オーティス・レディング「ドック・オブ・ベイ」
1968年3月16日の全米シングル・チャートにおいて、オーティス・レディング「ドック・オブ・ベイ」がポール・モーリア「恋はみずいろ」を抜いて初の1位に輝いた。2位はディオンヌ・ワーウィック「『哀愁の花びらたち』のテーマ」であった。オーティス・レディングは1967年12月10日、自家用飛行機で公演会場に向かっている途中、墜落事故によって亡くなっていた。「ドック・オブ・ベイ」がレコーディングされたのは、その3日前だったという。「ドック・オブ・ベイ」はすでに亡くなったアーティストが全米シングル・チャートで1位に輝いた、最初の楽曲となった。
この曲の歌詞にあるように、オーティス・レディングは実際にサンフランシスコで港の埠頭に腰かけて、船が入って来たり出て行ったりするのを見ていたという。そのアイデアをスタックス・レコードのプロデューサーで、ブッカー・T&ザ・MG’sのギタリストでもあったスティーヴ・クロッパーに話したところ、そのイメージをオーティス・レディングの人生と重ね合わせた楽曲に仕上げてくれたのだという。ジョージア州の小さな町を出て、サンフランシスコのフィルモア・ウェストでヘッドライナーを務めるに至ったことなどである。
オーティス・レディングといえばソウルフルでエモーショナルなボーカルに特徴があり、それが評価されてもいたのだが、「ドック・オブ・ベイ」はあまりにも回想的でマイルドにも感じられ、スティーヴ・クロッパーはシングルとしてリリースすることに反対していたのだという。しかし、オーティス・レディング自身はこの曲が大ヒットすると確信していたようだ。この時点でオーティス・レディングはソウルシンガーとしてひじょうに人気があり、R&Bチャートでは何曲もヒットさせていたのだが、ポップ・チャートにおいては1965年の「愛しすぎて」で記録した21位が最高位であった。
「ドック・オブ・ベイ」はオーティス・レディングが飛行機事故で亡くなった翌月にあたる、1968年1月にリリースされ、全米シングル・チャートでは3月16日付から4週にわたって1位を記録した。当時、ベトナム戦争によって不安にさいなまれていたアメリカ国民の心に、この曲のリラックスした感じが癒しとして機能したのではないかという分析もされているようである。
80年代に日本の中高生がオーティス・レディングを聴きはじめるきっかけとして、忌野清志郎の存在はひじょうに大きかったのではないかという気がする。ライブなどでよく発している「ガッタガッタ」などというかけ声のようなものはオーティス・レディングの影響だが、1972年にリリースされたRCサクセションのデビューアルバム「初期のRCサクセション」の1曲目に収録された「2時間35分」で、すでにそれを聴くことができる。また、同じ年にリリースされたアルバム「楽しい夕に」に収録された「去年の今頃」には「二人でこたつで紅茶を飲もう オーティスのレコード聞きながら」という歌詞があり、その後でしっかり「ガッタガッタ」ともいわれている。そして、ライブのMCでお馴染みの「愛し合ってるかい?」というフレーズも、オーティス・レディングが1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルのステージで言った「We all love each other, right?」を和訳したものである。
RCサクセションのライブアルバム「KING OF LIVE」では「Sweet Soul Music」とのメドレーで、オーティス・レディングの「愛しすぎて」がカバーされているし、1985年のアルバム「ハートのエース」に収録された「横浜ベイ」のエンディングでは「ドック・オブ・ベイ」の口笛が引用されている。1988年に発売中止騒動の後にオリコン週間アルバムランキングで1位に輝いたアルバム「カバーズ」には、忌野清志郎とはアマチュア時代からの音楽仲間の、俳優で山口百恵の夫としても知られる三浦友和が「ドック・オブ・ベイ」の日本語詞を用意していたのだが、間に合わず収録されなかったという話もあったような気がする。1992年には忌野清志郎のソロアルバム「Memphis」を、スティーヴ・クロッパーがプロデュースした。
個人的にはRCサクセションを夢中で聴いていた高校時代にはオーティス・レディングの音楽をまだ聴いてはいなく、卒業して東京で一人暮らしをはじめた最初の年に、アパートでうたた寝しながらNHK-FMの「軽音楽をあなたに」を聴いているとオーティス・レディングの特集をやっていて、それが確か最初だったはずである。日曜日に池袋の西武百貨店に入っていたディスクポートで、「ベスト・オブ・オーティス・レディング」というベタなタイトルの2枚組LPレコードを買った。
1992年頃、六本木WAVEの休憩室にあったテレビで「志村けんのだいじょうぶだぁ」を見ていると、オープニングでオーティス・レディングの「セキュリティ」が使われていた。それからまたしばらくして、MBSラジオの「ヤングタウン土曜日」で明石家さんまが番組アシスタントを務めるアップフロントエージェンシー系のアイドルに、もっと海外の音楽なども勉強しなければいけないという話をしていて、そのたとえとして「オーティス・レディングさんとかやなぁ」というようなことを言っていた。エンディングでは、その日もイーグルス「テイク・イット・イージー」が流れていた。
「ドック・オブ・ベイ」は1968年5月15日に日本でもリリースされていて、オリコン週間シングルランキングで最高12位、23.9万枚も売り上げていたようだ。