レモンヘッズ「カモン・フィール・ザ・レモンヘッズ」について。
レモンヘッズの6作目のアルバム「カモン・フィール・ザ・レモンヘッズ」は、1993年10月12日にリリースされた。レモンヘッズのアルバムの中で唯一といってよいぐらいのメジャー感が漂うアルバムであり、実際に全英アルバム・チャートでは最高5位とダントツで売れている。アメリカのバンドではあるのだが、イギリスの方で人気がある印象があり、全米アルバム・チャートの方では最高56位だが、これでもキャリア中で最も高い順位である。そして、先行シングルの「イントゥ・ユア・アームズ」は全米モダン・ロック・トラックス・チャートで9週連続1位を記録し、これは当時、U2と並んで最長記録だったらしい。
それはそうとしてこの頃のレモンヘッズなのだが、1992年にリリースしたアルバム「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」が大ヒットはしていないがまあまあ高評価を得て、映画「卒業」の25周年記念ビデオ化に絡めてリリースしたサイモン&ガーファンクル「ミセス・ロビンソン」のカバーが話題になったりもしていた。ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の大ヒット以降、アメリカのオルタナティヴ・ロックが注目をあつめてはいたのだが、レモンヘッズはパンクをルーツとしているとはいえ、グランジ・ロックとはかなり違っていて、もっとインディー・ポップ的な音楽をやっていた。
それだけならそれほど目立つこともなかったのだろうが、中心メンバーのイヴァン・ダンドのルックスが良く、フォトジェニックだったこともあって、いろいろな雑誌の表紙を飾ったり、「ピープル」誌の最も美しい50人に選ばれたりもしていた。そして、「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」にベースとコーラスで参加していた、ジュリアナ・ハットフィールドとの関係性である。
イヴァン・ダンドが高校時代の友人たちとバンドを結成したのは10代の頃だったが、すぐにバンド名をキャンディーのブランドから取ったレモンヘッズに変更した。表面は酸っぱいのだが中は甘いというこのキャンディーの特徴が、やろうとしていた音楽にも相応しく思えたからなのだという。地元のレーベルからレコードを出したり、ライブを行ったりというような活動を続けていたのだが、そこにブレイク・ベイビーズというバンドのメンバーだったジュリアナ・ハットフィールドも見に来たのだという。当時のレモンヘッズはイヴァン・ダンドとベン・デイリーが同じぐらい目立っていたようなのだが、ジュリアナ・ハットフィールドははじめ、ベン・デイリーの方を好きになり、それからイヴァン・ダンドとも知り合っていったようだ。
そのうちベン・デイリーとの仲が険悪になり、イヴァン・ダンドは一時的にレモンヘッズを脱退するのだが、その間、ブレイク・ベイビーズでベースを弾いていたという。また、イヴァン・ダンドはジュリアナ・ハットフィールドの母が所有していた住居に住んでいたこともあり、ちゃんと家賃も支払っていた。そのうち、レモンヘッズによるスザンヌ・ヴェガ「ルカ」のカバーがヒットしたりもして、イヴァン・ダンドはまたレモンヘッズに戻り、ヨーロッパツアーなども計画されていたことから、ブレイク・ベイビーズを離れなければならなくなった。
ツアーの直前にレモンヘッズからベン・デイリーが脱退し、新しいメンバーを迎えたりしているうちにメジャーのワーナーと契約し、アルバム「ラヴィー」をリリースするのだが、それほどヒットはしなかった。その後、イヴァン・ダンドはオーストラリアに渡り、友人のニック・ダルトンやトム・モーガンと曲づくりに励むのだが、そのうちのいくつかが後に「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」に収録されることになる。
ブレイク・ベイビースを解散したジュリアナ・ハットフィールドはレモンヘッズにベーシストとして加入するが、ソロ・アーティストとしてリリースした「ヘイ・ベイブ」もまた好評であった。ジュリアナ・ハットフィールドの音楽はまずそのキュートなボーカルが魅力なわけだが、基本的にパンク・ロックやオルタナティヴ・ロックを好みながらも、オリヴィア・ニュートン・ジョンのファンでもあるというようなところからきているであろう絶妙なポップ感覚もとても良い。
そして、「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」においても、ひじょうに重要な役割を果たしていたといえる。イヴァン・ダンドとジュリアナ・ハットフィールドはカップルとして見られていたし、お互いに恋愛感情があったことを後のインタヴューで認めている。しかし、一般的にいうところのカップルのような付き合い方をしていたのかというと、そうではなかったようにも思える。いろいろあってジュリアナ・ハットフィールドはレモンヘッズを間もなく脱退し、2人は別れたのではないかといわれていたのだが、「カモン・フィール・ザ・レモンヘッズ」ではいくつかの曲においてコーラスで参加し、やはり唯一無二の存在であることを再認識させられた。
レモンヘッズの音楽といえば楽曲の良さなのだが、「イッツ・ア・シェイム・アバウト・レイ」がとても良質なインディー・ロックという感じだったのに対し、「カモン・フィール・ザ・レモンヘッズ」ではもっと線が太くなったというか、よりオーセンティックになったような印象があり、ベリンダ・カーライルやリック・ジェームスといったメジャーなアーティストがゲスト参加しているのも特徴であった。「ビッグ・ゲイ・ハート」のようにカントリー・ロック的な曲においてより深みが増し、よりメジャーなサウンドになったように感じた。
シングル・カットされた「イントゥ・ユア・アームズ」はレモンヘッズの楽曲の中でもよく知られていると思われるのだが、これはイヴァン・ダンドによって書かれた曲ではなく、ニック・ダルトンがこの曲の作者であるロビン・セイント・クレアと組んでいたラヴ・ポジションズのカバーであった。とても良い曲なのだが、アルバムを象徴する1曲としては個人的にいま一つ物足りなさを感じてしまうのは、やはりジュリアナ・ハットフィールドのボーカルが入っていないからである。もちろんレモンヘッズのほとんどのアルバムにジュリアナ・ハットフィールドは参加していなく、たまたまこの時期に参加していただけではあるのだが、その感じがあまりにも素晴らしいので、ついそれを基準に考えてしまったりもする。そもそもジュリアナ・ハットフィールドが一切参加していないアルバムならば、もちろんそれはそれで楽しめるのだが、このアルバムではいくつかの曲でジュリアナ・ハットフィールドが参加していて、しかもそれがとても良いのでこのような感想になってしまう。
アルバムの1曲目は「グレイト・ビッグ・ノー」で、いきなりポップで最高なのだが、グレイトでビッグではあるものの、あくまでも歌われているのはノーという否定である。それでは何に対する否定なのかというのがそれほど分かりやすくはないのだが、歌い出しが恋人よ振り返らずに僕を行かせておくれというような内容なので、おそらくそういうことなのだろう。この曲でもジュリアナ・ハットフィールドは素晴らしいコーラスを聴かせているのだが、この曲はおそらくイヴァン・ダンドとジュリアナ・ハットフィールドとの関係について歌われている可能性がひじょうに高い。
そして、「イントゥ・ユア・アームズ」に続いて3曲目に収録されているのが「イッツ・アバウト・タイム」で、これがまたとても良い。このアルバムがリリースされた年、ジュリアナ・ハットフィールドもジュリアナ・ハットフィールド・スリーという3人組バンドでアルバム「ビカム・ホワット・ユー・アー」をリリースしていた。それで、「メロディー・メイカー」にイヴァン・ダンドとジュリアナ・ハットフィールドがお互いにインタヴューするという記事が掲載されていたのだが、そこではこの特別な関係性についても語られていた。そして、この「イッツ・アバウト・タイム」という曲がジュリアナ・ハットフィールドとのことについて歌ったものであることを、イヴァン・ダンドは否定していない。
この記事でジュリアナ・ハットフィールドがイヴァン・ダンドを問い詰めたのだが、特に深い意味はないとはぐらかされたフレーズに、僕は指を濡らしたくない、アクシデントでもない限りはというのがある。もちろん性的な意味が想像できるし、ジュリアナ・ハットフィールドはある時期、ヴァージンであることを公言していたのだが、あまりにもそこのことばかり聞かれるので、そのうちそのことについて話さなくなった。他にもある関係の終わりを感じさせるフレーズがいくつもあり、とても切ない気分にさせられる。そして、忍耐はパンのようなものだというのだが、昨日、僕はそれを切らしてしまった、という表現など実に素晴らしい。
おそらく自分自身とのことが歌われているのだが、この曲においてもジュリアナ・ハットフィールドのコーラスがとても良く、特にイヴァン・ダンドが「It’s not about you. It’s not about sunshine」と歌った後のジュリアナ・ハットフィールドの「サンシャ~イン」というコーラスには、聴く度に本当に空に日が射したような気分にさせられる。
このアルバムの評価はひじょうに高く、翌年にはイギリスでデビューしたオアシスと交流を深める様子が目撃されたりもしていた。しかし、以前から服用していたドラッグによって一時的に声が出なくなるなどいろいろあったり、1996年にアルバム「カー・ボタン・クロス」をリリースするが、「カモン・フィール・ザ・レモンヘッズ」ほどは売れなかった。この頃にはメンバー編成も変わっていたのだが、この時のライブを確か渋谷に見に行ったはずである。大学で同じクラスで卒業後にヴァージン・ジャパンに就職したのだが、イギリスのEMIがヴァージンを買収したのにともないポニーキャニオンに買収されたため、一時的に職を失った知人が物販でTシャツなどを売っていた。一緒に行っていた現在は妻になっている人に、シングル「イッツ・オール・トゥルー」のジャケットがプリントされたTシャツを買ってあげたような気がする。
Tシャツといえば、「カモン・フィール・ザ・レモンヘッズ」には「フェイヴァリットT」という曲が収録されている。TとはTシャツのことであり、これだけ見るとヘアカット100の「好き好きシャーツ」こと「フェイヴァリット・シャツ」を思い出したりもするのだが、この曲はそのようなウキウキした感じではなく、別れた恋人との思い出にひたり、彼女が部屋に置いたままいなくなってしまったTシャツを着てみるという内容である。彼女が着ていた時のように、自分にはあまり似合わないというようなことが歌われる。そして、以前には毎日着ていたのだが、いまは週2回しか着ないと歌われた後で、この「週2回」というフレーズが繰り返される。この切なさがたまらなく良いバラードに後で、ノリノリでキャッチーな「ユー・キャン・テイク・イット・ウィズ・ユー」で終わるところもとても良い(その後にピアノのインストゥルメンタル曲と、当時のCDにはよくありがちだったシークレットトラックが収録されているが)。
イヴァン・ダンドがこれ以降、ポップシーンの最前線で活躍することはその後はなかったが、ソロ・アーティストとして活動したり、また別のメンバーでレモンヘッズを再結成したり、ジュリアナ・ハットフィールドと一緒にライブをやったりもしている。また、ジュリアナ・ハットフィールドは2018年にオリヴィア・ニュートン・ジョンのカバー・アルバムをリリースしていた。