1991年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト50

ポップ・ミュージック史上ひじょうに重要なアルバムがたくさんリリースされたともいわれる1991年だが、今回はこの年にリリースされたり少し前にリリースされたがこの年にヒットした曲の中からベスト50を決めるということをやっていきたい。よくあるメディアが発表しているこういったタイプのリストとは違い、いろいろな人達の投票にはよらず、完全に1人でやっているため、個人的な趣味や嗜好、思い出補正などが強く影響していることは否めないのだが、それでも適当にやっていきたい。

50. Pregnant For The Last Time – Morrissey

この頃のモリッシーというのは黒いスケスケのブラウスの下で乳首に絆創膏を貼ってクネクネ踊りながら歌うことなどでも定評があったわけだが、このロカビリー的なシングルはシンプルなサウンドといかにもモリッシーらしい複雑な背景を想像させるボーカルとのマッチングがなかなか良いものである。この年に初来日して六本木WAVEで見たが、本当に好きな有名人を見た時というのは、とにかく何も言うことができないのだな、ということを思い知らされた。

49. Last Train To Trancentral (Live From The Lost Continent) – The KLF

ダンス・ミュージックのユニットとしてヒット曲を連発しながらもトリックスター的な行動などで楽しませてくれた人達だが、この曲では疑似ライブ的な演出やテクノポップ時代を思わせる加工されたコーラス、効果音や異様な盛り上がりなどインチキ臭さも含め最高である。

48. Cream – Prince & New Power Generation

アルバム「ダイアモンズ・アンド・パールズ」には革新性よりも人間味を感じたりもしてこれはこれで好きなプリンスなのだが、このキュートでキャッチーでセクシーな全米NO.1ヒットを生んだのも良かった。CDジャケットがホログラムのようになっていたと思う(初回盤だけかも)。

47. Tasty Fish – The Other Two

ジ・アザー・トゥーはニュー・オーダーの自称その他2名によって結成されたユニットなのだが、その謙虚なネーミングセンスに好感が持てるだけではなく、曲もキャッチーでとても良い。

46. Endless Art – A House

たとえ作者が亡くなったとしても芸術は生き続けるということについて、ベートーベン「運命」を引用したりしながら歌ったインディー・ポップで、プロデュースはエドウィン・コリンズである。

45. Star Sign – Teenage Fanclub

モダン・クラシック的なとても良いインディー・ロック・アルバム「バンドワゴネスク」からの先行シングル。カップリングでマドンナ「ライク・ア・ヴァージン」をカバーしていた。

44. Go – Moby

当時の全英シングル・チャートではよく分からない匿名的なダンス・ミュージックのユニットがたくさん上位にランクインしていたのだが、この曲もそのうちの一つというように認識していたかもしれない。後に記名的なアーティストとして、しっかり認識されるようになっていった。

43. After The Watershed (Early Learning The Hard Way) – Carter USM

半ズボンを履いた30代の男がデジタルビートに乗せてアジットポップ的な曲を歌うというスタイルが独特だったカーターUSMの代表曲の1つで、ローリング・ストーンズ「ルビー・チューズデイ」が引用されていたりもする。

42. Happy – Ned’s Atomic Dustbin

前髪がとても長いボーカリストを擁するパンク・ロック・バンドによる、アンセミックでとても良い曲。

41. Where The Streets Have No Name (I Can’t Take My Eyes Off You) – Pet Shop Boys

U2の生真面目そうな曲を軽快なディスコ・ポップにアレンジして「君の瞳に恋してる」とメドレー化という、とても楽しいことをやっている。批評としても機能しているのだが、U2の楽曲がポップ・ソングとして優れていることも明らかにしているように思える。

40. Motown Junk – Manic Street Preachers

冒頭からして革命と連呼している、勢いのあるパンク・ロック。当時、懐古趣味的な泡沫バンドとしてしか見ていなかったことを深く反省したい。

39. Black Or White – Michael Jackson

「スリラー」「バッド」に比べると評価はかなりされていないような気がするアルバム「デンジャラス」からの先行シングルだが、ポップ・ミュージックとしてのクオリティーにはバーガーキングのような安定感がある。

38. Bring The Noise – Anthrax featuring Chuck D

パブリック・エナミーのテンション高めな曲をメタル・バンドのアンスラックスがカバー、しかもチャックDをフィーチャーしているという素晴らしいシングル。

37. Apparently Nothin’ (Soul River) – Young Desciples

アシッド・ジャズと呼ばれる音楽が個人的にはほとんど関りがない人達の間で流行っていたらしく、ホワイトジーンズを履いている確率が高かったらしい。この曲は好きだったし、レコードもよく聴いていたのだが。

36. Give It Away – Red Hot Chilli Peppers

渋谷のセンター街にあったHMVのあの区画がいわゆる「渋谷系」コーナーになるよりも前に、スピーカーから流れるこの曲に体を揺らしながら気だるげに商品を陳列する女性店員に良さを覚えた。

35. To Here Knows When – My Bloody Valentine

輪郭がつかめずに、曖昧でポップ・ソングとしての核がまったくつかめないのだが、そこがとても良く、まるで白昼夢のような音楽だと感じた。

34. Gonna Make You Sweat (Everybody Dance Now) – C+C Music Factory

この曲のパロディーで確か「エヴリバディー・ファック・ナウ」というのがあって、最低で最高だったような気がするのだが、もしかすると気のせいかもしれない。遊んでいる人達が好んで聴いていたので、陰湿な音楽オタクが評価するものよりもおそらくマシなのではないかと感じていた。

33. Charly – The Prodigy

プロディジーもこの頃にはまだキャラクターが立っていなくて、匿名的なダンス・ミュージックのユニットという印象だったのではないかというような気がする。といあいえ、なんとなく良い意味での不純さのようなものが感じられ、なんとなく気にはなっていたのだった。

32. Papua New Guinea – The Future Sound Of London

ヒゲ面でメガネのソウル・ミュージックマニアがザ・フューチャー・サウンド・オブ・ロンドンというユニット名をバカにしていたのだが、もちろんそこが良いわけであり、このシングルも最高である。

31. What Do I Have To Do – Kylie Minogue

引き続きPWLではあったのだが、初期のバブルガム・ポップでガール・ネクスト・ドアー的なイメージだった頃よりも絶妙に良くなっていて、イギリスのメディアではSEXKYLIEなどともいわれたりしていた。インディー・ポップ派にも人気が高かったのだが、カイリー・ミノーグの唯一の欠点は妹がブスなこと、などと酷いことを言っていた日本のアーティストが誰だったかということについては、あえてこのタイミングで言及はしない。

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