トーキング・ヘッズ「リメイン・イン・ライト」について。

トーキング・ヘッズの4作目のアルバム「リメイン・イン・ライト」がリリースされたのは1980年10月8日だということなので、日本では山口百恵の引退コンサートが行われた3日後で、「ザ・ベストテン」で松田聖子「青い珊瑚礁」を抜いて八神純子「パープルタウン」が1位になる前日ということである。アメリカではクイーンの「地獄へ道づれ」がシングル、「ザ・ゲーム」がアルバムのチャートでそれぞれ1位に輝いていた。

さて、この「リメイン・イン・ライト」というアルバムは発売から40年以上が過ぎた現在においても、いわゆる歴代ベスト・アルバムランキングなどには選ばれていることが多い。70年代後半にニューヨークのパンク・シーンから登場し、初めてのライブはラモーンズのオープニング・アクトであった。知的でアート的なイメージとクリーンカットな見た目で、ひじょうにユニークな音楽性に定評があるバンドである。2作目のアルバムからはブライアン・イーノをプロデューサーに迎え、ニュー・ウェイヴがベースでありながらも様々なジャンルの音楽を取り入れていた。

「リメイン・イン・ライト」よりも前にトーキング・ヘッズの中心メンバー、デヴィッド・バーンはブライアン・イーノと「マイ・ライフ・イン・ザ・ブッシュ・オブ・ゴーツ」というアルバムをレコーディングしていたのだが、権利問題などいろいろあって、リリースの順番は結果的に後になった。アフリカ音楽などを取り入れた作品で、それは次のトーキング・ヘッズのアルバムにも影響を及ぼすのだが、メンバーの反応はあまり芳しくなかったりもしていたらしい。

ロック&ポップスの名盤ガイド的なものに載っていがちなアルバムの中には、その当時だったからこそ衝撃がはしり、ポップ・ミュージック史において重要な役割は果たしたものの、現在、まったく新しい感覚で聴いてみるといまひとつよく分からないというものがあったりもするのだが、この「リメイン・イン・ライト」の場合、その魅力が色褪せていないのではないかと、少なくとも私は感じるのであった。

当時、ニュー・ウェイヴとはいえロック・ミュージックにアフリカ音楽やファンクを取り入れること自体がひじょうに珍しく、それがとても新しかったのだということなのだが、今日、そのような音楽はそれほど珍しくもない。にもかかわらず、「リメイン・イン・ライト」が刺激的な作品に聴こえるのは、新しい試みをする上での軋轢のようなものにかなりのエネルギーが費やされていて、それが強度となっているからだろうか。

当時としてはおそらくひじょうに実験的なことをやっていたような気もするのだが、けして難解でモテなさそうになることがなく、あくまでポップであるところがとても良い。

ところで「リメイン・イン・ライト」がリリースされた頃、私はなんとなくモテそうというだけの理由で洋楽のレコードも買いはじめた地方都市の中学生ではあったのだが、このアルバムをリアルタイムで聴くまでには至らなかった。全米シングル・チャートはチェックしていたのだが、いまやトーキング・ヘッズの代表曲として知られている「ワンス・イン・ア・ライフタイム」は100位以内にもランクインしていなかった。アルバムは最高19位を記録したわりに、これはあまりにも売れなさすぎではないかという気もするのだが、逆にシングルがこんなに売れなかったのにアルバムがそこそこ売れたのはわりとすごいのではないかと思ったりもする。ちなみにイギリスではアルバムが最高21位なのに対し、シングルも最高14位とわりと売れている。

「リメイン・イン・ライト」の次のアルバム「スピーキング・イン・タンズ」は1983年にリリースされ、シングル・カットされた「バーニング・ダウン・ザ・ハウス」が最高9位のヒットを記録する。その後、ジョナサン・デミが監督したドキュメンタリー映画「ストップ・メイキング・センス」が話題になり、サイズが大きめのジャケットを着てパフォーマンスするデヴィッド・バーンの映像は日本でも目にしやすくなっていた。「ミュージック・マガジン」周辺や文化人的な人たちから持て囃されがなイメージがあったのだが、レコードを持っていても地方都市の遊んでいる女子にはそれほどモテなさそうだったので、この期に及んでもまだちゃんと聴いていない。

1980年代の終わりにアメリカの「ローリング・ストーン」誌が80年代のアルバム・ベスト100を選ぶ企画があり、1位のザ・クラッシュ「ロンドン・コーリング」は1979年12月14日に発売されたのだが、アメリカでは少し遅れて1980年1月に発売されたので80年代のアルバムだという主張だったと思う。以下、プリンス&ザ・レヴォリューション「パープル・レイン」、U2「ヨシュア・トゥリー」に続いて、4位が「リメイン・イン・ライト」であった。ポール・サイモン「グレイスランド」、ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」、マイケル・ジャクソン「スリラー」、R.E.M.「マーマー」などよりも高い順位である。この頃にはトーキング・ヘッズのニュー・アルバムがリリースされれば聴いたり買ったりするようにはなっていたし、映画「デヴィッド・バーンのトゥルー・ストーリー」のビデオをレンタルして見たりはしていたのだが、「リメイン・イン・ライト」はまだ聴いていなかった。それにしても、プロデューサーのブライアン・イーノは「ヨシュア・トゥリー」と合わせて、3位、4位に続けてランクインしているのがすごい。

それで、まあこれはそろそろ買うタイミングなのだろうなと思い、確か宇田川町にあった頃のタワーレコード渋谷店でCDを買ったのだが、聴いてみるとものすごく良い。フェラ・クティとかファンカデリックに影響を受けたとかそのような説明は何かで読んでいたと思うのだが、ただ流されているという感じではなく、あくまでもベースにトーキング・ヘッズらしさとでもいうべきオリジナリティーがあって、その上で咀嚼し、血肉化しているようなところに驚きを感じた。知的でクールに見えながらも、実際にはものすごくタフというか、そのような魅力を感じた。

全米シングル・チャートでは100位以内にもランクインしなかったが、いまやトーキング・ヘッズの代表曲として知られている「ワンス・イン・ア・ライフタイム」には人生における実存の危機とでもいうべき、ポップ・ミュージックの題材としてはやや難解なように感じなくもないが、ひじょうに深刻な問題を取り上げている。そして、この曲のすごさというのは、大人になってからの方が実感しやすいというものである。当時、思い描いていた以上の現在を手に入れることができている人たちは別として。

不安や悲惨でもしかすると救いようがないかもしれないような状況に対する、対抗策としてのユーモアのようなものが、この曲には溢れているように思える。