、お気楽にカウントダウンしていきたい。

50. 心を込めて花束を (1996)

サザンオールスターズの12作目のアルバム「Young Love」は前作までプロデュースに関わっていた小林武史と離れ、「原点回帰」をテーマにした作品であり、60~70年代の洋楽ロックやポップスからの影響が強く感じられる。

しかし、アルバムのラストに収録されたこの曲だけはピアノとオーケストラを主体とした演奏であり、アレンジをザ・ピーナッツや「シャボン玉ホリデー」の音楽などで知られる宮川泰が手がけている。

両親への感謝をテーマにした感動的なバラードであり、桑田佳祐が出席したラッツ&スターのメンバーの結婚式で、鈴木雅之の父が泣いている姿を見たことにインスパイアされたという。

49. 太陽は罪な奴 (1996)

アルバム「Young Love」からの先行シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高5位を記録した。

サザンオールスターズの作品に多い夏をテーマにした楽曲の1つだが、この曲では特にモータウンビートを取り入れているのが印象的である。

ミュージックビデオにはアントニオ猪木、かまやつひろし、グラビアアイドルの松田千奈などが出演していた。

48. ネオ・ブラボー!! (1991)

「筑紫哲也 NEW23」のエンディングテーマにも使われた通算29枚目のシングルで、オリコン週間シングルランキングでバンドにとって2曲目となる1位を記録した。

発売が7月10日で、ジャケットのイメージもひじょうに夏らしいのだが、楽曲そのものも爽快さを感じさせるロックチューンとなっている。しかし、歌詞をよく聴くと湾岸戦争の時代ならではの暗さのようなものが背景になっていることが分かる。

ベースの関口和之がジャケット写真には写っているが、健康上の理由による活動休止に入ったため、レコーディングには参加していない。

47. いなせなロコモーション (1980)

1980年に音楽制作に集中するためメディア露出を控え、5ヶ月連続でシングルをリリースするとした「FIVE ROCK SHOW」の3枚目で、オリコン週間シングルランキングで最高16位を記録した。

YMOなどのテクノポップが世の中を席巻する一方、オールディーズやロカビリーのリバイバルというのもあり、このシングルにはそういった気分も含有されているような気がする。

歌詞にはコニー・フランシス、ドリス・デイ、シュープリームス、ビーチ・ボーイズをはじめ、オールディーズのアーティストや曲の名前がいくつも出てくる。

46. 奥歯を食いしばれ (1979)

サザンオールスターズの2作目のアルバム「10ナンバーズ・からっと」のA面2曲目に収録された曲で、カセットテープのみで発売された「ベスト・オブ・サザンオールスターズ」にも収録されていた。

このリストならではのクセ枠というか、サザンオールスターズの名曲リストなどにはあまり挙がっていないような気もするのだが、とにかくドラムとパーカッションを中心にキーボードやギターを含め演奏がひじょうにカッコよく、ヘヴィーでシリアスな感じが伝わってきてとても良い。

コミカルなイメージが先行していたところもあったサザンオールスターズがこういう曲もやっているというところに、当時やたらと良さを感じていた。

45. 鎌倉物語 (1985)

サザンオールスターズの8作目のアルバム「KAMAKURA」の収録曲で、2枚組のうち1枚目のラストに収録されている。原由子のリードボーカル曲だが、当時は産休中だったため、自宅にマイクを立ててレコーディングしたといわれている。

どこかノスタルジックな曲調やボーカルに、適度に導入されたデジタルサウンドが絶妙に良い。鎌倉の様々なスポットが歌詞に入っていて、情緒あふれるご当地ソングとしても素晴らしい楽曲になっている。

44. あなただけを~Summer Heartbreak~ (1995)

フジテレビ系のドラマ「いつかまた逢える」の主題歌にも使われた、アルバム「Young Love」からの先行シングルで、オリコン週間シングルランキングで1位、ミリオンセラーにも輝いた。

フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドからの影響も感じられる、ドリーミーなアレンジが印象的な楽曲である。こういったタイプの曲をやってもけしてマニアックになりすぎず、あくまで大衆歌謡としても機能してしまうところがサザンオールスターズの真骨頂でもあるような気がする。

43. フリフリ ’65 (1989)

サザンオールスターズの活動休止明けにして元号が平成になってから最初のアルバム「Southern All Stars」からの先行シングルで、オリコン週間シングルランキングで最高2位を記録しているのだが、人気曲ランキングのようなものではあまり見かけないような気がしなくもない。それで、この曲もこのリストならではのクセ枠になってしまうのだろうか。

ザ・スパイダースが1965年にリリースした「フリフリ」にインスパイアされたと思われる、ご機嫌なロックチューンである。ほとんど意味はないのだが、かといって意図したナンセンスソングという感じでもない、純粋に音楽としてのノリが最高な楽曲で、こういうのにこそ崇高さを感じたりもする。

まったくの余談だが、平成2年の年明けを私はアルバイト中のローソンで迎えたのだが、店内の放送でこの曲が流れていて、初詣かなにかに出かけると思われるカップルの女性の方が「もうちょいと寄ってんさい♪」と陽気に口ずさんでいた光景をとても良いものとしていまだにずっと覚えている。

42. 涙のアベニュー (1980)

音楽制作に集中するために、メディアへの露出を控えて5ヶ月連続でシングルをリリースするという「FIVE ROCK SHOW」の第1弾としてリリースされ、オリコン週間シングルランキングでは最高16位を記録した。デビューから6枚目のシングルにして、初めてトップ10入りを逃すことになった。

これ以降、シングルのセールスは下降していき、1981年のアルバム「Big Star Blues (ビッグスターの悲劇)」はオリコン週間シングルランキングで最高49位に終わっている。このような状況にもかかわらずアルバムはヒットし続けていて、オリコン週間アルバムランキングでは「タイニイ・バブルス」に続いて「ステレオ太陽族」も1位に輝いていた。

この曲も横浜を舞台にしたとても良い曲なのだが、それまでのサザンオールスターズのシングルと比べるとかなり地味にも感じられ、さらにテレビへの露出もないということで、必然的にセールスは下がっていった。

41. 愛する女性とのすれ違い (1985)

サザンオールスターズの8作目のアルバム「KAMAKURA」の2枚組のうち、1枚目のアナログレコードではA面のラストに収録されたバラードである。

この頃には国民的人気バンドとしての地位を不動のものとしていて、このアルバムも「国民待望の2枚組」としてプロモーションされていた(テレビCMには明石家さんまが出演していた)。

サザンオールスターズの楽曲の中でも特にバラードには人気が高く、1982年にはバラード曲のみをあつめたコンピレーションアルバム「バラッド ’77~’82」がカセットテープのみで発売され、オリコンのカセットランキングで8週連続1位、年間カセットランキングでも1位に輝いていた。

ニューアルバムが発売されてもやはり今度はどんな新しいバラードが収録されているのだろうと楽しみにしているファンは少なくはなく、「KAMAKURA」においてはまず最初に収録されているのがこの曲であった。

倦怠期を迎えたカップルの絶妙に微妙でありながら、ありがちなシチュエーションが描かれているのだが、最後には「君だけにモテる俺さ」「この世で一番 you are my love」と締めているあたりが桑田佳祐楽曲の人気の秘訣であるような気もする。

「KAMAKURA」はフェアライトCMIを全面的に用いたサウンド的にも当時としては斬新なアルバムとしても知られていたのだが、この曲のようなバラード曲にもデジタルが絶妙に導入されていることによる新鮮味が感じられもした。