スウェード「ドッグ・マン・スター」について。

スウェードの2作目のアルバム「ドッグ・マン・スター」は1994年10月10日にリリースされ、10月22日付の全英アルバム・チャートでは3位に初登場した。同じ週の1位はやはり初登場のボン・ジョヴィ「クロス・ロード~ザ・ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ」、2位が前週まで2週連続1位だったR.E.M.「モンスター」である。11位にはブラー「パークライフ」、12位にはオアシス「オアシス」もランクインしていた。

全英アルバム・チャートで初登場3位というのはもちろんじゅうぶんに売れているわけだが、この前の年の3月29日にリリースされたデビュー・アルバム「スウェード」が初登場1位で、歴代最も速く売れたレビュー・アルバムなどといわれていたことを考えると、トーンダウンは否めない。そして、翌週には3位から12位に大きくダウンして、逆に12位から10位に再浮上した「オアシス」に抜かれてもいる。

1992年のデビュー・シングル「ザ・ドラウナーズ」以降、イギリスの「NME」「メロディー・メイカー」あたりの音楽メディアで最も大きく取り上げられていたのがスウェードであり、1993年に発売された「セレクト」誌のいわゆるブリットポップ特集号(そのように銘打っていたわけではないのだが、ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」以降、メインストリーム化が進んでいたアメリカのオルタナティヴ・ロックに対抗し、これからはイギリスのインディー・ロックだと宣戦布告したような内容から、そのように呼ぶことがしっくりくるような印象がある)の表紙もスウェードのブレット・アンダーソンが飾っていた。

大ヒットしたデビュー・アルバム以降、初めてのシングル「ステイ・トゥゲザー」は1994年の2月14日にリリースされ、全英シングル・チャートで最高3位のヒットを記録した。「NME」ではNWONW(ニュー・ウェイヴ・オブ・ニュー・ウェイヴ)をプッシュしていたが、結果的に流行らず、一方でスウェードはシングル・チャートでも順調な上に、音楽的にも新境地を開拓しているようなところが見られ、この人気はしばらく安泰だと思われていた。

ブリットポップと呼ばれる90年代半ばに流行したイギリスのギター・バンドたちによるムーヴメントにおいて、その先陣を切ったのがスウェードだといわれ、当時、こういったタイプの音楽がメジャーに売れる流れの突破口だったような印象がある。つまり、スウェードの成功によって他のバンドたちも売れやすくなったという側面が明らかにあるような気がするのだが、「ステイ・トゥゲザー」から約8ヶ月後に「ドッグ・マン・スター」が発売される頃、その主役はもう変わっていた。もちろん翌年の夏に「バトル・オブ・ブリットポップ」が話題になるブラーとオアシスである。

ブラーは1991年に当時、流行していたダンス・ビートを取り入れたインディー・ロック「ゼアズ・ノー・アザー・ウェイ」が全英シングル・チャートで最高8位のヒットを記録して注目されるようになるのだが、その後がいまひとつだったり、アメリカツアーでバンドの状態が最悪になったりする中で一発屋的な存在としてポップ・ミュージック史に名を残すのではないかという懸念もあったのだが、アメリカでの深刻なホームシック体験を逆手に取ったかのようなユニークなアルバム「モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ」がヴィンテージな英国性のようなものを強調していたことが評価され、すっかり復活を遂げたのであった。

当時、ブラーのデーモン・アルバーンと付き合っていたのがエラスティカのジャスティーン・フリッシュマンだが、彼女はスウェードの元メンバーでブレット・アンダーソンと付き合っていたのだが、別れてバンドも脱退したという経緯もあったことから、そのようなゴシップ的な側面も込みで「スウェードVSブラー」のライバル関係が取りざたされたりもしていた。しかし、1993年の時点ではスウェードのデビュー・アルバムが全英アルバム・チャートで1位を記録していたのに対し、「モダン・ライフイズ・ラビッシュ」は評価が高かったとはいえ最高15位で、メディアでの取り上げられ方を含めて、大きな差があった。

スウェードが「ステイ・トゥゲザー」をヒットさせた翌月、1994年3月7日にブラーはシングル「ガールズ・アンド・ボーイズ」をリリースするのだが、これがまたディスコ・ポップ的なキャッチーな曲で、ビジュアルのイメージも前作から大きく変わっていた。このカラフルでご陽気な感じがおそらくインディー・ロックファン以外にも受けて、全英シングル・チャートで最高5位を記録する。

その翌月にはニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなるという衝撃的なニュースがポップ・ミュージック界を揺るがせ、その数日後にマンチェスターの新人バンド、オアシスがシングル「スーパーソニック」でレコードデビューを果たす。インディー・ロック的なアティテュードにクラシック・ロック的なソングライティング、さらにはリアム・ギャラガーのカリスマ的なたたずまいとボーカルの素晴らしさ、インタヴューなどで見られる兄でギタリストでソングライターのノエル・ギャラガーとの兄弟げんかなど注目すべき点がひじょうに多く、どんどん人気が高まっていく。

「ガールズ・アンド・ボーイズ」を収録したブラーのアルバム「パークライフ」は全英アルバム・チャートで初の1位、オアシスは3枚目のシングル「リヴ・フォーエヴァー」で初のトップ10入りを果たすと、8月29日にリリースしたデビュー・アルバム「オアシス」が初登場1位を記録した。いまやすっかり「ブラーVSオアシス」の構図ができあがりつつあったのだった。

スウェードは待望の2作目のアルバム「ドッグ・マン・スター」から先行シングルとして「ウィー・アー・ザ・ピッグス」をリリースするが、これが全英シングル・チャートで最高18位に終わる。レーベルはキャッチーな「ニュー・ジェネレーション」を先行シングルにしたかったようなのだが、ブレット・アンダーソンがアルバムの内容をあらわしているのは「ウィ・アー・ザ・ピッグス」の方だと主張して、この曲が選ばれたようだ。「ザ・ワイルド・ワンズ」を先行シングルに推していたベーシストのマット・オズマンは「ウィー・アー・ザ・ピッグス」を先行シングルにすることはコマーシャル・スーサイド、つまり商業的な自殺行為だと感じていたらしい。

オアシスもブラーも英国性という共通点はあったものの、北部と南部であったりワーキングクラスとミドルクラス、音楽的にもざっくりいってロックとポップなど対立する要素があって、それが分かりやすい構図にもなったとは思うのだが、いずれもポジティヴな感覚を体現していて、それが時代の空気感になっていたのかもしれない。

そこへいくと、スウェードというバンドはそもそもセクシーでダークなところが売りでもあったわけで、それがなんとなく時代の気分に合わなくなっていたのかもしれない、とも考えることができる。いずれにせよ、「ウィー・アー・ザ・ピッグス」は期待されたほど売れなかったということである。

それ以前に、この時点でスウェードはギタリストでソングライターのバーナード・バトラーが脱退するなど、かなり深刻な問題をかかえていた。

アメリカツアーがはじまろうかというタイミングでバーナード・バトラーの父が亡くなり、一旦、帰国して最初の方で予定されていたライブがキャンセル、フィアンセとの婚約などもあったのだが、ツアー中のパーティーピープル的なメンバーの行動に耐えられず、次第に別行動を取ることが多くなり、結果的に孤立していったようだ。

音楽面でもバーナード・バトラーは当初、クリス・トーマスをプロデューサーとして起用することを提案していたようなのだが、レーベルからは受け入れられず、それに対する不満もずっとあったようだ。当時、プログレッシヴ・ロックに傾倒していたというバーナード・バトラーは楽曲にいろいろな複雑な要素を持ち込むが、これらが分かりやすく整理されてしまうことなどから、プロデューサーのエド・ブラーに対し、不満を募らせていく。最終的にはプロデューサーをクビにしなければ自分が脱退するというところまで行って、結果的にアルバムが完成するよりも前に脱退することになったようだ。当時、エド・ブラーにはナイフの音だけが聞こえる謎の無言電話がかかってきたりしていたらしい。

「ドッグ・マン・スター」はデビュー・アルバム「スウェード」のグラム・ロック的な音楽性に比べるとひじょうに複雑化しているところがあるのだが、メロディーやパフォーマンスやアレンジが素晴らしいこともあって、スウェードの最高傑作とされていたり、歴代や年代やジャンルのベスト・アルバムリストなどにも選ばれがちである。しかし、全体的なトーンはひじょうに暗く、オアシスやブラーを中心とするブリットポップ的なムードにはハマっていなかったような気がする。というか、ブレット・アンダーソンは当時のブリットポップにはうんざりしていて、あえてそれっぽくない作品を目指したとも話している。

そして、このアルバムの特異性に影響をあたえているのは、過度なドラッグの服用だったということも、ブレット・アンダーソン自身が認めている。スウェードがリリースしたすべてのアルバムの中でも、この「ドッグ・マン・スター」だけにジャンルの枠や既成概念を超えていこうという精神性が強烈に感じられ、それが強度につながっているように思える。かといって高度に実験的で難解かというとそんなことはまったくなく、ポップ・アルバムとしてもじゅうぶんに楽しめる。当時、特にアメリカのメディアなどはここに対する理解がひじょうに欠けていたようである。

個人的にはブリットポップで最も好きなバンドがスウェードであり、西新宿のラフ・トレード・ショップで買った「ザ・ドラウナーズ」の音源を、契約を検討していたソニーの社員に貸したりもしていたので、このアルバムには発売された当初から満足していた、というか正確にはそれ以上であった。

このアルバムのハイライト的な内容のソノシートか何かが「NME」に付録として付いていたような気がするのだが、それを聴いた時点でソングライティングの質が圧倒的に高まっているのではないかという気がしていた。やはり西新宿のラフ・トレード・ショップでアナログレコードを買ったのだが、その日は弟の結婚式前日で、夕方には新幹線で名古屋に出発しなければならなかった。それで、柴崎のワンルームマンションに現在は妻になっている人と一緒に帰って、急いで聴いてみたのだが、これはとてつもないアルバムだと感じた。

1曲目の「イントロデューシング・ザ・バンド」からして、まったくキャッチーではないのだが、コンセプト・アルバムのオープニング的なムードが感じられるのと同時に、マントラ的というかまるでお経ではないかと思えるようなフレーズが反復されるのが印象的である。これは実際にスウェードが来日公演時に訪れた京都のお寺で聞いたお経がモチーフになっているのだという。この時点で、デビュー・アルバムとはかなり次元の違う作品だということがなんとなく分かった。

続いて、先行シングルの「ウィー・アー・ザ・ピッグス」だが、マット・オズマンは商業的な自殺行為などといっていたのだが、このアルバムに収録された曲の中では、まあまあシングル向きかなというような気はする。しかし、革命がテーマになっているということなのだが、明確には何のことを歌っているのかよくは分からず、それが魅力でもあったと思うのだが、ブラー「ガールズ・アンド・ボーイズ」やオアシス「リヴ・フォーエヴァー」(または、パルプ「ドゥ・ユー・リメンバー・ザ・ファースト・タイム」)などと比べると、ひじょうに分かりにくいことは間違いない。

「ヒロイン」のメロディーが素晴らしく、これは非日常的なものを欲望の対象とすることについての曲なのかな、などとなんとなく解釈していたのだが、私もたとえばポップ・ミュージックやショウビズの世界などにそのようなものを求めてはいたので、この曲にもすんなりハマれるところがあった。そして、2枚目のシングルとしてカットされたものの、全英シングル・チャートで最高18位とものすごく売れまくるというわけでもなかった「ザ・ワイルド・ワンズ」である。これはまったくブリットポップ的な曲ではなく、ただただ美しく回想的なバラードである。スウェードの初期はデヴィッド・ボウイやザ・スミスと比較されたりもしたのだが、たとえばザ・スミスというかモリッシーのイギリス文学におけるロマン派的な傾向に通じるものを、この曲には感じることができる。スウェードのシグネチャー的な楽曲といえばデビュー・アルバムにも収録された「アニマル・ナイトレイト」や「ザ・ドラウナーズ」なのだろうしそれにはまったく異論もないのだが、個人的に最も好きなのはこの「ザ・ワイルド・ワンズ」である。ブレット・アンダーソンはこのアルバムではスコット・ウォーカーに強い影響を受けたと語っているのだが、それがよく分かる楽曲である。自室のステレオで初めて聴いた時に、文字通り鳥肌が立ったのだが、それ以来ずっと大好きな曲である。

当時、イギリスに「VOX」という音楽雑誌があって、確か「NME」の姉妹誌のような扱いだったと思うのだが、それにバーナード・バトラーの独占インタヴューが掲載され、それに不平不満、特にブレット・アンダーソンに対するものがぶちまけられていた。確か「ロッキング・オン」にもバーナード・バトラーのインタヴューが掲載されていたと思うのだが、これの翻訳だったのかオリジナルの記事だったのかはよく覚えていない。これを読んでブレット・アンダーソンは傷ついたようなのだが、その日は「アスファルト・ワールド」のボーカルのレコーディングがあり、そこでのパフォーマンスにその感情のすべてを込めたのである。

この曲は当初、25分ぐらいあり、しかもバーナード・バトラーのギター・ソロが8分ぐらいあったのだが、やはり短縮され、これにもバーナード・バトラーが激昂して、脱退の原因の一つになったともいわれている。

アルバムの最後の収録された「スティル・ライフ」はオーケストラの導入が印象的で、ひじょうに濃い内容のアルバムを締めくくるには相応しいと個人的には思っているのだが、ブレット・アンダーソンや他のメンバーもいまとなってはやり過ぎだったのではないかと感じているらしい。アルバム全体についてバーナード・バトラーは良い作品だと思ってはいるが、もっと良い作品にできたはずだというような考えを持っているようだ。

「イントロデューシング・ザ・バンド」から「スティル・ライフ」までで全12曲、約58分あり、アルバムとして完成しているのだが、Apple Musicで配信されているバージョンだとこれにさらにシングル「ステイ・トゥゲザー」のロング・バージョンの方と、そのカップリングの「ウィップスネイド」も追加されている。