ティアーズ・フォー・フィアーズ「シーズ・オブ・ラヴ」について。
ティアーズ・フォー・フィアーズの3作目のアルバム「シーズ・オブ・ラヴ」が発売されたのは、1989年9月25日だということである。日本のオリコン週間シングルランキングでは、工藤静香「黄砂に吹かれて」、宮沢りえ「ドリームラッシュ」、竹内まりや「シングル・アゲイン」などが上位にランクインしていて、「三宅裕司のいかすバンド天国」ではBEGINがイカ天キングだった。
先行シングル「シーズ・オブ・ラヴ」は邦題ではアルバムと同タイトルだが、原題ではアルバムが「ザ・シーズ・オブ・ラヴ」なのに対し、「ソウイング・ザ・シーズ・オブ・ラヴ」であり、愛の種をまくというような意味であろう。この曲は当時、私が平日の深夜にアルバイトをしていたローソン調布柴崎店の店内放送でも流れていて、ビートルズみたいで良い曲だなと思っていた。当時、ローソンの店内放送は8トラックという記録媒体で流されていて、曲と曲との間にCMが入っていた。30分で一周するぐらいだったような気がする。22時から翌朝9時まで、拘束11時間というシフトで入っていることが多かったため、1日22回、週5日入った日には一週間で110回聴いた計算になる。
梅雨の季節には松任谷由実「ANNIVERSARY〜無限にCALLING YOU」がかかるとどんよりした気分になったり、夏にはレモンエンジェル「夏のMAJO」をあまりにも聴きすぎたせいで、明大前駅の階段を上り下りしている時などに無意識に脳内再生していていかんともしがたいと思った。そして、秋以降はジャネット・ジャクソン「ミス・ユー・マッチ」、ソウル・Ⅱ・ソウル「バック・トゥ・ライフ」などがかかっていた記憶はあるのだが、邦楽では何がかかっていたかまったく思い出せない。1990年の年明け直後には車でこれからどこかへ出かけようとしているらしいカップルの女性の方がサザンオールスターズ「フリフリ‘65」に合わせて「寄ってんさい♪」などと調子に乗って口ずさんでいて、男の方が苦笑いをしていた光景をなぜかよく覚えている。
「シーズ・オブ・ラヴ」(先行シングルの方)はビデオもなかなかおもしろかったような気がするのだが、曲そのものはビートルズでいうと「愛こそすべて」などにも通じる、ラヴ&ピース的な思想が感じられる。ティアーズ・フォー・フィアーズといえば、1985年半ばにヒットした「シャウト」が日本では自動車のテレビCMに使われていたり、いかにも80年代的なサウンドであったことなどから、ヤッピー的な人達が好んで聴きそうというような印象があったりもしたが、実際にはひじょうに精神的な内容を歌っていたのであった。というか、バンド名そのものが心理療法から取られている。
1983年にリリースされたデビュー・アルバム「ザ・ハーティング」は全英アルバム・チャートで1位に輝いたのだが、このアルバムからシングル・カットされた「ペイル・シェルター」を当時、NHK-FMの「リクエストコーナー」で聴いて、アコースティックとエレクトロニックのバランスが程よい上に繊細なボーカルもなかなか良いなと感じた。全英シングル・チャートで3位を記録した「狂気の世界は」2003年に映画「ドニー・ダーコ」のためにマイケル・アンドリュースとゲイリー・ジュールズによってカバーされたバージョンが1位に輝いた。「ドニー・ダーコ」にはティアーズ・フォー・フィアーズの「ヘッド・オーヴァー・ヒールズ」をはじめ、80年代のニュー・ウェイヴがいくつも使われていた。
それから、ティアーズ・フォー・フィアーズは1984年に「シャウト」をヒットさせ、やはりNHK-FMの「リクエストコーナー」で聴いたのだが、随分とサウンドがメジャーになったなと感じた。そして、次にリリースされたシングルが邦題は先行シングルと同じ「シャウト」だが、原題は「ソングズ・フロム・ザ・ビッグ・チェアー」となるアルバムからカットされた「ルール・ザ・ワールド」である。これはイギリスでも最高2位のヒットを記録したが、アメリカでも初のトップ40ヒットにして、なんと1位にまで輝いてしまう。個人的には「シャウト」を旭川の真冬の寒い部屋で聴いていたのだが、「ルール・ザ・ワールド」がヒットしていた時には、東京で一人暮らしをはじめていた。そして、池袋の西武百貨店かパルコでこの曲やシンプル・マインズ「ドント・ユー?」を聴いて、いかにも80年代らしいダイナミックでメジャーなサウンドだなと感じた。アメリカではこの後に「シャウト」が、「ルール・ザ・ワールド」と連続で全米シングル・チャートの1位を記録した。
それからしばらくの間、ティアーズ・フォー・フィアーズのことはほとんど忘れていたような気がしないでもない。文字どおり忘却していたというわけでもないのだが、積極的に思い出したり、新作が楽しみだったりはしなかったような気がする。その間に、アナログレコードとCDの売り上げが逆転し、ザ・スミスが解散し、ザ・ビートルズのCD化が話題になり、ヒップホップやハウス・ミュージックやグラウンド・ビートなどが新しいポップ・ミュージックとして注目されるようになった。
そんなご時世に「シーズ・オブ・ラヴ」はリリースされたわけだが、たとえば1967年あたりのビートルズっぽい曲というのはその時代においては最先端だったと思うのだが、1989年においてはそうではない。というか、むしろ懐古趣味的にすら感じられる。それはもちろんそうではあるのだが、この曲にはどこか抗えない魅力があった。それで、CDも確か宇田川町にあった頃のタワーレコード渋谷店あたりで買ったのであった。
1曲目の「ウーマン・イン・チェインズ」はシングル・カットもされたのだが、フィル・コリンズがドラムで参加している。ティアーズ・フォー・フィアーズのメンバーがアメリカのカンザスシティで歌っているところをたまたま見たのがきっかけで、参加することになったオリータ・アダムスのソウルフルなボーカルも印象的である。それまでのティアーズ・フォー・フィアーズの作品と比べ、演奏も歌もよりオーガニックになっていることがはっきりと分かる。それは時代の流れに逆行しているように思えなくもなかったが、どうしてもこれがやりたかったのだろうという必然性のようなものが感じられた。
プロデューサーを立て、一度はレコーディングをするが気に入らずボツにしたりという過程を経て、やっと行き着いたのがこの音楽性だったようだ。「シーズ・オブ・ラヴ」がやはり際立ってキャッチーであり、完成度も高いように思えるが、アルバム全体にも聴きごたえがある。全米シングル・チャートでは最高2位で、1位はジャネット・ジャクソン「ミス・ユー・マッチ」に阻まれた。J-WAVEの「TOKIO HOT 100」でも「ミス・ユー・マッチ」の下で5週連続2位と粘ったのだが、翌週にはビリー・ジョエル「ハートにファイア」が1位になっていた。
アルバムはイギリスで1位、アメリカで8位とヒットを記録し、健在ぶりを印象づけたのだが、その後、メンバー間の不仲が表面化し、しばらくの間、ティアーズ・フォー・フィアーズはローランド・オーザバルのソロ・プロジェクトとなった。
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