デヴィッド・ボウイ「英雄夢語り(ヒーローズ)」について。

デヴィッド・ボウイの11作目のスタジオアルバム「英雄夢語り(ヒーローズ」は、1977年10月14日にリリースされた。いわゆる「ベルリン三部作」の2作目にあたり、つまり「ロウ」と「ロジャー(間借人)」の間の作品ということになる。デヴィッド・ボウイといえば変幻自在なイメージと音楽性でポップ・ミュージック史に様々な素晴らしい作品を残したわけだが、それだけにその代表曲といえば一体どれなのだということになると、意見が分かれるような気がする。かつては70年代前半のグラム・ロック期を特に高く評価する風潮があったような気もするのだが、このところはこの「英雄夢語り(ヒローズ)」のタイトルトラックである「ヒーローズ」を代表曲とする場合が多いようにも思える。

とはいえ、この曲の当時のシングル・チャートでの最高位を見てみると、全英シングル・チャートでは最高24位、全米シングル・チャートにはランクインすらしていなく、それほど大きなヒットにはなっていなかった。アルバム「英雄夢語り(ヒーローズ)」は全英アルバム・チャートで最高3位、全米アルバム・チャートでは最高15位を記録している。ちなみにこのアルバムが3位になった週の全英アルバム・チャートだが、1位がクリフ・リチャード、2位がダイアナ・ロス&シュープリームスのそれぞれベスト・アルバムとなっている。ダイアナ・ロス&シュープリームスの方はその前の週まで7週連続1位という驚異的なヒットを記録していて、その途中にはストラングラーズ「ノー・モア・ヒーローズ」が2位の週などもあった。

「ベルリン三部作」とはデヴィッド・ボウイがトニー・ヴィスコンティをプロデューサーに迎え、ブライアン・イーノらとコラボレートし、ベルリンでレコーディングした2作のアルバムだが、それではなぜ、この時期にデヴィッド・ボウイはベルリンにいたのかというと、ドイツの音楽シーンに興味があったというのが理由の一つではあるのだが、他には当時暮らしていたアメリカでのドラッグ漬けの生活から抜け出し、心機一転やり直すためでもあった。

当時のドイツといえばベルリンの壁を隔てて東西に分断されていたのだが、デヴィッド・ボウイがレコーディングをしていたハンザ・スタジオはベルリンの壁のすぐ近くにあった。「ヒーローズ」の歌詞はデヴィッド・ボウイがハンザ・スタジオの窓から見た、ベルリンの壁で落ち合うカップルにインスパイアされて書かれた曲だといわれていた。実際にこのモデルになっていたカップルというのはプロデューサーのトニー・ヴィスコンティとその恋人で会ったことが、後に明かされることになる。当時、なぜそれが伏せられていたかというと、トニー・ヴィスコンティがまだメリー・ホプキンと結婚していたからではないかということが考えられる。

この曲は当時、シングルとしてはそれほどヒットしなかったのだが、ライブではよく歌われていたようだ。たとえば、1985年の「ライヴ・エイド」、そして、1987年にはベルリン議会で歌われるのだが、これが翌々年のベルリンの壁崩壊にもつながったのではないかといわれている。実際に2016年にデヴィッド・ボウイが亡くなった時には、ベルリンの壁が崩壊することに貢献したとドイツ政府が讃えてもいる。

それはそうとして、このタイトルそのものはデヴィッド・ボウイとブライアン・イーノが気に入っていたドイツのバンド、ノイ!の曲名から取られている。とはいえ、歌詞の設定では東西に分断された恋人同士が壁のところで落ち合うところを描いていて、絶望的な状況における束の間の安らぎとでもいうような意味で、「僕らはヒーローになれる、たった一日だけなら」と歌われているのかもしれない。

「ベルリン三部作」はデヴィッド・ボウイのキャリアにおいて、特に実験性が高く、難解だというような印象もなきにしもあらずだったのだが、時代が追いついたというか、これらに影響を受けた音楽がメインストリーム化したりもする流れの中で、そのポップ感覚が受け入れられやすくもなっているように思える。

ちなみに「ベルリン三部作」のうち、「ロウ」はフランスでレコーディングされた音源がベルリンでミックスされたり、「ロジャー(間借人)」はスイスやアメリカでレコーディングされてもいるため、純粋なベルリン録音作品といえば、この「英雄夢語り(ヒーローズ)」だけなのである。

このアルバムがリリースされた1977年といえば、イギリスでパンクがひじょうに盛り上がった年ということになっていて、この2週間後にはセックス・ピストルズのデビュー・アルバム「勝手にしやがれ」がリリースされる(日本では沢田研二の「勝手にしやがれ」がこの年のレコード大賞受賞曲である)。「NME」などは特にパンクに飛びつきそうな印象があるのだが、この年の年間ベスト・アルバムには「英雄夢語り(ヒーローズ)」を選んでいる。ちなみに、2位がイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ、3位がエルヴィス・コステロで、セックス・ピストルズは4位に選ばれている。これ以外にもテレヴィジョン、ザ・クラッシュ、ラモーンズ、ストラングラーズが10位以内に入っていて、パンクが強かったことには違いがなさそうである。

また、2013年にリリースされたアルバム「ザ・ネクスト・デイ」のジャケットアートワークが「英雄夢語り(ヒーローズ)」の別バージョンであったことも、このアルバムの重要性を物語っているようである。

全体的にアート・ポップとでもいうべき音楽性であり、ギタリストとして参加しているロバート・フリップの演奏がひじょうに重要な役割を果たしているように思えるのだが、それらはほぼファースト・テイクであり、しかもレコーディングのためにアメリカから訪れたその日のうちにレコーディングされたものがほとんどだという。

「V-2シュナイダー」のタイトルはクラフトワークの創設者の1人、フローリアン・シュナイダーにちなんでもいる曲である。この曲でデヴィッド・ボウイはサックスを間違えた音程で吹いてしまっているのだが、それが逆に良かったのでそのまま採用されているらしい。サックスといえばニューヨークの停電をモチーフにしたとも、デヴィッド・ボウイ自身の気絶体験も影響しているのではないかともいわれている「ブラックアウト」でも効果的に用いられていてとても良い。

後半というかアナログレコードでいうところのB面にインストゥルメンタルが数多く収録されている構成は「ロウ」と似ているようにも思えるのだが、全体的にトーンはよりポジティヴであり、聴きやすくなっているように思える。「モス・ガーデン」でフィーチャーされている琴はデヴィッド・ボウイが演奏していて、日本文化に対しての興味や関心がうかがえる。

タイトルトラックの「ヒーローズ」の話に戻るのだが、この曲のレコーディングにはさらに工夫が凝らされていて、デヴィッド・ボウイからの距離がそれぞれ異なる3本のマイクが使われていたという。最も近いマイクではじめは録音されているのだが、途中で段々遠いマイクにスイッチされていくことによって、デヴィッド・ボウイはよりそこまで届くように歌わなければならなくなる。これが後半になるにつれエモーショナルになっていく、この曲のボーカルの秘密でもあったわけである。

後半にインストゥルメンタル曲が続くものの、最後がボーカル曲の「アラビアの神秘」であることが、「ロウ」に比べてもポップな印象につながっているのかもしれない。