林哲司の曲ベスト20

8月20日は日本の作編曲家、林哲司の誕生日ということで、その数ある提供曲の中から特に良い曲を20曲選んでカウントダウンしていきたい。これらの曲の多くがヒットしていた頃にリアルタイムの流行歌として親しんでいたこともあり、個人的な趣味嗜好や思い出補正が影響していることは否定できないが、とにかく良い曲ばかりなのでさっそくはじめていきたい。

20. If I Have To Go Away /Jigsaw (1977)

などといいながら、まずは洋楽である。ジグソーはイギリスのポップロックバンドで、1975年にリリースした「スカイ・ハイ」のヒットで知られる。元々は香港・オーストラリア合作映画の主題歌としてリリースされた曲だが、全米シングル・チャートで3位を記録するヒットとなり、日本では覆面プロレスラー、ミル・マスカラスのテーマソングとしてとても有名になった。それで、この曲はその翌々年にリリースされて全英36位、全米93位を記録している。林哲司にとっては、まだ日本のアーティストにどんどん曲を提供する前の作品である。イントロからいきなりシティ・ポップ的なサウンドとハイトーン気味なボーカルが良い感じである。邦題は「君にさようなら」。

19. サマー・プリンセス/安田成美 (1985)

女優としてのイメージが一般的には強いと思われるが、1984年にリリースしたデビューシングルにしてアニメ映画のテーマソング(作品中では使用されていない)「風の谷のナウシカ」はオリコン週間シングルランキングで最高10位を記録したり、アルバムもテクノ歌謡として再評価されがちである。この曲は1985年に5作目のシングルとしてリリースされたが、オリコン週間シングルにはランクインすることがなかった。軽快なテクノポップ的サウンドと加工されたボーカルの感じがとても良いと思うのだが、ヒットしなかったしこれ以降シングルがリリースされることもなかった。この時代ならではのテクノサウンドに、当時開催中だったつくば科学万博の雰囲気を思い出したりもする。

18. 寝た子も起きる子守唄/とんねるず (1986)

「おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!」との併映だった主演映画「そろばんずく」のテーマソング。作詞は秋元康ではなく北山修である。タイトルにあるように子守唄のようにはじまるのだが、すぐにデジタルビートと「街はうるさい まるで生きてるようだ」と歌われ、勢いと活気に溢れた当時の東京のムードが思い起こされる。安田成美の次に夫である木梨憲武が所属するとんねるずの曲が並んだのは、実はまったくの偶然である。

17. くちびるからサスペンス/岩崎良美 (1984)

人気実力派歌手、岩崎宏美の実妹として1980年にデビューし、ポスト山口百恵の有力候補として大いに期待されていた。「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」には松田聖子と一緒に出演したが、「涼風」を歌った岩崎良美がその時はランクインした。その後、田原俊彦、松田聖子のブレイクをきっかけにアイドルポップスが復権し、この年のデビュー組からは河合奈保子、柏原よしえも後にベストテンの常連化する。そういったアイドルポップスの時代には完成されすぎていたのかもしれない、というような気もするのだが、その後にシティ・ポップ的な作品をリリースし続け、いま聴いてもかなり良いものが多い。この曲は18作目のシングルにあたり、オリコン週間シングルランキングでの最高位は73位に終わっているのだが、シティ・ポップ歌謡としてのクオリティーはとても高い。翌年、テレビアニメ「タッチ」の主題歌を歌いヒットする。

16. パズル・ナイト/中村雅俊 (1984)

人気役者がレコードも出すというケースは少なくなかったのだが、中村雅俊ほどヒットさせた例というのはあまりないのではないだろうか。ハートフルなボーカルは役者としてのパーソナリティーを思い起こさせもするが、優れた流行歌としてもしっかり成立している。まずは70年代のミリオンセラー「ふれあい」があり、80年代に入ってからも「心の色」や桑田佳祐が提供した「恋人も濡れる街角」をヒットさせていた。そして、シティ・ポップ的なこの曲はオリコン週間シングルランキングで最高52位に終わった。作詞はおニャン子クラブやとんねるずで大当たりする直前の秋元康である。

15. 信じかたを教えて/松本伊代 (1986)

松本伊代のレコードデビューは1981年10月21日発売の「センチメンタル・ジャーニー」だが、各音楽賞レースでは規定により1982年の新人として扱われていた。この年には後にベストテンの常連となる女性アイドルが何人もデビューし、「花の82年組」などと呼ばれたりした。1986年の春に戸板女子短期大学を卒業した松本伊代はアイドルポップス的な路線からはシフトして、本人の希望もあり同世代の女性が共感できるような楽曲を歌っていくようになった。その第1弾シングルとなったのがこの曲で、オリコン週間シングルランキングでは最高17位を記録する。個人的にはこのシングルがリリースされる頃に渋谷公会堂のコンサートに行き、帰りに宇田川町にあった頃のタワーレコードでザ・スミス「クイーンイイズ・デッド」とスティーヴ・ウィンウッド「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」を買ったことが思い出される。

14. 思い出のビーチクラブ/稲垣潤一 (1987)

シティ・ポップという言葉が一般的にいつ頃から使われるようになったのかについてはよく覚えていないのだが、あくまで個人的な印象だと当初は大滝詠一や山下達郎などには用いられていなかったような気がする。そして、稲垣潤一や山本達彦などにはシティ・ポップの印象が強い。当初はテレビの歌番組でドラムを叩きながら歌っていたと思う。1982年リリースの「ドラマティック・レイン」以降、シングルではベスト10に入るレベルの大ヒット曲がなかったものの、CMソングに起用されるケースは多く、アルバムは4作連続で1位を記録していた。この曲も当時、カナダドライジンジャエールのCMに使われていた。

13. 入江にて/郷ひろみ (1979)

歌謡ポップス界の超人気者で、聴けばすぐその声で郷ひろみだと分かる。この頃には音楽賞の受賞を辞退するなど、アーティスト路線も模索しているような様子も窺えたのだが、「ザ・ベストテン」などを見ているだけではその実態はよく分からなかった。そして、シングルでいうと「マイレディー」の少し後ぐらいにリリースされたアルバム「SUPER DRIVE」に収録されたこの曲は、紛うことなくシティ・ポップである。声は郷ひろみなのに、シティ・ポップ。最近のストリーミングサービス解禁によって、聴きやすくなったのはとても良いことである。

12. OCEAN SIDE/菊池桃子 (1984)

1984年に菊池桃子のファンになったのはもちろん可愛かったからなのだが、2作目のシングル「SUMMER EYES」などはシティ・ポップ的な感覚もあってとても良いと思った。それで夏休みに札幌のデパートの屋上で行われたミニライブと握手会に行ったりもしたのだが、その後にリリースされたデビューアルバム「OCEAN SIDE」には度肝を抜かれた。ゴリゴリのフュージョンやシティ・ポップのようなサウンドで、アイドルのレコードとしてはかなり異質に感じられた。それでいて、ボーカルはあの不安定にも感じられるが味があるもの。これは一体どこをターゲットにしているのだ、と当時思っていたのだが、いま聴くとただただ良いなとしか思えず、このアルバムが発売されてすぐに買ったことは間違いではなかったと思わせてくれる。ファンになったのは可愛かったからだけれども。

11. サマー・サスピション/杉山清貴&オメガトライブ (1983)

佐野元春「No Damage」とか杉真理「スターゲイザー」とか山下達郎「Melodies」とかを聴いていた頃で、これらとは基本的に違うとは思うのだが、ラジオで聴いてなんとなくこの曲は良いと思った。それで旭川のミュージックショップ国原でシングルを買った。そのうちテレビなどでもよく見るようになって、ヒットしていたという感じだった。「ザ・ベストテン」に初登場したのは、夏も終わった9月8日のことであった。

10. Dang Dang 気になる/中村由真 (1989)

「スケバン刑事Ⅲ 少女忍法帖伝記」に浅香唯、大西結花と風間三姉妹役で出演していたことでも知られる中村由真。この曲はテレビアニメ「美味しんぼ」の主題歌にも使われていた9作目のシングルでオリコン週間シングルランキングでは最高17位を記録している。いかにもシティ・ポップリバイバルにハマりそうな楽曲で再評価されたが、林哲司自身はそれほど思い入れが強くはないという。

9. 北ウィング/中森明菜 (1984)

中森明菜は1982年にアイドル歌手としてデビューしたので「花の82年組」ということになるのだが、この時点で松田聖子と人気を2分するほどの大スターになっていたのだった。それで、杉山清貴&オメガトライブの音楽を気に入っていた中森明菜の希望によって、林哲司の曲を歌うことが決まったのだという。当初は作詞をした康珍化による「ミッドナイトフライト」というタイトルになる予定だったのだが、中森明菜の提案によって「北ウィング」になったのだという。エモーショナルな歌唱と洗練されたサウンドが絶妙なバランスでとても良い。

8. 天国にいちばん近い島/原田知世 (1984)

80年代の女性アイドルで最も好きなのは間違いなく松本伊代なのだが、精神的に依存度が高かったのは原田知世である、とひじょうに気持ちの悪いことを言っている訳だが、この透明感にして多くを伝えてしまう感じというのはやはりすごいと言わざるをえない。「自分の夢にすぐムキになる そんなとこ好きだから とても」などというフレーズもひじょうにまずい。大学受験を数ヶ月後に控え、精神的にわりとヤバめだった時期にこの曲を服用するように聴いていたことが思い出される。

7. ふたりの夏物語/杉山清貴&オメガトライブ (1985)

大学受験には見事に失敗するのだが、とりあえず実家を出て東京で一人暮らしははじめた。とはいえ当然、贅沢はできないので、日当たりの悪い風呂なし四畳半で壁がひじょうに薄いアパートに住んでいた。東京でまだ友達もいなく、予備校から帰って「夕やけニャンニャン」を見るのと紋別の看護学校に進学した元同級生と文通をすることだけが楽しみだった頃、この曲がとても流行っていた。いまここにはないもののすべてが表現されているような夢のような曲だと思った。大学に合格さえすればこんな世界にもたどり着けるかもしれないと、勉強を頑張ろうと思った。「夕やけニャンニャン」の中の世界も然りだが。

6. デビュー〜Fly Me To Love〜/河合奈保子 (1985)

80年代に数多くのヒット曲を生み出した河合奈保子だが、オリコン週間シングルランキングで1位になったのは、この1曲だけである。杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」と同じ1985年の夏のヒット曲である。この年の秋に発表されたプラザ合意をきっかけとして日本はバブル景気に突入していく訳だが、その少し前の上昇気流のようなものが感じられるような気もする。

5. 卒業-GRADUATION-/菊池桃子 (1985)

1985年の春には斉藤由貴、尾崎豊、それから倉沢淳美も「卒業」というタイトルの曲をリリースしていて、もちろんそれぞれ別の曲である。

大学受験で東京のホテルに泊まっている時に同じ高校から一緒に受けに来ていた友人2人と夜中に電気を消した状態でくだらない話をしていたのだが、もちろん不安や感傷も混じっていた。会話が途切れていた時につけていた文化放送の「ミスDJリクエストパレード」でこの曲がかかった。あのイントロが流れだしてから少しの間のどことなくセンチメンタルな気分を、いなでも聴く度に思い出してしまう。

4. 悲しい色やね/上田正樹 (1982)

発売されたのは1982年だがヒットしたのは翌年になってからだった。ビートたけしと小林克也が司会の歌番組をテレビ朝日系で放送していたが、すぐに終わった記憶がある。「大阪ベイブルース」は大阪湾のブルースだが、伝説のプロ野球選手、ベーブ・ルースのことだと思っていたのは私だけだろうか。それはまあ良いのだが、とても都会的で洗練されたサウンドなのだが、そこに上田正樹のハスキーで大阪弁の歌が乗ることによって奇跡的な化学反応が生じているように思える。「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんベストテン」で明石家さんまをはじめ、何人かの痩せているタレントが上田正樹のコスプレをしてこの曲を歌う回があったように記憶している。

3. 悲しみがとまらない/杏里 (1983)

杏里は70年代後半のニューミュージックブームの頃にデビューして、それからネクストブレイク的な状態が続いていたような記憶があるのだが、1983年の夏休みが終わり学校に行くとテレビアニメの主題歌「CAT’S EYE」が流行っていた印象である。ちなみにその前の年は、あみん「待つわ」がそんな感じだった。その後、間髪入れずという感じでこの曲もヒットさせたのがすごかった。そして、まさにその通りという感じのタイトルを持つアルバム「TIMELY‼︎」の発売である。この曲は恋人を友人に紹介したら略奪されてしまい「悲しみがとまらない」という内容もキャッチーで、かなり後になってからヒットした当時には生まれていなかったであろう年代の女性がカラオケで普通に歌っているのに驚かされた記憶がある。

2. SEPTEMBER/竹内まりや (1979)

ニューミュージック全盛の70年代後半には新人アイドルにとっては受難の時代であったのと同時に、ニューミュージックのアーティストなのにアイドル的な仕事もさせられる、ということも少なくはなかったようだ。そして、竹内まりやもそのようなジレンマに悩まされていたという。それにしてもこの曲のイントロが流れた瞬間に景色がパッと変わり、当時の感覚が甦ってくるような感じはすごい。ポップでキャッチーなサウンドやボーカルであるからこそ、夏が終わり恋も終わってしまう切なさがマイルドに効いてくる。「辛子色のシャツ」のイメージと借りていた辞書の「Love」という言葉だけ切り抜いて返すのが別れのメッセージというくだりなども印象的である。

1. 真夜中のドア〜Stay With Me/松原みき (1979)

発売から40年以上が過ぎた2020年に世界各国でストリーミング再生されまくり、ランキング上位に入ったという話題も記憶に新しい。発売当時のオリコン週間シングルランキングでの最高位は28位であり、「ザ・ベストテン」に入るような大ヒットではなかったが、ラジオでもよく流れていて、知る人ぞ知る隠れた名曲という感じではまったくなかった。歌謡曲とは違い、ニューミュージックに分類されるのだろうが、なんとなく都会的で大人っぽくって良い感じだな、と中学生の私は思っていたはずである。校則で頭は丸坊主のくせに。

1987年の夏休みに帰省した時、旭川のマルカツデパートで中古レコードのバーゲンをやっていて、サーカス「Mr.サマータイム」などと一緒にこの曲のシングルも買ったはずである。かなり安価だった記憶がある。7インチなどというそれっぽい言い方はしていなくて、どちらかというとドーナツ盤である。あれを取っておかなかったことはいまになってかなり後悔しているのだが、そんな人達ならば日本中にたくさんいるのだろう。

1993年あたりにいろいろやっているうちに終電がなくなり、ろくに親しく話したこともなかった年上の女性の家に泊めてもらうことになった。酒を飲みながら好きな音楽の話などをしていると、さだまさしのファンだというのでこれは話を合わせるのがなかなか難しいなという気分になったのだが、彼女が昔から大好きな曲があるといって、ラジカセで聴かせてくれたのが「真夜中のドア〜Stay With Me」だった。聴いたのは本当に久しぶりだったのだが、やはりとても良い曲だなと感じたし、もしかすると当時は早すぎたのではないかと思ったりもした。それで、カセットから流れる音楽に合わせて「Stay With Me〜、真夜中のドアをたたき〜♪」などと一緒に歌いさえしていた。次の朝、そのまま普通に仕事に行ったのだが、彼女とはそれきり一度も会っていない。というか、連絡先すら知らなかったと思う。このリバイバルを喜んんでいるだろうか。