オリジナル・サウンドトラック「サタデイ・ナイト・フィーバー」【名盤レヴュー】
1979年2月15日にロサンゼルスのシュライン・オーディトリアムで第21回グラミー賞の授賞式が行われたわけだが、最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞をビリー・ジョエル「素顔のままで」、最優秀アルバム賞をビー・ジーズなどの曲を収録した映画「サタデイ・ナイト・フィーバー」のオリジナル・サウンドトラックが受賞している。最優秀新人賞にはエルヴィス・コステロ、カーズ、TOTO、クリス・レアを抑えて、「今夜はブギ・ウギ・ウギ」をヒットさせたテイスト・オブ・ハニーが選ばれている。
ビー・ジーズは「サタデイ・ナイト・フィーバー」のオリジナル・サウンドトラックで最優秀アルバム賞だけではなく、最優秀ポップ・パフォーマンス賞、「ステイン・アライヴ」で最優秀ヴォーカル・アレンジ賞グループ部門、さらには最優秀プロデューサー賞(クラシック以外)も受賞している。
「サタデー・ナイト・フィーバー」の映画はアメリカで1977年12月4日に公開され、サウンドトラックからはビー・ジーズ「愛はきらめきの中に」「恋のナイトイ・フィーバー」「ステイン・アライヴ」、イヴォンヌ・エリマン「アイ・キャント・ハヴ・ユー」が全米シングル・チャートで1位に輝いていた。既存の収録曲ではビー・ジーズ「ジャイヴ・トーキン」「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」、ウォルター・マーフィー「運命’76」も全米シングル・チャートで1位を記録していたため、このオリジナル・サウンドトラックには合計7曲もの全米NO.1ヒットが収録されていることになる。
アルバムは1977年11月15日に発売され、全米アルバム・チャートで1月21日付から7月1日付まで21週連続1位を記録した。マイケル・ジャクソン「スリラー」に抜かれるまでは、史上最も売れたアルバムであった。サウンドトラックアルバムとしてはホイットニー・ヒューストン「ボディガード」に抜かれるまで最も売れたアルバムだったのだが、2022年の時点でも歴代2位であり続けている。
「サタデイ・ナイト・フィーバー」は日本でもヒットして、このサウンドトラックは1978年のオリコン年間アルバムランキングにおいて、ピンク・レディー「ベスト・ヒット・アルバム」、アリス「アリス Ⅵ」に次ぐ3位にランクインしている。第21回グラミー賞で最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞したビリー・ジョエル「素顔のままで」を収録したアルバム「ストレンジャー」は、この年のオリコン年間アルバムランキングでは12位に入っていて、洋楽では「サタデイ・ナイト・フィーバー」のオリジナル・サウンドトラックに次ぐ2位となっている。
ただしビリー・ジョエルのシングルでは「素顔のままで」よりもアルバムのタイトルトラックである「ストレンジャー」の方が日本ではずっと売れて、オリコン週間シングルランキングで最高2位にまで上っている。同じぐらいの時期にビー・ジーズ「恋のナイト・フィーバー」が最高4位を記録していて、さらにアラベスク「ハロー、ミスター・モンキー」が最高8位だったので、日本のシングル売上ランキングの上位10曲以内に洋楽が3曲も入っている週があったのである。その週の1位はピンク・レディー「モンスター」であった。
当時、「サタデイ・ナイト・フィーバー」は日本でも社会現象的ともいえるヒットになっていたことが、地方で暮らしている小学生にでも分かるレベルだったので、「恋のナイト・フィーバー」がオリコン週間シングルランキングで最高4位というのも納得である。洋楽としてはかなりの大ヒットになるわけだが、ビー・ジーズにとっては1967年の「マサチューセッツ」が1位、1971年の「小さな恋のメロディ」が3位に次ぐ、歴代3番目の記録であった。「小さな恋のメロディ」も映画のサウンドトラックからの曲であり、BLANKEY JET CITYの浅井健一が1991年に「観たことがないなら早く観た方がいいぜ」「俺の血はそいつでできてる」などと歌っていた作品である。Blu-rayやDVDも発売されているが、U-NEXTの見放題にも入っている。
「サタデイ・ナイト・フィーバー」の映画は日本ではアメリカよりも半年以上遅れて、1978年7月22日に公開された。その夏の映画といえば「スター・ウォーズ」が最も話題になっていて、アメリカよりも1年以上遅れてやっと日本でも公開されていた。父に連れていってもらって大興奮したことや、なけなしの小遣いでR2-D2のソフビ人形を買ったものの、旭川電気軌道バスの車内に忘れて失くしてしまったことなどが思い出される。「サタデイ・ナイト・フィーバー」は小学生にはちょっと大人な内容のような気もしたこともあり見には行っていないのだが、テレビやラジオでCMがガンガン流れまくっていたことなどもあり、ディスコでフィーバーという概念はしっかりと植え付けられた。
日本にはそれまでもディスコはもちろんあったのだが、なんとなく不良のたまり場的なイメージが強かったのだという。それが「サタデイ・ナイト・フィーバー」以降、より健全でポピュラーにもなっていったようなのだが、その辺りは伝説としてしかほとんど知らない。ポスターにもなっていたジョン・トラヴォルタの決めポーズのようなものは、小学校の仲間たちの間でもよく真似されていた。ジョン・トラヴォルタは「サタデイ・ナイト・フィーバー」で本格的にブレイクし、その後にオリヴィア・ニュートン・ジョンと共演した「グリース」があった。これも映画、音楽ともに大ヒットして、サウンドトラックアルバムは第21回グラミー賞で最優秀アルバム賞にノミネートされてもいた。「グリース」の公開はアメリカで1978年6月16日、日本では同じ年の12月9日であり、夏を舞台にした映画であるにもかかわらず正月映画として紹介されていた記憶がある。「サタデイ・ナイト・フィーバー」「グリース」で空前のトラヴォルタブームだった頃に小中学生だった人たちが30歳前後ぐらいの頃に、「パルプ・フィクション」でジョン・トラヴォルタが再び脚光を浴びた。「サタデイ・ナイト・フィーバー」が日本で公開された年に中学1年だったはずの奥田民生が1995年にリリースしたアルバム「30」のジャケットは、「サタデイ・ナイト・フィーバー」のポスターのパロディーになっていた。
「サタデイ・ナイト・フィーバー」の撮影時、ビー・ジーズが音楽を担当することにはまだまったくなっていなくて、ジョン・トラヴォルタはボズ・スキャッグス「ロウダウン」やスティーヴィー・ワンダーの曲で踊っていたと語っている。ボズ・スキャッグスの曲の使用許可が下りなかったことから新たに音楽を探さなければならず、当時、フランスにいたビー・ジーズに連絡がいったという。
ビー・ジーズのメンバーは「サタデイ・ナイト・フィーバー」の内容を大まかにしか把握していない状態で、これらの曲をつくったということになる。そもそもこの映画そのものが、ディスコに通う若者の生態を題材にした記事にインスパイアされたちょっとした作品のつもりだったらしく、これほどヒットして社会現象化し、ポップミュージックやカルチャーに影響をあたえるはずではなかった可能性が高い。
若者の風俗を表面的に取り上げたファッション的な作品かと思いきや、実は真面目でしっかりとした青春映画になっている。もちろん最大の魅力は音楽とダンスシーンではあるのだが、普段はさえない日常を送っているが、週末のディスコでは輝くという内容がイギリスの労働者階級文学やウィークエンダーという概念に通じたりもするし、ジョン・トラヴォルタが演じる主人公の父が失業していたり友人が事故死したりと影の部分が描かれてもいる。最終的に前向きで爽やかなハッピーエンドなところも、若者向けの作品としてはとても良い。
また、「サタデイ・ナイト・フィーバー」は生活において音楽がどれだけ重要な存在であるかということを描いた作品でもあるように思える。このサウンドトラックに収録された音楽は、当時の空気感を真空パックしているようなところがあるだけではなく、人生において切実であるに足るエバーグリーンなクオリティーを備えてもいる。