ハッピー・マンデーズ「ピルズ・ン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス」について。

ハッピー・マンデーズの3作目のアルバム「ピルズ・ン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス」は1990年11月5日にリリースされ、全英アルバム・チャートで最高4位を記録した。その週のトップ3はエルトン・ジョン「ベリー・ベスト・オブ・エルトン・ジョン」、フィル・コリンズ「シリアス・ヒッツ」、ポール・サイモン「リズム・オブ・ザ・セインツ」で、6位にはホイットニー・ヒューストン「アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト」が初登場していた。

六本木WAVEでは3階のロック&ポップス売場だけではなく、1階のエントランスを入ってわりとすぐのところでもこのアルバムが大量陳列されていたような気がする。その時に最も旬なCDが陳列されるスペースであり、インディー・ロック・バンドのアルバムが並べられることはそれほど多くはなかったような気がする。

マッドチェスター・ムーヴメントというのがイギリスで起こっていて、メインストリームにも影響をあたえてきているというような話は音楽雑誌などで伝えられてもいて、その中心となるバンドがザ・ストーン・ローゼズ、ハッピー・マンデーズ、インスパイラル・カーペッツといういずれもマンチェスター出身のバンドであった。

その音楽の特徴はインディー・ロックにダンス・ミュージックの要素を取り入れていることで、当時のクラブ・カルチャーからの影響を強く受けているといわれていた。こういったタイプの音楽はマンチェスターに限らず、イギリスの様々な街のバンドによっても次々と発表され、全英シングル・チャートをにぎわせたりにぎわせなかったりしていた。メディアによってはこういったタイプの音楽のことを、インディー・ダンスなどと呼ぶ場合もあった。

ハッピー・マンデーズはこの年の3月にシングル「ステップ・オン」をリリースし、全英シングル・チャートで最高5位のヒットを記録していた。この曲は南アフリカ生まれのシンガー・ソングライター、ジョン・コンゴスが70年代にヒットさせた「ヒーズ・ゴナ・ステップ・ユー・アゲイン」のカバーだったのだが、ポール・オーケンフォールドとスティーヴ・オズボーンのプロデュースによって、マッドチェスターでインディー・ダンス的な楽曲に生まれ変わっていた。

ハッピー・マンデーズのボーカリストはショーン・ライダーで、そのワイルドなボーカル・パフォーマンスが魅力になっている。楽曲にはソウル・ミュージックからの影響が感じられ、グルーヴ感が特徴でもある。メンバーには楽器の演奏者だけではなく、ダンサーのベズもいて、演奏中にずっと踊っているのだが、バンドには欠かせない存在である。

お菓子のパッケージをコラージュしたようなジャケットのアートワークからすでにポップでキャッチーな印象を受けるのだが、アルバムの内容そのものもそれに相応しいものになっている。

アルバムの1曲目に収録された「キンキー・アフロ」は先行シングルとしてもリリースされ、全英シングル・チャートで最高5位のヒットを記録した。マッドチェスターでインディー・ロック的なところもありながら、ロック・バンドとしてのベーシックなところがひじょうにしっかりしていて、しかもこの曲ではラベル「レディ・マーマレード」を思わせたりもするソウル・ミュージックからの影響も感じられ、オーセンティックなロック・ミュージックを好むリスナーにもひじょうに分かりやすくなっている。

マッドチェスターやインディー・ダンスのブームはこのアルバムがリリースされた頃ぐらいがもしかするとピークだったかもしれないとも感じられ、この後もフォロワー的なバンドが次々と登場してヒット曲を出したりもするのだが、次第にトーンダウンしていったような気もする。この約1年後には、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」がアルバム・チャートを駆け上がっているところであった。

ブラーはマッドチェスターやインディー・ダンスのフォロワー的な楽曲「ゼアズ・ノー・アザー・ウェイ」を1991年にヒットさせ、世間に認知されるようになっていく。オアシスのノエル・ギャラガーはインスパイル・カーペッツのローディーをやっていた。

ハッピー・マンデーズは1992年にリリースしたアルバム「イエス・プリーズ」がいまひとつであり、これがマッドチェスター・ムーヴメントの終わりを印象づけもしたのだが、その頃、イギリスのインディー・ロックではデビューしたばかりのスウェードが注目をあつめ、レディオヘッド「クリープ」、パルプ「ベイビーズ」といったシングルもリリースされていた。先に挙げたブラーやオアシスなども含め、90年代の半ばにはブリットポップがムーヴメント化するのだが、ショーン・ライダーはハッピー・マンデーズの進化系ともいえる新しいバンド、ブラック・グレープを結成し、ブリットポップの時代にもヒットを記録していった。ダンサーのベズも参加していた。新宿のリキッドルームで行われた来日公演もひじょうに盛り上がっていたことが思い出される。