ローリン・ヒル「ミスエデュケーション」について。
ローリ・ヒルのアルバム「ミスエデュケーション」がリリースされたのは1998年8月25日、確かに夏の終わりであった。このアルバムは先行シングルの「ドゥー・ワップ」と同様に全米チャートで初登場1位とものすごく売れまくったのだが、日本でもかなり人気があって、オリコン週間アルバムランキングで洋楽ながら最高6位を記録していた。当時、私は生業として郊外でCDを仕入れたり売ったりもしていたのだが、洋楽にほとんど興味を示さない20歳の女性フリーターまでものが買っていたことが強く印象に残っている。
このアルバムはグラミー賞で主要部門を含む10部門にノミネートされ5部門で受賞するなど評価もひじょうに高かったのだが、たとえばポップ・ミュージック批評の世界だとやはりロック信奉のようなものが根強く残っていて、レディオヘッド「OKコンピューター」のような作品の方がより高尚だとされがちである。2020年に「ローリング・ストーン」がアップデートした歴代ベスト・アルバムの500作のリストではこのアルバムがマーヴィン・ゲイ、ビーチ・ボーイズ、ジョニ・ミッチェル、スティーヴィー・ワンダー、ビートルズ、ニルヴァーナ、フリートウッド・マック、プリンス&ザ・レヴォリューション、ボブ・ディランに次ぐ10位にランクインしていて、一部の人達を不機嫌にもしていた。しかし、個人的には妥当だと感じられ、「ローリング・ストーン」というメディアに対する好感度そのものが爆上がりするレベルであった。
ところでこのアルバムがリリースされた頃の日本ではKinki Kidsの「全部だきしめて」が大ヒットしていて、「HONEY」「火葬」「浸食」と3タイトルのシングルを同時発売したL’Arc~en~Cielも大人気で、反町隆史「POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~」も結構、売れていた。この年トータルで見ると、MISIAがブレイクして年末に宇多田ヒカルが衝撃のデビューを果たしたことが思い出される。つまり、R&Bのような音楽が一般大衆化したわけであり、ローリン・ヒルの「ミスエデュケーション」はそのど真ん中あたりの時期にリリースされたことにもなる。なんとなくこういう音楽が良いのではないかと思われそうな気配があり、そのタイプの新しいのだがわりと本格的なやつとして、このアルバムが受け入れられた可能性もあるのではないか、と考えられたりもする。
とにかく、ヒップホップでありながらニュー・ソウルなどといわれることが多いこのアルバムは、音楽が身近な家庭に育ったローリン・ヒルが若かりし頃によく聴いていたというマーヴィン・ゲイ、カーティス・メイフィールドといった、都会的で洗練された音楽ではあるのだが、社会問題などに対するメッセージも高い、そういうコンシャスな音楽を良しとして育ってきたことに影響されている可能性はひじょうに高い。
このアルバムをリリースする前、ローリン・ヒルはヒップホップ・グループ、フージーズのメンバーだったのだが、私が初めて知ったのはTVKテレビの「ビルボード・トップ40」で流れた「フージーラ」という曲のビデオによってであった。ヒップホップなのだが少し変わっていてなかなか面白いな、などと思っていたところ、ロバータ・フラック「やさしく歌って」のカバーなどがヒットしたりして、いきなり人気グループになってしまっていた。この曲を収録したアルバム「ザ・スコア」からは他にもヒット曲が生まれ、フージーズは大成功するのだが、メンバー間の人間関係などが原因で解散することになり、ローリン・ヒルはソロ・アーティストとしての活動を強化していくこととなった。
とはいえ、それほど有名ではないアーティスト達などからも大いに協力をしてもらい。この素晴らしいアルバムが完成したのだが、実は正当に報酬が支払われるような状態にはなっていないなどとして、後日、訴訟沙汰にまでなった。だからといって、このアルバムのコンテンツとしての価値を貶める要因にはなっていないように思える。ディアンジェロとのデュエットやサンタナがギターで参加した曲があったりと、バラエティーにもとんでいる。モダン・クラシックと呼ばれるに相応しい作品のように思える。
このアルバムの内容にはローリン・ヒル自身の妊娠が大きく影響しているともいわれ、女性の視点から様々な問題に言及しているところも特徴的である。当時と比べそういったタイプのアーティストがひじょうに増えた現在のポップシーンを考えると、このアルバムがあたえた影響というのもわりと大きいのではないかと思わされたりもする。