woman standing on sunflower field

ビートルズ「愛こそはすべて」について。

1967年8月19日の全米シングル・チャートではドアーズ「ハートに火をつけて」に替わって、ビートルズ「愛こそはすべて」が1位になっていた。ビートルズが全米シングル・チャートで1位になったのは「抱きしめたい」「シー・ラヴズ・ユー」「キャント・バイ・ミー・ラヴ」「ラヴ・ミー・ドゥ」「ア・ハード・デイズ・ナイト」「アイ・フィール・ファイン」「エイト・デイズ・ア・ウィーク」「涙の乗車券」「ヘルプ!」「イエスタデイ」「恋を抱きしめよう」「ペイパーバック・ライター」「ペニー・レイン」に続いて14曲目であった。

この曲は衛星中継で世界を結ぶという、当時としては初の試みで画期的なテレビ番組「OUR WORLD~われらの世界~」のために書かれたものである。ポール・マッカートニーもこのために「ユア・マザー・シュッド・ノウ」を書いていたが、ジョン・レノンによる「愛こそがすべて」の方が分かりやすく、番組の趣旨にも合っているのではないかということで、こちらが採用されたようである。クレジット上はレノン=マッカートニー作品となっているが、実際にはジョン・レノンによって書かれたということである。

番組はこの年の6月25日から翌日にかけてイギリスのBBCをキーステーションに放送され、日本でもNHKが午前3時55分から6時3分というなかなかしんどい時間帯に生放送されていたらしい。世界のいろいろな国々から中継の時間があったようなのだが、ビートルズはイギリス代表としてこの曲を披露したということなのだろう。当時、日本でどれぐらいのリアクションがあったかについては、まだ乳児だったのでまったく覚えていない。

中継で生演奏されたのかというとそうではなく、バッキングトラックはあらかじめレコーディングされていたのだという。6月1日に8作目のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」がイギリスでリリースされるのだが、ご存知、ロックを芸術の域にまで高めたなどともいわれる歴史的名盤であり、もちろん大ヒットしていた。この前の年にビートルズはアルバム「リボルバー」をリリースしていたのだが、この時点で音楽性の評価がひじょうに高く、レコーディングにもいろいろ凝っていたためもはやライブで再現するのは不可能という理由もあったというが、ライブ活動をしなくなっている。実際にはこのアルバムの後にアメリカでツアーを行ってはいたのだが、「リボルバー」からの曲は演奏されていなかった。ここでジョン・レノンがもはやビートルズは神よりもポピュラーだ、というような発言をしたことから、一部の人々を怒らせたりもしていた。

初期にはビートルズをアイドル視する熱狂的な女性ファンがひじょうに多く、ビートルマニアなどと呼ばれ、よくビートルズ特集的な企画でも映像が流れるが、この頃にはしっかり音楽性で評価されるバンドになっていたと思われる。

また、ベトナム戦争の激化にともない、その様子が戦地からは遠く離れたアメリカ国内にも報道されるようになった。ベトナム戦争とは南北に分かれたベトナムがそれぞれ統一支配を目的に戦ったものとして知られているが、アメリカによる介入があまりにも大きく、実質的にはアメリカとベトナムとの戦いだったのではないかという考えから、ベトナム国内では米国戦争などと呼ぶ人達もいる。

物質主義的な社会に対し、自然回帰を志向するようなカウンターカルチャーがヒッピーのルーツなのではないか、などといわれてもいるが、これがLSDや大麻といったドラッグと結びつき、サイケデリックな文化になっていく。それが一般大衆的な反戦ムードにもマッチして、一気にポピュラー化していったのがこの頃なのだろうか。サンフランシスコのゴールデン・ゲート・パークではこの年の1月14日に反戦を訴えるヒューマン・ビーインが行われ、約3万人をあつめている。そして、3月26にはニューヨークでもセントラルパーク・ビーインが行われ、この流れは広まっていく。

6月16日から3日間、カリフォルニア州モンタレーでジミ・ヘンドリクスやオーティス・レディングが出演したことでも知られる野外ライブイベント、モンタレー・ポップ・フェスティバルが開催され、そのプロモーションのためにリリースされたのがスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」である。ママス&パパスのスコット・マッケンジーによって書かれたこの曲は、「もしも君がサンフランシスコに行くならば、髪に花を飾っていくといい」という歌いだしではじまる。当時、花は反戦の象徴として用いられていて、暴力に対して愛で対抗する、それが平和を実現する、すなわちラヴ&ピースという、あまりにもナイーブで理想主義的すぎるのではないかとも思われがちな思想がそこにはあった。この年の夏は「サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれ、ビートルズが「愛こそはすべて」をリリースしたのもそんな季節の真っ只中であった。

ジョン・レノンはスローガンや広告コピー的なものをわりと好んでいたらしく、その傾向はこの曲や後にプラスティック・オノ・バンドで発表する「平和を我等に」「パワー・トゥ・ザ・ピープル」などにもあらわれているように思える。音楽的にはイントロがフランス国家「ラ・マルセイエーズ」の引用ではじまるのだが、1792年に書かれたといわれるこの曲はそもそもがフランス革命の革命歌である。他にはスウィングジャズの有名曲で、ある世代の日本人には映画「瀬戸内少年野球団」でのクリスタルキングのカバーでも知られるグレン・ミラー楽団「イン・ザ・ムード」、イギリスの民謡「グリーンスリーブス」、バッハの「2声のインヴェンション8番BWVV779」、さらにはビートルズ自身の「シー・ラヴズ・ユー」「イエスタデイ」までもが引用されている(これはどうやらアドリブだったようなのだが)。コーラスではミック・ジャガー、キース・リチャーズ、マリアンヌ・フェイスフル、エリック・クラプトン、キース・ムーン、グラハム・ナッシュなども参加している。

1986年の夏休みに私は札幌の玉光堂というレコード店で「THE SUMMER ALBUM」という2枚組のコンピレーションアルバムを輸入盤のLPレコードで買うのだが、「愛こそはすべて」は1枚目のB面最後に収録されていた。その時点でビートルズのレコードは「1962年~1966年」しか持っていなかったので、「愛こそはすべて」はこの「THE SUMMER ALBUM」で初めて手に入れたことになる。アイズレー・ブラザーズ「サマー・ブリーズ」、ビーチ・ボーイズ「カリフォルニア・ガールズ」といういかにも夏らしい曲がたくさん収録されている中で、「愛こそはすべて」の一体どこが夏なのだろうと当時は思ってもいたのだが、リアルタイムで聴いていた人達にとっては「サマー・オブ・ラヴ」を象徴する楽曲として記憶されているのだろう。ちなみに「THE SUMMER ALBUM」では「愛こそはすべて」の前に収録されているのがスコット・マッケンジー「花のサンフランシスコ」でその前がママス&パパス「夢のカリフォルニア」である。

「愛こそはすべては」ビートルズのオリジナルアルバムには収録されていないが、アメリカでは「マジカル・ミステリー・ツアー」に収録されていた。「マジカル・ミステリー・ツアー」は1967年の暮れにイギリスで放送されたテレビ映画のサウンドトラックだが、イギリスでは作品中で使われた6曲を収録したEP盤2枚組というフォーマットで発売されたのに対し、アメリカではA面にこの6曲、B面にはオリジナルアルバム未収録のシングル曲を収録したコンピレーションアルバムのようなかたちで発売された。

それから約20年後、日本のプロ野球では西武ライオンズが日本シリーズで読売ジャイアンツを下し、2年連続の日本一に輝いた。当時のアルバイト先であった東京プリンスホテルは西武系列だったため、そのことで内部的に盛り上がってもいた。西武系といえば六本木WAVEもそうだったことを思い出し、地下鉄を日比谷で乗り換えて行ってみたところ、やはりエントランスで優勝を記念したバーゲンが行われていた。輸入盤のアナログレコードが1,000円という内容だったと思う。当時、CDはすでにじゅうぶんに普及していたが、まだまだアナログレコードも売られていた時代である。そこで私は「マジカル・ミステリー・ツアー」を買った。アメリカ盤のアルバムサイズの方である。「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」はRCサクセションが1986年のライブアルバム「the TEARS OF a CLOWN」で「Sweet Soul Music」とのメドレーで歌っているのを聴いていたのだが、トッド・ラングレンが「フェイスレス」でカバーしているのを聴いて、オリジナルも聴いてみたかった。個人的な様々な偏見によって、ビートルズをちゃんと聴くのは本当に遅かったことが改めて思い出される。

家に帰ってステレオで聴いてみたところ、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」には度肝を抜かれたし、それと両A面扱いだったという「ペニー・レイン」もとても良い曲だ。「愛こそはすべて」も収録されているし、A面もサイケデリッックでなかなか良い。特に「アイ・アム・ザ・ウォルラス」という曲がシュールな歌詞も含め、かなり気に入った。中学生の頃にたまたま身近にいたビートルズファンがなかなかいけ好かない男だったのと、教科書に載っているような聴いていることがそれほどカッコいいとはされないバンドというような偏見によって、ちゃんと聴いてこなかったことを激しく後悔した。

ビートルズは「愛こそはすべて」によって、「サマー・オブ・ラヴ」的なカウンターカルチャーに賛同を示したともいわれているのだが、ジョン・レノンはビートルズで「レボリューション」を書いて歌い、その後のソロ活動においてはより政治的なメッセージ性を強めていくことになる。そして、1971年にリリースされたとてもラジカルなメッセージソング「イマジン」によって、「愛と平和」のイメージと結びつけられていくようになる。あまりにもナイーブで理想主義的すぎるのではないかと思われがちでもあるが、けしてソフトで甘ったるいものではなく、暴力やファシズムというような過酷な現実に対しての強烈で過激なメッセージこそがそれだったのだという事実は噛みしめていきたい。

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