オアシス「モーニング・グローリー」について。

オアシスの2作目のアルバムにして最高傑作とざれる場合がひじょうに多い「モーニング・グローリー」は、1995年10月2日に発売された。季節はもうすっかり秋であり、個人的にはザ・ブルートーンズ「ブルートーン」のCDシングルと一緒に買ってきてもらった記憶がある。

この年の真夏にブラー「カントリー・ハウス」とオアシス「ロール・ウィズ・イット」という、当時、ライバル関係にあると目されたバンドの最新シングルがまったく同じ日に発売される、というかブラーサイドがわざわざ合わせるという一件があり、これは「バトル・オブ・ブリットポップ」として、イギリス国内でかなり話題になったようだ。結果はブラー「カントリー・ハウス」が1位でオアシス「ロール・ウィズ・イット」が2位、ブラーの方は同じタイトルで2種類のシングルを発売して、熱心なファンはそのどちらをも買ってその合算が集計されるので有利なのではないか、という意見もあったのだが、「バトル・オブ・ブリットポップ」においてはブラーが勝ってオアシスが負けたという認識は広く共有されていたような気がする。

スウェード、ブラー、レディオヘッド、パルプなどの活躍により、盛り上がりかけていたイギリスのインディー・ロックだが、1994年にシングル「スーパーソニック」でデビューしたオアシスの出現により、それはさらに活気づいていった。オアシスのレコードデビューが、ニルヴァーナのカート・コバーンが亡くなった数日後だったというのも、どこか象徴的だったような気がする。

イギリスのインディー・ロックというとなんとなく暗い人が聴く音楽という印象があり。それを自覚した上で私も聴いていたため、オアシスのこともその延長線上で注目をしていたのだが、イギリスのクラブ・カルチャーやファッションを取り上げがちな雑誌でも好意的に紹介されたり、渋谷のWAVEでカジュアルな若者がオアシスのCDを手に取っているのを見たりしているうちに、これは思っていたよりも大ごとになりかけているのかもしれない、という気分になっていた。

そうこうしているうちに夏の終わりに発売されたデビュー・アルバムは内容が素晴らしい上に全英アルバム・チャートで初登場1位、渋谷のクラブクアトロで体験した初来日公演もひじょうに盛り上がっていた。パンク/ニュー・ウェイヴ以降のアティテュードや、レイヴ・カルチャーやマッドチェスターを通過した感覚を持っているが、楽曲にはクラシック・ロック的なオーセンティックさも持ち合わせている。これは最新型のポップ・ミュージックであり、単なる60年代回帰などではまったくなかった。ポップ・ミュージック史のどの時代においてもこの時期のオアシスのようなバンドは存在していなく、そこにオリジナリティーを感じてはいたのだが、そうは感じない人達がいることもじゅうぶんに理解はできる。

オアシスの全英シングル・チャートの最高位を見ていくと、デビュー・シングルの「スーパーソニック」が31位で、メディアでもよく取り上げられるようになった頃の「シェイカーメイカー」が11位、「リヴ・フォーエヴァー」が10位で初のトップ10入りを果たし、デビュー・アルバムが初登場1位を記録した後、「シガレッツ・アンド・アルコール」がシングル・カットにもかかわらず7位、これにはカップリングにビートルズ「アイ・アム・ザ・ウォルラス」のカバーが収録されていたことも影響していたと思われる。そして、新境地も感じさせた「ホワットエヴァー」が3位、年が明けて次のアルバムからの先行シングル「サム・マイト・セイ」でついに1位に輝いたのであった。

そして、「バトル・オブ・ブリットポップ」に意図せずかかった「ロール・ウィズ・イット」は2位であり、デビュー以来、初めて前作よりも最高位が下がった。前作が1位だったのでもはやそれ以上に上りようもなかったのだが、「バトル・オブ・ブリットポップ」の件も含め、それまでの無双状態にやや翳りがさしたようにも思えた。順位だけならばそうでもなかったのだが、「スーパーソニック」「シェイカーメイカー」「リヴ・フォーエヴァー」「シガレッツ・アンド・アルコール」「ホワットエヴァー」「サム・マイト・セイ」と挙げているだけでもわくわくしてくる、ほぼ完璧に近いデビューから6枚のシングルに比べると、「ロール・ウィズ・イット」はそれほど良くはないのではないか、とも感じられた。確かにご機嫌なロック・チューンではあり、じゅうぶんに気に入ってはいたのだが、オアシスの最新にして待望のニュー・アルバム直前の新曲としてはやや物足りないというか、そんな気分にはなってもいた。先行シングルとしてリリースされる曲というのは、アルバムの中でも特に優れた曲である場合が多く、そう考えるともしかするとオアシスの2作目のアルバムはデビュー・アルバムほど良くはないのかもしれない、というような気もしてきていた。

そして、デビュー・アルバムは自ら西新宿のラフ・トレード・ショップで2枚組アナログレコードをマニック・ストリート・プリーチャーズ「ホーリー・バイブル」と一緒に買ったのに対し、「モーニング・グローリー」と題された2作目のアルバムのCDはザ・ブルートーンズ「ブルートニック」のCDシングルと一緒に後に妻となる人に買ってきてもらった。そして、幡ヶ谷のマンションの部屋のステレオで再生した。

演奏やリアム・ギャラガーのボーカル・パフォーマンスはより深化を見せ、楽曲のクオリティーも格段に上がっているように思われるのだが、個人的にはデビュー・アルバムの方が好きである。しかし、オアシスの最高傑作を「モーニング・グローリー」とする説にはまったく異論がない。とはいえ、このアルバムがリリースされた当時はそれほど諸手を挙げて大絶賛の嵐という感じでもなかったような気もする。デビュー・アルバムはとても良いのだが2作目はいまひとつという、いわゆるセカンド・アルバム・シンドロームと呼ばれる現象が珍しくもないとされていたが、「モーニング・グローリー」に対してもそういった文脈で批評しているメディアやジャーナリストが、当時は明らかに存在していたような気がする。

デビュー・アルバムの1曲目に収録された「ロックンロール・スター」が何かとてつもないもののはじまりを告げ、スタンスを明確にするに相応しすぎる楽曲だったことには間違いがなく、それに対し、「モーニング・グローリー」の「ハロー」は当時の私を含む素人には少し分かりにくかったかもしれない。そして、次がもちろんご機嫌なロック・チューンではあるのだが、当時のオアシスのシングルとしては何かがやや足りないようにも思われた「ロール・ウィズ・イット」である。この時点で実は当時の私もこの「モーニング・グローリー」というアルバムはもしかするとあのほとんど完璧に近いデビュー・アルバム「オアシス(原題:Definitely Maybe)」ほど良くはないのではないかと感じかけていたのだが、そもそもあのクラスのアルバムがそう簡単に続けて出せる方がどうかしているのであり、これはこれでまた良いのではないかというような方向性で楽しもうとしていた。

その矢先、当時はまだシングル・カットもされていなく、捨て曲である可能性もなくはないぐらいのタイミングで、あの「ワンダーウォール」が流れたのであった。インディー・ロックとかブリットポップとかいうことを抜きにして、ただ純粋にとても良いバラードであり、リアム・ギャラガーのボーカルには新たな可能性が感じられた。そして、その次がやはりまだシングル・カットされていない「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」である。

デビュー・アルバムを2枚組アナログレコードで買っていたので、ノエル・ギャラガーがリードボーカルを取る「サッド・ソング」も収録されていた。この曲はCDには収録されていなかったのでマイルドなロイヤリティーを感じてもいたのだが、実は日本盤のCDには入っていたと後で知る。それはまあ良いのだが、オアシスというバンドの魅力の一つとしてリアム・ギャラガーのボーカルが挙げられることには間違いがないのだが、ノエル・ギャラガーのボーカルもシンガー・ソングライター的でとても良い。

「ドント・ルック・バック・イン・アンガー」はノエル・ギャラガーがリード・ボーカルを取った曲としては初めてシングル・カットされ、全英シングル・チャートで「サム・マイト・セイ」に次ぐ1位に輝いた。それ以前には「ワンダーウォール」がシングル・カットされて最高2位、つまりこのアルバムには全英NO.1ヒットと最高2位のヒット曲がそれぞれ2曲ずつ収録されていたことになる。インディー・ロックにはメインストリームに対するカウンターという側面があり、それが重要でもあるのだが、もはやオアシスやブリットポップはイギリスのポップ・ミュージック界におけるメインストリームになっていた。

そして、7曲目にして「サム・マイト・セイ」なのだが、その前に収録された題名のないインストゥル・メンタルも素晴らしく、最高のイントロダクションになっている。そして、この曲はやはりデビュー・アルバムで見せたこのバンドのエッセンスをさらに次の段階に引き上げる重要な意味を持っていたと感じさせ、初のNO.1ヒットに相応しいのではないかと再認識させられる。

さらにザ・ヴァーヴのリチャード・アシュクロフトのことを歌っているという「キャスト・ノー・シャドウ」のアンセミックでありながらペーソスに溢れた感じ、コーラスにおけるギャラガー兄弟のボーカルが代わる代わるに聴くことができ、最後にタイトルをハモるところなども素晴らしい。個人的にオアシスは「シガレッツ・アンド・アルコール」のような曲こそが最高という設定で聴いてはいるのだが、時々、特に心や体が弱っている時などは、この曲がオアシスで最も好きになったりもする。

さらに後半には「モーニング・グローリー」「シャンペン・スーパーノヴァ」といったモダン・クラシック的な楽曲がこれでもかというばかりに収録されているのだが、その間の「シーズ・エレクトリック」の軽快さも説妙にとても良い。このアルバムはクオリティーに相応しく、デビュー・アルバム以上に売れに売れまくり、イギリスのみならずアメリカのアルバム・チャートでも最高4位のヒットを記録する(ちなみにデビュー・アルバムは最高58位だった)。

この時点でつい数ヶ月前にオアシスが「バトル・オブ・ブリットポップ」でブラーに敗れたことなどは、とっくに忘れ去られているようでもあった。オアシスの時代はブリットポップというサブジャンルそのものをも大いに盛り上げ、全英チャートの上位にギター・バンドのシングルがランクインしまくるといういまでは考えられないようなことが実際に起こっていた。1996年の夏にはネブワースに大勢の人々をあつめ、伝説ともいわれるライブを実現し、オアシスはビートルズを超えるようなバンドに本当になってしまうのかもしれない、という夢を見ていた人達もまったくいなかったとはいえないのではないだろうか。

この時期までのオアシスの音楽は確かにロックではあるのだが、それまでの様々なジャンルのポップ・ミュージックを吸収し、咀嚼した上であえて選ばれたフォーマットとしてのそれという印象も強く、単なる懐古趣味的なロックとしか感じていなかった人達もいただろうし、その感覚も理解できなくはないのだが、個人的には最新型のポップ・ミュージックであり、サウンドやスタイルとして最先端なジャンルの音楽とも強度において拮抗していると感じていた。ノエル・ギャラガーはテクノのケミカル・ブラザーズとコラボレートして、「セッティング・サン」で全英シングル・チャートで1位に輝く。こういったエクレクティックな感覚がオアシスというロック・バンドに持ち込まれたとして、それが上手くいったのかどうかは定かではないし、実際にそれは起こらなかったといえる。

1997年にリリースされたアルバム「ビィ・ヒア・ナウ」からの先行シングル「ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン?」にその可能性を感じなくもなかったのだが、アルバムそのものはそういったベクトルの作品ではまったくなかった。たとえばビートルズ的なエクスペリメント性というのは、この年であれば「OKコンピューター」をリリースしたレディオヘッドなどが体現していたように思える。ちなみに個人的には「OKコンピューター」がひじょうに優れたアルバムであることは疑いようがないとしても、ものすごく好きかというと必ずしもそうともいえず、オアシスが「ドゥ・ユー・ノウ・ワット・アイ・ミーン?」をリリースした時には微妙だとする反応も周囲にはあったものの、エレクトロニック・ミュージックやヒップホップからの影響を好意的にとらえ、ついにオアシスが「リボルバー」のようなアルバムをリリースしてしまうのか、と過剰に期待しすぎていたような気がする。実際に「ビィ・ヒア・ナウ」を通して2回ぐらいしか聴いていないのだが、このアルバムが好きな人はもちろんそれで良いし、誰がなんと言おうと堂々と好きなままでいれば良いと思うのだ(ちなみに個人的にとても好きなのだが世間一般的な評価はわりと低かったり、アーティスト自身が自分ではそれほど好きではないと言っているような作品も少なくはないのだが、だからこそ自分はもっと好きになってやる、というような気分で適当にやっている)。

ちなみに、今日、「ビィ・ヒア・ナウ」についてのレヴューや感想のようなものをインターネットで検索すると、そのほとんどがこのアルバムが失敗作や駄作であるという前提から、再評価しようとしたり、なぜダメだったのかを検証したりしているのだが、リリースされた当時はわりと好意的な評価が多かった印象がある。「モーニング・グローリー」を当初は高く評価しなかったのだが、実は優れた作品であったことが後に明らかになったことのトラウマから、とりあえずオアシスの新作なので高く評価しておこうという感じになったのではないだろうか、つまり音楽ジャーナリズムなどというものはまったく当てにならないものだ、というようなことを、監修したベスト・アルバム「ストップ・ザ・クロックス」に「ビィ・ヒア・ナウ」から1曲も選曲せず、「いま歌詞を聴くとゾッとする。当時はドラッグにハマっていてどうでもよくなっていた」などと評するノエル・ギャラガー自身が言っていたような気がする。