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ザ・バンド「ザ・バンド」について。

サーカス「Mr. サマータイム」や矢沢永吉「時間よ止まれ」がヒットしていた1978年の夏、私は旭川で小学生だった。ラジオはよく聴いていたのだが、洋楽はまだ主体的に聴いていなかった。ビリー・ジョエル「ストレンジャー」、ビー・ジーズ「恋のナイト・フィーバー」、アラベスク「ハロー・ミスター・モンキー」あたりは日本でもオリコン週間シングルランキングの10位以内に入るほど売れていたので、知ってはいたのだが。

ラジオでは映画のCMがよく流れるわけだが、その年の夏でいうと「スター・ウォーズ」と「サタデー・ナイト・フィーバー」が話題だったことは間違いがないのだが、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」も日本で公開されていた。それで、CMを耳にするわけだが、当時、ザ・バンドなどという渋いバンドのことはまったく知らなかった。とはいえ、バンドの名前がザ・バンドというのはなんかすごいなと思った。ラーメン店がザ・ラーメン屋という屋号で営業しているようなものである(関西などには株式会社ライフフーズが運営する、ザめしやという外食チェーンが存在するが)。その時にCMでは「ザ・ウェイト」が流れていたので、この曲のことはタイトルは知らないまでもこの頃から馴染みがあった。当時、ヒットしていたディスコ的な洋楽とは違い、随分と渋いなとは感じていた。

さて、私が洋楽を主体的に聴きはじめた頃というのは、全体的にライトでポップなものの方が価値が高いという空気感がなんとなくあり、節操のないミーハーである私はまんまと全面的にそれに乗っかるわけだが、それでニュー・ウェイヴ的な感覚のものがカッコいいと思って、80年代前半は生き延びていたような気がする。となると、ザ・バンドのようなルーツ的な音楽には食指が動かないものである。それで、高校を卒業して東京で一人暮らしをはじめるのだが、厚木にキャンパスがある大学に入学したので小田急相模原に引越すことになる。最新のポップスも良いのだが、過去の名盤も聴いてみようというムーヴメントが自分の中で起こり、たとえばヴェルヴェット・アンダーグラウンドやテレヴィジョンやロキシー・ミュージックのアルバムを買って、これは良いやとしっくりくる一方で、ザ・バンドなどは小田急相模原の駅ビルのレコード店でベスト・アルバムを買って、「ザ・ウェイト」を懐かしく感じたりはしたものの、どうも地味すぎるように感じられて、ハマるようなことはなかった。

80年代後半の夏休みに旭川の実家に帰省していると、数日後にはやることがなくなり、サンホームビデオからレンタルしてきたビデオを妹と見まくるということになるのだが、その際に教養としてザ・バンドの「ラスト・ワルツ」も借りてきた。ザ。バンドの他にボブ・ディランとかニール・ヤングとかジョニ・ミッチェルとかすごい人達がいろいろ出ているのだが、やはりおそらくとても良い音楽なのだろうなとは思ったものの、自分にはよく分からず返却をした。

1988年にRCサクセションが「カバーズ」というカバー・アルバムを発売しようとしていたのだが、その中にいくつかいわゆる反原発ソングが入っていて、親会社が原発産業にかかわってもいる東芝EMIから発売することができないといわれるという事件があった。アルバムは結局、別のレーベルから出るのだが、ボーカリストでソングライターの忌野清志郎は弾圧されたと怒りまくっていた。しかし、その後、ライブ・アルバムの「コブラの悩み」は東芝EMIから発売された。ザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリースト」がカバーされていて、忌野清志郎による日本語詞では、「頭の悪い奴らが 圧力をかけてくる」「日はまた昇るだろう このさびれた国にも」などと歌われていた。

ロック評論の名著としてグリール・マーカスの「ミステリー・トレインーロック音楽にみるアメリカ像」があり、これにもザ・バンドがかなり取り上げられている。つまり、ひじょうに偉大なバンドであることには違いがないのだろうが、当時の私はといえば興味や関心がパブリック・エナミーなどのヒップホップに移っていて、ザ・バンド的な音楽とはさらに離れてしまっていたとはいえる。

90年代になると、とにかくいわゆる名盤と呼ばれているものをいろいろ聴きまくろうというムーヴメントが一時的に盛り上がり、下北沢のイエローポップという中古レコード店で、「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」のCDを買った。それで聴いてみるのだがやはりよく分からず、いよいよこれは自分には根本的に向いていないのではないかというような気分になる。

それからしばらくして、1968年に「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」を聴いたことがいかに衝撃的な体験だったかということを綴った文章を読んだ。様々なジャンルの要素が混じり合い、それまで聴いたことがないような音楽が生まれている、当時、そのように感じたというのだ。このアルバムを聴いてエリック・クラプトンは音楽を辞めようと思った、などという伝説もあったような気がする。なるほど、「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」とは、当時、そのように受け止められたアルバムだったのか、などと思い、ダメ元で聴いてみると、これがとても良い。この文章がすぐに効いたたというわけでは特になくて、その間におそらくザ・バンドから影響を受けたアメリカーナと呼ばれる音楽に親しみ、そのようなものが良いと感じられるようになっていたことが大きかったと思う。

それで、衝撃的だったのは「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」だが、最高傑作はこっちの方といわれる「ザ・バンド」もかつて買ったもののあまり聴いていなかったので、改めて聴いてみたところ、これがとても良い。カントリー、フォーク、ジャズ、R&Bといった様々なジャンルからの影響が溶け合い、まったく新しく刺激的な音楽が生まれている、とかつて名盤ガイド的なもので読んだかもしれない解説が一気に腑に落ちたのであった。

これはそのうち「ラスト・ワルツ」もDVDで見直す必要があるなと思っていたところ、数年前に映画館でリバイバル上映されて、見に行ったところやはり最高であった。

しかし、音楽的にはやはり「ザ・バンド」の頃の方がずっと良い。いかにもアメリカ的な音楽をやっているのだが、5人のメンバー中4人がカナダ人である。そして、3人のボーカリストがそれぞれ別々の個性を持っていて、それらが完全に適材適所的に機能しているように感じられる。あと、それぞれの楽器の演奏が有機的に作用し合って、とても豊かな音楽を生み出しているのだが、渋さの中に絶妙なポップ感覚が感じられるのもとても良い。

このアルバムがリリースされたのは1969年9月22日で、全米アルバム・チャートでは最高9位を記録している。ピークの週は1970年2月7日付で、1位がレッド・ツェッペリン「レッド・ツェッペリンⅡ」、2位がビートルズ「アビイ・ロード」で、5位にローリング・ストーンズ「レット・イット・ブリード」がランクインしている。

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