M-1グランプリの歴史【前編】(2001-2010)

「M-1グランプリ」といえば「漫才頂上決戦」の異名を持つ年末恒例のお笑い番組であり、これを見なければ年が越せないというファンも少なくはない。途中に開催されていない期間があったものの、2021年には第1回が放送されてから20周年を迎えることになった。そこで、その歴史について簡単に振り返ることにより、過去の放送についていろいろと思い出したり、これからの大会をより深く楽しめるようにしていけたら幸いである。

今回は2001年の第1回から、一旦は終了する2010年までの10回について取り上げていきたい。一部のファンの間ではこの期間の大会を「旧M-1」、再開した2015年以降を「新M-1」を呼ぶ場合もあるのだが、それでいうと今回が「旧M-1」、次回は「新M-1」について取り上げていきたい。

第1回(2001年12月25日)

「M-1グランプリ」の創設者である島田紳助は、1980年代はじめの漫才ブームにおいて、B&B、ザ・ぼんち、ツービート、西川のりお・よしおらと共にひじょうに人気があった島田紳助・松本竜介のコンビで大活躍した。「ツッパリ漫才」とも呼ばれた新感覚の漫才は若者たちのハートに突き刺さり、絶大な支持を得ていた。ブームは長くは続かなかったのだが、島田紳助はビートたけし、明石家さんまなどと共に、お笑いバラエティー番組にはよく出演していた。そして、漫才コンビとしては、このまま続けていても大平サブロー・シローや、当時はまだそれほど有名ではなかったダウンタウンにはかなわないと感じ、見切りをつけて解散することになった。

その後は政治討論番組「サンデープロジェクト」をはじめ、様々な番組の司会を務めるなどして、その才能をさらに知らしめることになる。2000年の秋からはダウンタウンの松本人志とのトーク番組「松本紳助」がスタート、翌年の2001年には関西テレビの「紳助の人間マンダラ」から吉本興業のお笑いコンビ、ランディーズ、ロザン、キングコングからなるユニット、WEST SIDEをデビューさせ、これが大当たりしていた。特に関西ではジャニーズ事務所のアイドル並みの人気を誇っていたという。

そして、吉本興業からの依頼によって新しいタイプの漫才コンテストとして「M-1グランプリ」を立ち上げたのも、同じ2001年のことであった。

漫才のコンテストはそれ以前からいろいろあったのだが、「M-1グランプリ」については、それらを凌駕する新しさが求められていたということである。それで、賞金1000万円、プロ・アマ問わずといった、今日まで続くコンセプトが生まれたのであろう。参加資格を結成10年以内としたことによって、島田紳助は結果が出ない漫才師たちが早めに見切りをつけられるように、というようなことを言っていたような気がする。

吉本興業が主催する大会でありながら、他事務所からのエントリーも受け付け、審査はあくまでガチンコであるということが、当初は特に強調されていたような気がする。

海原やすよ・ともこは当時まだ参加資格があったものの、よく分からなかったのでエントリーしなかったという。そして、実際にエントリーした芸人たちもなんだかよく分からないまま参加したなどともいわれている。

そうして予選を通過し、決勝進出したのは、中川家、フットボールアワー、チュートリアル、アメリカザリガニ、おぎやはぎ、キングコング、麒麟、ますだおかだ、DonDocoDon、ハリガネロックの10組である。このうち、中川家、フットボールアワー、チュートリアル、キングコング、麒麟、DonDocoDon、ハリガネロックの7組が吉本興業所属、アメリカザリガニ、ますだおかだが松竹芸能で、おぎやはぎがプロダクション人力舎である。10組中、おぎやはぎを除く9組が関西を拠点とするコンビであった。

吉本興業においては1998年に渋谷公園通り劇場、1999年に銀座7丁目劇場が閉館し、東京に常設劇場がない状態になっていたが、この年の4月にルミネtheよしもとがオープンしていた。

この年に決勝進出は逃したものの、準決勝まで勝ち上がっていたコンビに、アンタッチャブル、COWCOW、サバンナ、シャンプーハット、ダイノジ、タカアンドトシ、$10(現・テンダラー)、2丁拳銃、華丸・大吉(現・博多華丸・大吉)、ブラックマヨネーズ、ペナルティ、ランディーズ、りあるキッズ、ルート33、レギュラー、ロザンなどがいる。

「M-1グランプリ」の開催において、島田紳助はかつて自らがコンテストに参加した際に、審査員に対して不満があったことなどから、お笑い界で実績がある人達に厳選したというようなこともいっていたと思う。そして、審査員は島田紳助、松本人志、鴻上尚史、ラサール石井、春風亭小朝、青島幸男、西川きよしの7名であった。 鴻上尚史 は劇団、第三舞台を主宰、青島幸男はある世代以降の人々には東京都知事のイメージがひじょうに強いのではないかと思われるのだが、かつては放送作家として携わった「シャボン玉ホリデー」に自らが演者として出演し、「青島だァ!」のギャグを流行らせたり、ハナ肇とクレージーキャッツの作詞を手がけるなど、お笑いとは関係が深い。

それはそうとして、この回の司会は島田紳助、赤坂泰彦、菊川怜であった。島田紳助は途中から審査員席に座り、赤坂泰彦と菊川怜で進行していくのだが、赤坂泰彦は「レディースアンドジェントルメン」などと軽快な司会をこなすものの、アメリカザリガニとハリガネロックのコンビ名がごちゃ混ぜになり、アメリカンロックと言ってしまったり、菊川怜はネタを終わったコンビとのやり取りが絶妙に微妙だったりもした。

この回の審査は7名の審査員が各100点を持っている他に、札幌、大阪、福岡の劇場に集まった一般客の審査(各100点)が加わり、1000点満点で行われた。しかし、一般客の審査がおぎやはぎやますだおかだに対して不当に低いなどの問題があったためか、2回目以降は廃止されている。

ネタ順は厳正なるくじ引きで決められたということだが、一般的には不利とされるトップ出番を引いた中川家がやはり最高得点を獲得した上に、ハリガネロックとの最終決戦をも制して優勝することになった。しかし、これ以降はトップ出番になったコンビの優勝がないことからも、やはり不利なのではないかという印象は変わっていない。

不利といえば、ますだおかだの増田英彦はネタのはじめに「松竹芸能のますだおかだです」「不利不利」などと言っていたのだが、会場の審査員からの得点は高かったものの、一般客の得点が低かったために最終決戦に出場することができなかった。

当時まだ無名だったといわれる麒麟は、小説をテーマにした伏線回収が見事なネタを披露し、松本人志から絶賛された。以降、「M-1グランプリ」で知名度は低いのだが決勝戦に進出したコンビのことを「麒麟枠」などと呼ぶようになる。この回の順位をあらわすボードで、麒麟だけ(きりん)と読みがなが記載されていた。

第2回(2002年12月29日)

第2回となるこの年の大会では、一般客の審査が廃止され、7名の審査員による700点満点での審査となった。審査員に選ばれたのは前回に続いての島田紳助、松本人志、ラサール石井に加え、大竹まこと、島田洋七、立川談志、中田カウスが参加することになった。西川きよしは審査員から外れ、山寺宏一、中山エミリと共に司会を行うことになった。

また、この回から敗者復活戦の制度が設けられ、準決勝敗退者から1組だけが復活し、決勝戦に進出できることになった。この年に激戦を制し、敗者復活戦を勝ち抜いたのはM2カンパニーに所属していたスピードワゴンであった。

そして、決勝進出したのは前回に続いて、ハリガネロック、ますだおかだ、フットボールアワー、おぎやはぎ、アメリカザリガニ、初進出がダイノジ、テツandトモ、笑い飯であった。吉本興業所属がハリガネロック、フットボールアワー、ダイノジ、笑い飯の4組、他事務所所属が松竹芸能のますだおかだ、アメリカザリガニ、プロダクション人力舎のおぎやはぎ、ニチエンプロダクションのテツandトモにM2カンパニーのスピードワゴンと、現在までのところ他事務所所属のコンビの数が吉本興業所属のそれを上回った唯一の回となっている。

この頃からもう20年も経つのかと驚かされることもあったりはするのだが、たとえばこの年のハリガネロックのネタなどを見直すと、「オカマやんけ」などという言葉が普通に用いられていたりもして、やはり時代は流れたのだなと思わされる。

漫才の歴史をさかのぼると楽器などを用いたものがメインだったこともあるのだが、この頃にはいわゆるしゃべくり漫才こそが漫才とされていたこともあり、ギターを用いた漫才でテレビでもすでにひじょうに人気があったテツandトモは、審査員の松本人志からこれを漫才を取るのかどうか、というような疑問を呈されるようになる。そして、立川談志は「お前らここへ出てくる奴じゃないよ、お前。もういいよ」と言ってスタジオを凍らせるのだが、「俺ほめてるんだぜ、分かってるよな」などと付け加えてもいた。

立川談志の審査コメントでいうと、おぎやはぎのネタに対し、千太・万吉を思わせるなどと言っていたが、おぎやはぎ自身はピンと来ていないようであった。この時に立川談志が言っていた千太・万吉とは昭和初期に活躍した漫才コンビ、リーガル千太・万吉のことであり、活動時期は1934年から1962年だということである。

そして、敗者復活戦を勝ち上がったスピードワゴンのネタに対しては50点という低い点数をつけた後、「悪かったな」「ちょっと俺、下ネタ嫌いなんです」とコメントしていた。

初の決勝進出となった笑い飯は当時は無名だったらしく得点を表示するボードには前年の麒麟と同様に、(わらいめし)と読みがなが表記されていた。粗削りながらひじょうにユニークなネタで高得点を獲得し、スピードワゴンの敗退が決まった瞬間に、最終決戦に進出となった。インタヴューをする木村祐一に対し、「ごっさうれしいです「いごっさ面白いです」と、この頃からすでにふざけていた。これに便乗して、木村祐一もスタジオの西川きよしに「以上です、キー坊」などと言って、「誰がキー坊や、ほんまに」と返されていた。

笑い飯の西田幸治と哲夫はかつてインディーズで活動していたのだが、それぞれ別のコンビを組んでいた。哲夫があるコンビの漫才を見た時に焦りを覚え、当時、一番面白いと思っていた西田幸治にコンビ結成を持ちかけたといわれていて、そのコンビこそがおぎやはぎだと、かつて哲夫本人が言っていたような気がする。

最終決戦に残るのは前回は2組だったのだが、この回から3組になり、ますだおかだ、フットボールアワー、笑い飯の3組が進出した。ますだおかだが優勝することにより、吉本興業以外の事務所に所属するコンビでも優勝できることが証明されたともいえる。この年にますだおかだが披露したネタには特定の有名人を取り上げ、しかもひじょうに問題がある内容であったことから、現在、Amazonプライムなどで見られる映像では大幅にカットされたりもしている。

第3回(2003年12月28日)

この年は審査員が昨年に続いて島田紳助、松本人志、島田洋七、ラサール石井、大竹まこと、中田カウス、新たに南原清隆の計7名、司会は西川きよし、今田耕司、小池栄子であった。今田耕司はこの年が初出演となった。決勝進出を果たしたコンビは、昨年に続いてスピードワゴン、笑い飯、アメリカザリガニ、フットボールアワー、返り咲きが麒麟、初進出が千鳥、2丁拳銃、りあるキッズ、そして、敗者復活戦からアンタッチャブルの計9組であった。

この回では笑い飯が伝説のネタともいわれる「奈良民族歴史博物館」を披露し、会場からの爆笑と島田紳助からは99点を獲得、松本人志は前年と比べセンスがそのままで技術が上がっていると大絶賛であった。哲夫が土器を掘り起こす業者のおっさんを演じるところで、審査員の中田カウスが極度にウケてのが印象的である。

ネタ順が笑い飯の次であった2丁拳銃の小堀裕之が、ネタ中に「笑い飯あんなにウケんねんもん」とアドリブを入れずにはいられないほどであった。

初進出の千鳥はトップバッターでありながら、今田耕司をして「エロ漫才」といわしめたネタをして度肝を抜くのだが、笑い飯が高得点を出したと同時に敗退が決まり、大悟は「これが最後のテレビになるのかな」と言っていた。一方、ノブは顔がイカのように白くなった状態で、「もう1回ねえ、もう1本、ぜひ時間がショートすれば、ぜひネタをしたいですけども」と真面目なことを言っていた。

アメリカザリガニは3年連続にしてこの年が最後の決勝進出となったが、以来、松竹芸能所属のコンビは現在までのところ1組も決勝に進出していない。

「輝く日本の星!次代のダウンタウンを創る」という番組がきっかけとなり、小学生の頃に結成されたりあるキッズは、この時点でまだ10代であった。審査員の島田洋七からは、いとしこいしを超えたなどとも言われていた。

ゆうきの借金問題などもあり、実質的にコンビを解消していたのだが、2021年にお互いのYouTubeなどがきっかけとなり、りあるキッズをちゃんとしたかたちで終わらせるために再開し、「M-1グランプリ」で披露したネタも約19年に再現された。

スピードワゴンのネタでは有名な童謡を取り上げていたため、現在配信で見ることができる映像では音声がところどころ聴こえないのだが、曲があまりにも有名すぎるため、ほぼ完璧に想像で補うことができる。

最終決戦に残ったのはフットボールアワー、笑い飯、そして、敗者復活戦からアンタッチャブルであった。結果は最終決戦で「SMタクシー」という渾身のネタを披露したフットボールアワーが勝利し、3年連続決勝進出にして優勝を飾ったのであった。

これぐらいから「M-1グランプリ」のことを一般的な人々もわりと話題にしはじめたような印象があり、DVDもよく売れたりレンタルされたりしていたような記憶がある。

第4回(2004年12月26日)

島田紳助が傷害事件によって書類送検され、芸能活動を自粛していたため、この年の「M-1グランプリ」にも出演しなかった。そして、この年は松本人志も出演しなかったこともあってか、西川きよしが司会から審査員に戻った。他には前年に引き続き南原清隆、大竹まこと、島田洋七、ラサール石井、中田カウス、そして、第1回以来となる春風亭小朝が審査員として出演した。

司会は今田耕司と井上和香であり、この年から2名による進行というスタイルが定着する。女性司会者はこの年まで、毎年変わっていたことになる。

この年の決勝進出コンビは、3年連続の笑い飯、2年連続のアンタッチャブル、千鳥に加え、初出場が南海キャンディーズ、タカアンドトシ、POISON GIRL BAND、トータルテンボス、東京ダイナマイトと5組もいた。敗者復活戦を勝ち抜いたのは、これで3度目の決勝進出となった麒麟であった。計9組中、大阪を拠点としているコンビは麒麟、笑い飯、千鳥、南海キャンディーズというbaseよしもとに所属する4組、それ以外の5組は東京を拠点としていた。アンタッチャブルがプロダクション人力舎所属で、東京ダイナマイトは当時はまだオフィス北野に所属していた。それ以外は、吉本興業の所属である。東京の吉本興業からタカアンドトシ、トータルテンボス、POISON GIRL BANDと3組も決勝進出したのははじめてのことであった。

笑い飯はネタのはじめに「優勝候補です」などと言うものの、初めて最終決戦に残れず、5位に終わった。アンタッチャブルが初のストレート進出にして圧巻の優勝、麒麟が敗者復活から最終決戦に残り3位を記録するが、最大の衝撃は当時、結成2年目の南海キャンディーズであった。しずちゃんこと山崎静代は、女性として初の決勝進出者となった。また、この年の麒麟といえば最終決戦で披露した「24時間テレビ」をテーマにしたネタ中に田村裕が思わず叫んでしまった「頑張れ俺たち!」というフレーズも印象的であった。

第5回(2005年12月25日)

この年から決勝戦収録のスタジオが変わったことに伴い、セットがひじょうにきらびやかなものに変わった。前年に出演していなかった島田紳助と松本人志も、審査員として戻ってきた。それ以外には大竹まこと、島田洋七、ラサール石井、中田カウスが引き続き、渡辺正行が初めて審査員を務めることになった。渡辺正行は1980年代の漫才ブームの頃にコント赤信号で活躍した後、1986年からは「ラ・ママ新人コント大会」を主宰し、東京の若手お笑い芸人を多数育成してきた功績がある。7人の審査員のうち、渡辺正行とラサール石井の2名がコント赤信号のメンバーということになった。司会は今田耕司と第3回以来となる小池栄子が務め、女性司会者としては初の2度目の出演となった。

決勝進出コンビは4年連続で笑い飯、3年連続4回目となる麒麟、敗者復活から勝ち上がった結果3年連続となった千鳥、2年連続の南海キャンディーズ、第1回以来の返り咲きとなるチュートリアル、そして、初出場が品川庄司、ブラックマヨネーズ、タイムマシーン3号、アジアンの4組であった。タイムマシーン3号がアップフロントエージェンシー所属で、残りの8組はすべて吉本興業所属のコンビである。

笑い飯がトップバッターにもかかわらず、靴が隠された子供に声をかけるネタで高得点を獲得し、最終決戦に進出、「ハッピーバースデー」の歌のタイミングを確認するが、なぜかマリリン・モンローになるというひじょうにアホなネタを披露して最高だったのだが、関西以外ではほぼ無名に近かったであろうブラックマヨネーズが「M-1グランプリ」のために編み出したスタイルで圧勝し、決勝戦初出場にして優勝となった。最終決戦に進出し、結果的には3位に終わった麒麟も、ファーストラウンドで披露した野球のネタではオチがバチンと決まっていたと、中田カウスから大絶賛されていた。テレビなどではすでに活躍していたものの「M-1グランプリ」ではなかなか決勝に進出できず、ラストイヤーにして初進出した品川庄司も、敗退して画面から消えていく際に「オチがバチンと決まっていました」と認めざるを得ない状態であった。

第1回の初登場時には、桃太郎をトレンディードラマ化したようなネタで、それほど高得点を出せなかったチュートリアルだが、4年ぶりの返り咲きとなるこの年に披露したバーベキューのネタでは格段の深化を見せていて、松本人志からも絶賛されていた。後に妄想漫才などと呼ばれるようになるスタイルの開発や、「近代バーベキューの父・トーマス・マッコイ」「ホームページとかあんのけ?」といったワードのセンスも抜群である。このネタに関して印象に残っている点としては、渡辺正行が審査コメントで「バーベキューのハウトゥーっていう設定自体はちょっと古臭いんだけど」と言っていたのだが、実際にバーベキューのハウトゥーという設定を使った漫才の記憶がそれほどないということが挙げられる。

アジアンは初めて決勝進出した女性コンビであり、タイムマシーン3号はとあるテーマパークのパロディーを題材としていたため、現在配信されている映像では音声が聞こえなくなっている箇所がところどころある。

敗者復活戦を千鳥が勝ち抜いたのだが、当日、観覧していた複数の人達から東京ダイナマイトの方が確実にウケていたという声が上がっていたりもした。この頃から「M-1グランプリ」の審査における吉本興業についての陰謀論的なことが一部で囁かれるようにもなったような気がする。また、敗者復活戦の結果発表を待っている時に、イシバシハザマの硲陽平(現・ハザマ陽平)がとても寒そうにしていたのが印象的である。

2年連続の決勝進出となった南海キャンディーズはこの年は最下位になるのだが、その後、山里亮太は精神的に追い詰められ、引退を決意するまでになっていたという。そのことを世話になっていた先輩の千鳥に話すと、それは分かったので最後に自分たちが主催するトークライブには出てくれと言われる。それに出たらもうやめるつもりだったのだが、千鳥が山里亮太の発言で客席がウケるように話をすべて持っていき、それによって芸人を続けていく決心をしたという話があった。

第6回(2006年12月24日)

司会は今田耕司と真鍋かをり、審査員は島田紳助、松本人志、南原清隆、渡辺正行、島田洋七、大竹まこと、中田カウスであった。2003年に優勝したフットボールアワーが再出場し、順当に決勝進出したことが話題になっていた。

この年に決勝進出したコンビは、5年連続で笑い飯、4年連続5回目の麒麟、3年ぶり4回目のフットボールアワー、2年連続3回目のチュートリアル、そして、トータルテンボス、POISON GIRL BANDが共に2年ぶり2回目、初出場は当時は5人組だったザ・プラン9、アマチュアの変ホ長調、ラストイヤーで敗者復活戦から勝ち上がったライセンスであった。

優勝コンビの再チャレンジ、初の5人組だったりアマチュアだったりと話題性を重視したようにも感じられたのだが、全体的にはやや盛り上がりに欠けていたような気もする。

フットボールアワーはさすがの安定感を見せて最終決戦に進出したが、妄想漫才を進化させたチュートリアルが圧倒的であり、審査員全員が票を入れるという完全優勝を大会がはじまって以来、初めて果たすことになった。ファーストラウンドでは相方が新しく買った冷蔵庫に異常に反応を示す、最終決戦では自転車に付いているチリンチリンが盗まれ、それをいかに探したかということを尋常ではない熱量で語る、徳井義実の演技が光っていたが、これもまた光っていた福田充徳の前歯が気になる視聴者も少なくはなかったようである。また、「行きずりの女」というフレーズに、審査員の島田洋七が特にハマっているようであった。

3位は麒麟で、笑い飯は最終決戦に進むことができず敗退することになるのだが、その際に「お金だけでももらえないですかねぇ」と身も蓋もないことを言っていた。また、麒麟のネタ中に田村裕が川島明に対して思わず言い放った「お前がしっかりせえよ、麒麟は!」というフレーズも印象的であった。

第7回(2007年12月23日)

司会は今田耕司と2年ぶり3回目の小池栄子、審査員は島田紳助、松本人志、ラサール石井、大竹まこと、中田カウス、そして、上沼恵美子、オール巨人が初出演となった。

決勝進出したコンビは6年連続の笑い飯、2年ぶり4回目の千鳥、2年連続3回目のトータルテンボス、POISON GIRL BAND、6年ぶり2回目のキングコング、決勝戦初出場はザブングル、ダイアン、そして、敗者復活戦からサンドウィッチマンである。

笑い飯はトップバッターで登場し、一般大衆にはひじょうに難易度が高いのではないかと思われるロボットのネタでそれほどハマらず、それでも全体的にいま一つ盛り上がりに欠けていたこともあって、途中までは暫定ボックスに座っていた。しかし、やはり途中で敗退が決まると、「一歩も動かんぞ」「茶の間が怒ってますよ」と、またしても身も蓋もないことをいう。

初の決勝進出となったダイアンは初めて見たという松本人志から、悪くはないのだがツッコミの方が浜田雅功に少し似ていて嫌な気分になる。というようなコメントをして、会場の笑いを誘う。ツッコミの方こと津田篤宏はその場では「いやいや、それプラスやろ」などと不服そうにしていたが、実はかなりうれしかったらしく、六本木の街で泥酔した状態で「俺がナニワの浜ちゃんや~!」などと叫んでいたらしい。

キングコングはすでに売れっ子でスターだったのだが、それでいて「M-1グランプリ」に再出場したことで注目されていた。順当に決勝まで勝ち上がり、そこで披露したネタも中田カウスからヒップホップを聴いているような気持ちいい漫才といわれるなど、好評であった。そして、3度目の決勝進出となるトータルテンボスの漫才も完成度が高く、上位に進出する。

それでも全体としていま一つ爆発力に欠けているのではないかと思っていたところ、敗者復活からサンドウィッチマンが上がり、アンケートのネタで圧倒的に受ける。強面(こわもて)風の伊達みきおから繰り出される「焼きたてのメロンパン」というワード、おそらくほとんどの視聴者が初めて耳にしたであろう、富澤だけしの「ちょっと何言ってるか分かんない」というフレーズ、無名に近いコンビが一夜にしてスターになるというドラマ性も含め、会場全体を味方につけているようでもあった。そして、敗者復活から初の優勝となるのだが、番組終了後にキングコングの西野亮廣が号泣する映像をなにかで見たような気がする。

吉本興業に所属していないコンビが「M-1グランプリ」で優勝するのはアンタッチャブル以来3年ぶりであり、これが通算3組目であった。ここまで7回の大会中3組ということで、約43%である。しかし、この後、「M-1グランプリ」から吉本興業に所属していないチャンピオンは生まれていなく、2020年の時点で16回の大会で3組、割合は約19%にまで落ちている。

第8回(2008年12月21日)

司会は今田耕司とこの年が初出演の上戸彩、審査員は島田紳助、松本人志、上沼恵美子、渡辺正行、オール巨人、大竹まこと、中田カウスである。

決勝進出したコンビは7年連続の笑い飯、2年連続3回目のキングコング、2年連続3回目のダイアン、他はすべて決勝初進出である。ザ・パンチ、NON STYLE、ナイツ、U字工事、モンスターエンジン、そして、敗者復活戦を勝ち抜いたオードリーの6組である。

この年はフジテレビのショートネタ番組「爆笑レッドカーペット」が4月からレギュラー放送されるようになり、ひじょうに人気があった。この年に決勝に初進出したザ・パンチ、NON STYLE、ナイツ、U字工事、オードリーなどはいずれもこの番組によく出演していた印象が強い。また、モンスターエンジンはこの年に「あらびき団」で披露した「神々の遊び」のネタで注目をあつめていた。

2年連続の出場となったダイアンはトップバッターで、西澤裕介がサンタクロースを知らないというネタをやっていたのだが、サンタクロースは実はいないということがネタの途中で明かされることから、サンタクロースの存在を信じている子供が見ているかもしれない時間帯なのにこのようなネタはどうなのか、というような視聴者からの意見もいくつかあったようである。「M-1グランプリ」がいまや家族団らんで楽しんでいるかもしれないコンテンツになっていることを、象徴するようなエピソードであった。

笑い飯はスロースターターであることが指摘されていたため、この年はそこを改善してきたのだが、そうすると今度は寸足らず感があったりもした。キングコングは前年が最終決戦に残るほど好調だったこともあり、この年は優勝候補だと目されてもいた。ナイツは「爆笑レッドカーペット」でもお馴染みの「ヤホー漫才」と呼ばれるタイプのネタを披露し、最終決戦に進出した。NON STYLEがとにかくスピード感があり、ボケ数の多いネタで圧倒し、高得点をマークした。

NON STYLEやキングコングのような漫才が高く評価されるようになり、「M-1グランプリ」はなんだか変わってしまったように感じられたのだが、それは当時のお笑い界のトレンドの変化だったのかもしれない。笑い飯はまだ暫定ボックスには残っていたものの、まだキングコングが残っていたので、かなりの確率でおそらく抜かれるし、そうなると3年連続で最終決戦に残れないことになる。トレンドが変わってしまったのであり、もうこれは仕方がないことなのかもしれないと感じていた。

それにしても、ザ・パンチは決勝初進出にしてこの年がラストイヤーだったのだが、パンチ浜崎の決まった挨拶である「チャーッス、チャッチャチャース」をもじった「ラストチャッチャチャーンス」というキャッチフレーズには、あまりにも投げやりすぎないだろうかと感じたりもした。「爆笑レッドカーペット」などでもウケているパターンのネタではあったのだが、「M-1グランプリ」のステージではあまりうまくいかず、最下位に終わっていた。

そして、キングコングのネタなのだが、プロ野球のヒーローインタビューをテーマにしたもので、「お口チャックマン」というフレーズがわざとスベるように入れたものであるにもかかわらず、わりと多くの人々の印象に残っているようである。いつものようにスピード感があるように思われたのだが得点は伸びず、西野亮廣は明らかに動揺しているように見えた。中田カウスが審査コメントで「頭で漫才してハートがついていってないっちゅう感じがするなあ」と論評すると、梶原雄太は「まったく同じこと思ってましたね」と認めた。

この時点で1位のNON STYLEと2位のナイツの最終決戦進出が決まり、暫定ボックスの3位には笑い飯が座っている。キングコングの得点が伸びなかったことにより、笑い飯が最終決戦に進出する可能性が出てきたように思えた。残すは1組、それが敗者復活戦から勝ち上がってきたオードリーである。春日俊彰のキャラクターを生かしたいわゆるズレ漫才で、これが大いにウケた上に得点も伸びる。というか、NON STYLEを抜いて1位である。若林正恭が驚いて口を大きく開けっ放しにしている。島田紳助だけは得点が90点を下回っていたのだが、審査コメントでは「昔見た嫌なのりお・よしおさんを思い出してね」などと言っていた。

この時点で、笑い飯は3年連続で最終決戦に進出できず、敗退が決定した。そして、哲夫が「あんな気持ち悪い奴に負けなあかんのですか」とまたしても身も蓋もないことを言うと、その横で腕組みをした西田幸治が「思てたんと違~う」と絶叫する。このセリフは「M-1グランプリ2016」において、スリムクラブとカミナリの敗退時にカバーされている。

キングコングの西野亮廣は深夜に更新したブログにおいて、その状況における行動について笑い飯をリスペクトすると書いていた。笑い飯とキングコングとは芸風もファン層も異なっているのだが、ラジオ番組などでプロレス的な悪口の言い合いのようなことをしていたことがあった。2018年にカジサックのYouTubeチャンネルに笑い飯が出演した際に、この当時のことについて語り合ったりもしていた。

最終決戦はオードリー、NON STYLE、ナイツによって争われたのだが、審査員の投票の結果、NON STYLEが優勝した。これについては、オードリーの方が優勝に相応しかったのではないかという意見もわりとあったのだが、もしそうなった場合、2年連続で敗者復活から、しかも吉本興業以外のコンビが優勝することになり、準決勝の審査に問題があるのではないかとか、やはり吉本興業所属のコンビに有利になるように審査が行われているのではないか、というような疑惑が持たれる可能性もある。

第9回(2009年12月20日)

司会は今田耕司、上戸彩という現在まで続くコンビでの2回目である。審査員は島田紳助、松本人志、上沼恵美子、オール巨人、渡辺正行、中田カウス、そして、当時は宮崎県知事であったビートたけしの一番弟子にしてそのまんま東の芸名でも知られた東国原英夫が初登場した。

この年のトピックとしては、前年のチャンピオンであるNON STYLEが参加したということがある。かつて2003年に優勝したフットボールアワーが2006年に参加して、2度目の優勝を狙うということがあったが、この時は決勝の最終決戦にまで出場したが、チュートリアルが大会初の完全優勝を果たした。

しかし、前年に優勝したばかりのコンビが参加するというのは異例である。しかも準決勝で敗退し、敗者復活戦に参加することになった。敗者復活戦においては2007年にサンドウィッチマン、2008年にオードリーという、いずれも吉本興業以外の事務所に所属するコンビがが勝ち上がり、それぞれ優勝、準優勝することによって、大会を盛り上げた。

前年に優勝したコンビといえば実力も知名度も十分であり、やはり順当に勝ち上がった。しかも、高得点を獲得し、最終決戦にまで進出した。NON STYLEが敗者復活戦を勝ち上がり、決勝進出を果たした時の写真で、その後辺りにいたゆったり感の江崎峰史が生気を失ったような表情で写っていたのが印象的である。

この年の決勝進出コンビは実に8年連続となる笑い飯、前年から2年連続でナイツ、モンスターエンジン、返り咲きが4年ぶり3回目の決勝進出となる南海キャンディーズ、5年ぶり2回目の東京ダイナマイト、2年ぶり2回目のハリセンボン、初進出は結成9年目となるパンクブーブーと結成4年目のハライチであった。東京ダイナマイトは吉本興業に移籍してから初の決勝進出となった。パンクブーブーはお笑いファンの間ではすでにひじょうに人気があったのだが、ルミネtheよしもとの若手芸人が出演する青田買い的なライブに出演していたりもした。佐藤哲夫は福岡の吉本に所属していた頃に、モンスターズというコンビで「オールザッツ漫才」にも出演していたはずである。

笑い飯が「鳥人」というファンタジーとグロテスクとアホらしさが入り混じったオリジナリティー溢れる素晴らしいネタを披露し、島田紳助から大会史上初の100点満点を獲得するなど、高得点をマークした。得点を見て喜んだ哲夫は、なぜかビッキーズの「ビキビキビッキーズ」というポーズをうれしそうにやっていた。ビッキーズはハッピを着て客席に飴玉を巻くことなどで知られる漫才コンビであり、ボケの須知裕雅は解散後にすっちーという芸名に改名し、スチ軍曹なるキャラクターのピンネタなどをやっていたが、その後、吉本新喜劇に入団し、2014年には座長に就任した。

当時の「M-1グランプリ」は出番前の緊張した楽屋の様子を映し出すことがよくあったのだが、哲夫はマイケル・ジャクソンのムーンウォークを披露した後、「テンダラーの浜本さ〜ん」と呼びかけていた。テンダラーはこの年の6月からコンビ名の表記を$10からテンダラーに変更していた。ボケの浜本広晃はマイケル・ジャクソンのファンであり、哲夫にダンスを教えたともいわれている。浜本広晃と哲夫とはムーンウォークならぬ「ムーントーク」というトークライブを行なっていたことがある。笑い飯は出囃子にマイケル・ジャクソンがリードボーカルを取っていたジャクソン5の「帰ってほしいの」を使っていた。

それはそうとして、2005年以来4年ぶりの最終決戦進出となり、8年連続8回目の決勝進出にしてついに優勝してしまうのではないかという気分が濃厚に漂っていた。そして、最終決戦に披露した渾身のネタとは、集中力を高めるというテーマなのだが、そのワードの強さから「チンポジ」と呼ばれるものであった。このネタはかなり以前にテレビでも披露されていた記憶があり、けして新しくはない。確かにウケはするのだが、「M-1グランプリ」の最終決勝戦に相応しいかといわれるとけしてそうではないのではないかという意見が多いような気がする。

もしかすると笑い飯は「鳥人」というあんなにもすごいネタの後で、「チンポジ」という良い意味でしょうもないネタを披露することにより、優勝は放棄したが自分たちらしさを強くアピールしたのではないだろうか、というような憶測もあった。しかし、笑い飯は本当に優勝するためにあのネタを選んだのだという。

ところでこのネタのダブルボケ中にボケていない方は「チャーンチャーチャチャチャーンチャ」というようなBGMを口ずさむのだが、あれはおそらくテレビドラマ「スクールウォーズ」の主題歌である、麻倉未稀によるボニー・タイラー「ヒーロー」のカバーだと思われる。若い視聴者にどれだけ伝わっているのかは定かではないが、こういったところも含めて素晴らしいとしか言いようがない。

最終決戦は笑い飯、パンクブーブー、 NON STYLEの3組で争われたが、笑い飯のネタは優勝には相応しくないと判断されたのか、島田紳助、松本人志を含む全審査員が、クオリティーも独創性も高かったパンクブーブーに投票し、2006年のチュートリアル以来となる完全優勝が達成された。これでサンドウィッチマン、 NON STYLE、パンクブーブーと3年連続で決勝初進出のコンビが優勝することになった。

第10回(2010年12月26日)

「M-1グランプリ」が開始されてから10回目にして、今回限りでの終了が発表された。視聴率は大阪で30%、東京で20%を超えていて、ひじょうに人気が高い状態での終了発表であった。そして、第2回大会からこの年で9年連続の決勝進出を果たした笑い飯も結成10年を迎え、この年がラストイヤーであった。

司会は引き続き今田耕司と上戸彩、審査員は島田紳助、松本人志、南原清隆、渡辺正行、中田カウス、そして、さまぁ~ずの大竹一樹と雨上がり決死隊の宮迫博之が初登場となった。

決勝進出したコンビは9年連続の笑い飯、3年連続のナイツ、2年連続のハライチの他は初進出がピース、ジャルジャル 、カナリア、銀シャリ、スリムクラブと5組にも及んだ。

そして、前年に続いて前回に優勝したパンクブーブーが出場し、準決勝で敗退、敗者復活戦に出場して順当に勝ち上がるということがあった。これによってダークホースともいえる意外なコンビが勝ち上がる可能性はひじょうに低くなったように思える。

初出場の5組すべてが吉本興業に所属するコンビで、ピース、ジャルジャル などはコントを主体としていたコンビでもあったことなどから、審査結果への疑問を訴えるファンばかりではなく芸人もいた。

ヨシモト♾ホールは2006年に渋谷にオープンしたが、2007年からはじまった若手芸人たちによるバトルライブ「AGE AGE LIVE」はインターネットで全国に配信されたり、携帯電話で投票に参加できたりすることもあって、若者たちにひじょうに人気があった。

ピースは「AGE AGE LIVE」でチーモンチョーチュウなどと共に特に人気があるコンビのうちの一つで、この年にはひじょうにメディア露出も増えていた。「キングオブコント」でも決勝進出し、キングオブコメディに敗れたものの準優勝を果たしていた。秋には平成ノブシコブシと共に「AGE AGE LIVE」を卒業し、さらにメディアでの活躍が期待されていた。

ジャルジャル は大阪の劇場、baseよしもとでモンスターエンジンなどと並んでひじょうに人気が高いコンビだったが、この年には「爆笑レッドシアター」「めちゃ×2イケてるっ!」といった全国ネットのテレビ番組にレギュラー出演したり、井筒和幸監督の映画「ヒーローショー」に主演したりもしていた。「キングオブコント」にも2年連続で決勝進出したり、2008年には「オールザッツ漫才」のFootCutバトルで優勝したりもしていた。

カナリアは大阪で活動していた安達健太郎とボン溝黒(現・ボンざわーるど)が、それぞれのコンビ(シュガーライフ、ババリア)を解散したのをきっかけに結成し、それと同時に上京していた。安達健太郎が水島ヒロにも似た美男であることや、ボン溝黒の実家が人気の洋菓子店であることなどで知られるが、ネタにも定評があり、シブヤ∞ホールの「AGE AGE LIVE」では上位に入っていることが多かった。この年の「M-1グランプリ」では予選のネタが好評で決勝進出するが、トップバッターとして予選とは別のネタを披露したところ、それがハマらずに最下位になった。

銀シャリは大阪のbaseよしもとでも上位のランクに属している上に、大阪では賞もたくさん受賞していたため、「M-1グランプリ」での決勝進出も納得であった。もう1組の初登場コンビがスリムクラブなのだが、当時のカジュアルなお笑いファンには「エンタの神様」で真栄田賢が演じていたフランチェンというキャラクターぐらいしかイメージが無かったのではないかと思われる。ピースとジャルジャルは吉本興業が当時、売り出そうとしていた東西の筆頭という印象があり、銀シャリは実力派として認められていたのだが、スリムクラブについてはよく分からないところがある。逆にいうと純粋に予選でのネタの出来によって上がったのだろうか、などという憶測が飛び交っていたのかもしれない。

ジャルジャルはいわゆるメタ漫才のようなものを披露して、やはりあまり高くは評価されなかった。そして、大半の視聴者や審査員がよく知らなかったのではないかと思われるスリムクラブが、その独特の間で爆笑をさらい、審査員からも高得点を得た。2008年の大会でNON STYLEが優勝するに至って、「M-1グランプリ」ではボケ数やスピード感が重要視されるようになったかのように思われてはいたのだが、スリムクラブの漫才はそれとはほぼ真逆の特徴を持つものであった。

笑い飯は前年に高得点を獲得した「鳥人」とも近い、ファンタジー的でマイルドにグロテスクでもある「サンタウロス」というネタを披露し、やはり高得点を獲得した。番組がこの回で最後で、笑い飯もラストイヤー、ぜひこの大会の功労者ともいえるコンビを優勝させてあげたいという意思が確実に存在していたような気がする。

敗者復活戦から勝ち上がったパンクブーブーが、優勝した前年とはまた異なったアプローチのネタを披露し、やはりクオリティーが高い。合計得点では笑い飯と同点で1位になった。最終決戦は笑い飯、パンクブーブー、スリムクラブの3組で争われる。

パンクブーブーはやはりその独特な間を生かした漫才で爆笑を取り、キラーフレーズも飛び出すなどして、かなりウケていたといえる。笑い飯は最終決戦で「小銭の神様」という有りネタを披露し、贔屓目に見ていて優勝を心から願っていたファンから見ても、やや弱いかもしれないと思われていたような気もする。パンクブーブーは1本目とほぼ同じパターンだが、やはりクオリティーは高い。結果的に笑い飯が優勝し、西田幸治が「やっとやー」を雄叫びを上げる。

こうして、「M-1グランプリ」は一旦、終了したのであった。

この年、吉本の若手芸人が出演する東西の劇場にも大きな変化が起こった。シブヤ∞ホールでは2007年から続いていた「AGE AGE LIVE」が終了、大阪のbaseよしもとはこの年の10月に誕生した秋元康プロデュースのアイドルグループ、NMB48の専用劇場がそおの場所に入るため閉館となり、すぐ近くのジュンク堂書店(現在はドン・キホーテ)が入ったビルの5階に、5upよしもと(現在はよしもと漫才劇場)がオープンした。