スウェード「カミング・アップ」について。
スウェードの3作目のアルバム「カミング・アップ」は1996年9月2日に発売されると、3年前のデビュー・アルバム「スウェード」以来となる全英アルバム・チャート初登場1位を記録した。この年の8月10日、11日にはオアシスのネブワース公演が行われ、2日間で25万人を超える観客を動員していたが、これがブリットポップのピークだったと振り返られることもある。1992年にシングル「ザ・ドラウナーズ」でデビューしたスウェードはブリットポップの隆盛にひじょうに大きな役割を果たしたが、その後、オアシスがデビューした1994年にはギタリストでソングライターのバーナード・バトラーが脱退、2作目のアルバム「ドッグ・マン・スター」は高い評価を得るもののセールス的にはデビュー・アルバムを下回る。そして、オアシスのデビュー・アルバムとブラーの「パークライフ」がこの年には大きな話題となり、翌年にはオアシスとブラーが同じ日にシングルを発売したことが「バトル・オブ・ブリットポップ」として、大きな話題になったりもする。国内のインディー・ロック・バンドの作品が次々とチャートの上位にランクインするといういまとなってはなかなか想像することすら難しい状況がこの頃には実際にあったのだが、1996年の全英アルバム・チャートでは、オアシス「モーニング・グローリー」、ザ・ブルートーンズ「エクスペクティング・トゥ・フライ」、アッシュ「1977」、スウェード「カミング・アップ」、クーラ・シェイカー「K」といったブリットポップのアルバムが1位に輝いている。
この年には人気メンバーのリッチー・エドワーズの失踪後、3人組として再スタートを切ったマニック・ストリート・プリーチャーズの大ヒットも印象深いが、アルバム「エヴリシング・マスト・ゴー」はアッシュ「1977」に1位を阻まれるなどして、最高2位であった。今日、ブリットポップを振り返る企画などではマニック・ストリート・プリーチャーズを除外しているケースなども見受けられるのだが、ここでは当時の個人的な受容の仕方などに則って、これもまたブリットポップ的なものとして扱っていきたい。それで、1994年にはオアシス、ブラー、パルプ、スウェード、マニック・ストリート・プリーチャーズというブリットポップ的に重要なバンドがすべて最新アルバムをリリースしていたのだが、翌年にはオアシス、ブラー、パルプに加え、エラスティカ、スーパーグラスのデビュー・アルバムや、ザ・ヴァーブの2作目などがリリースされていた。そして、スウェードとマニック・ストリート・プリーチャーズはこの年には最新アルバムのリリースが無く、翌年にそれぞれ「カミング・アップ」と「エヴリシング・マスト・ゴー」をリリースするのだが、共にその間にバンド編成が変化しているということや、ブリットポップムーヴメントの中ではわりと暗めなバンドという共通点があった。個人的にはブリットポップというわりとイケイケなムーヴメント自体は楽しんでいたのだが、スウェードやマニック・ストリート・プリーチャーズといった、わりと暗めのバンドに肩入れすることによってバランスを取っていたようなところはある。
スウェードからバーナード・バトラーが脱退した原因は主にメンバー間の人間関係によるところが多かったようなのだが、バーナード・バトラーは脱退の翌年にシンガーのデヴィッド・マッカルモントと組んで、シングル「イエス」をヒットさせたりしていた。新たなギタリストとして加入したのが当時まだ17歳のリチャード・オークスだったのだが、ソングライターとしてすでに非凡な才能を見せていたという。また、ドラムスのサイモン・ギルバートのいとこ、ニール・コドリングもキーボーディストとして加入して、5人編成になったのだった。
2作目のアルバム「ドッグ・マン・スター」はひじょうに暗くて複雑なところも批評家やファンには好評だったわけだが、ブリットポップのイケイケなムードにはあまりそぐっていなかったのか、シングルはいずれもトップ10に入ることがなかった。それに対し、「カミング・アップ」に収録された曲にはグラムロックなどからの影響を受けながらも、明快でキャッチーな曲がひじょうに多く、先行シングルの「トラッシュ」が最高3位だったのをはじめ、5曲がシングル・カットされ、いずれもトップ10ヒットを記録した。ブリットポップの流れにも見事に乗って、ヒットにつながったような印象がある。
先行シングル「トラッシュ」がイギリスでリリースされたのはこの年の7月29日だったが、その前日、スウェードは東京のお台場にあったPOP-STOCKという会場でライブイベントに出演していた。スリーパー、プッシャーマンというイギリスのバンドに日本のEL-MALO、ヘッドライナーがスウェードというラインナップで、一部はフジテレビの「BEAT UK」でも放送された。「トラッシュ」はポップでキャッチーな曲だったが、「ごみ」を意味するタイトルがあらわしているように、バンドそのものやファンダムについての自虐も含んだ内容となっている。その絶妙なバランスがとても良く、私は「ロッキング・オン」の契約社員募集にこの曲のレヴューで応募するものの、もちろん壮絶に落ちていた。POP-STOCKの会場には現在の妻と一緒に行っていたのだが、開演前に場内ではブリットポップのヒットパレードとでもいうべき音楽が次から次へと流れていて、見た目はカジュアルな普通の女子高校生のような人達がディヴァイン・コメディーの「サムシング・フォー・ザ・ウィークエンド」などで盛り上がったりしていたのがひじょうに印象的であった。以前には小山田圭吾のプロデュースで作品をリリースしたりもしていたEL-MALOがひじょうにラウドな音楽をやっていて、一緒に行っていた現在の妻が怯えていたはずである。この時に「トラッシュ」のTシャツを買ったのと、ポストカードセットのようなものも引越しの時に出てきた。
「カミング・アップ」からシングル・カットされた曲は次々とヒットしていたのだが、1997年の2月から3月にはこのアルバムを引っ提げた来日ツアーも行われ、私は現在の妻と3月2日に行われた赤坂ブリッツでの公演に行っていた。外で列に並んでいる時に、やはりこのライブを見に来ていた現在の妻の元同僚だという男性に偶然に出くわすということもあった。彼は一緒に働いていた頃にはマイケル・ジャクソンなどを聴いていて、まさかスウェードのライブに来ているとは思わなかった、と現在の妻はいっていたのだが、彼女にしても私と知り合った頃のCDラックにあったのは、徳永英明やリチャード・マークスであったことが思い起こされる。
というようなことはどうでもいいのだが、要は日本においてもブリットポップはメインストリームのポップ・ミュージックとしてわりと流行っていたということである。新宿のマルイシティの地下にあったヴァージン・メガストアで洋雑誌の売場を見ていたところ、わりと地味そうな見た目の女子高校生ぐらいの人がパルプのジャーヴィス・コッカーがブリット・アワーズでのマイケル・ジャクソンのステージに乱入した件について友人らしき人に説明していて、「ブリットポップっていうの。ハマるよ」などと言っていたというのもあった。
当時のブレット・アンダーソンのインタヴューを読んでいると、ブリットポップはブームだがスウェードはアウトサイダーであり、ファンにもそういったところがあるのではないかとか、とにかく良い曲をつくりたくて、それはインディー・ロックやブリットポップといった枠を超えて、マライア・キャリーが歌っても良い曲だと思えるようなものだというようなことを言っていたような気がする。私もスウェードのまさにそういうところが好きで、「カミング・アップ」から3枚目のシングルとしてカットされ、アルバムでは最後に収録されていた(再発されたバージョンにはその後にボーナス・トラック的なものが追加されていたりするが)バラード「サタデイ・ナイト」などはメロディーがとても良い上に、ペーソスに溢れていて大好きである。つまらなくて冴えない日常生活の中、土曜の夜に楽しみを求める一般の人々の心に寄り添ったような内容のミュージックビデオもとても良い。
スウェードというバンドそのものには、もっと複雑で暗いところにも魅力があり、それらは2作目のアルバム「ドッグ・マン・スター」などで特に感じられるのだが、ポップでキャッチーなサウンドと暗めなアティテュードとの絶妙なバランスというある面における良さというのはこのアルバムで炸裂しているように思える。