ラヴソングの名曲ベスト30 Pt.2 (20-11)

20. For Once In My Life – Stevie Wonder (1968)

ロン・ミラーとオーランド・マーレンによって書かれ、様々なアーティストが歌った曲だが、スティーヴィー・ワンダーのバージョンが最も有名で、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。その時に1位だったのは、同じモータウンのマーヴィン・ゲイ「悲しいうわさ」である。

元々はバラードの曲だったが、スティーヴィー・ワンダーのバージョンではアップテンポにアレンジされている。人生ではじめて運命の人に出会えた、というようなことが歌われている。ロン・ミラーは80年代にヒットしたシャーリーン「愛はかげろうのように」の作曲者でもある。

19. First Day Of My Life – Bright Eyes (2005)

ブライト・アイズのアルバム「アイム・ワイド・アウェイク、イッツ・モーニング」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高37位を記録した。

人生で初めて愛する人に出会えたことの驚きと喜びを歌った、インディーポップ的な楽曲である。様々な映画やテレビ番組、企業CMなどで使われたりしているうちに、すっかりラヴソングの名曲としての評価が定着したようでもある。

ミュージックビデオにはヘッドフォンで音楽を聴く様々なカップルが登場するが、ゲイのカップルも含まれていることが、当時はまだ比較的新しいこととして評価されたりもしていた。

18. The First Time I Ever Saw Your Face – Roberta Flack (1969)

「愛は面影の中に」の邦題で知られるこの曲はイギリスのシンガーソングライター、イーワン・マッコールによって1957年に書かれ、多くのフォークシンガーやグループが歌っていたが、ロバータ・フラックがデビューアルバム「ファースト・テイク」でカバーしたことによってより広く知られることになる。

カーラジオでこのロバータ・フラックのバージョンを聴いたクリント・イーストウッドがひじょうに気に入り、自身の初監督映画「恐怖のメロディ」のサウンドトラックに使った。オリジナルから1分ぐらい縮めたバージョンを収録したシングルがリリースされると、全米シングル・チャートで6週連続1位を記録、グラミー賞でも最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞した。

それまで主にメッセージソングを書いていたイーワン・マッコールがあえてラヴソングとしてつくったのがこの曲だったということだが、ロバータ・フラックは讃美歌の名曲「アメイジング・グレイス」の次に完璧な曲だと思い、この曲をカバーしたようだ。

17. This Magic Moment – The Drifters (1960)

ドリフターズの代表曲である「ラスト・ダンスは私に」と同様に、ドク・ポーマスとモルト・シューマンのコンビによって書かれた曲で、全米シングル・チャートで最高16位を記録した。

リードボーカルは後にグループを脱退し、「スタンド・バイ・ミー」を大ヒットさせるベン・E・キングである。流麗なストリングスのサウンドに乗せて、うっとりするような恋の気分が歌われている。史上最も優れたテレビドラマともいわれる「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」でも効果的に使われていた。

16. (What A) Wonderful World – Sam Cooke (1960)

歴史や生物学や科学やフランス語についてはよく分からないのだが、あなたを愛しているということは分かっているし、もしもあなたも同じだとしたらなんて素晴らしい世界だろう、というようなことが歌われたサム・クックのヒット曲である。忌野清志郎がこの曲を歌詞の意味も含め、ラジオ番組で紹介するのを聴いた記憶がある。

ルー・アドラーとハーブ・アルパートのコンビによって書かれ、サム・クックが歌詞をより教育寄りにしたという。ハーマンズ・ハーミッツ、ジェームス・テイラー、ポール・サイモンにカバーされたり映画「アニマルハウス」で使われたりするが、1986年には前年の映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」やリーバイスのCMに使われたことによってリバイバルし、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。

15. Your Song – Elton John (1970)

「僕の歌は君の歌」の邦題で知られる、エルトン・ジョンの代表曲の1つだが、最初にリリースされたのはスリー・ドッグ・ナイトによるバージョンで、エルトン・ジョンのバージョンも当初はシングル「パイロットにつれていって」のB面として、アメリカでリリースされた。

当時、一緒に暮らしていたバーニー・トーピンがすでに書いていた歌詞に、ある朝、エルトン・ジョンが10分で曲をつけたといわれている。恋人に高価なものは買ってあげられないから、せめてこの曲を贈るという内容の、洒落ていて絶妙に自虐的なトーンも素晴らしいラヴソングである。全米シングル・チャートでは最高8位を記録し、エルトン・ジョンにとって初のヒット曲となっている。

旭川出身のシンガーソングライター、片桐麻美が80年代に「オールナイトニッポン」のパーソナリティーを務めていた頃に、この曲をオープニングテーマに使っていた。

14. I Will Always Love You – Whitney Houston (1992)

ホイットニー・ヒューストンの主演映画「ボディガード」の主題歌としてリリースされ、全米シングル・チャートで14週連続1位という当時としては歴代最長記録の大ヒットを記録した。

オリジナルはドリー・パートンによる1980年のバージョンだが、「ボディガード」の主題歌に予定していたジミー・ラフィン「恋に破れて」が映画「フライド・グリーン・トマト」のサウンドトラックで使われていることを知り、他の曲を探している時にこの曲を提案したのは、共演者のケヴィン・コスナーであった。

個人的には当時、渋谷のパルコクアトロの店頭で寒空の下、何時間もこの曲が入ったCDを流しながらワゴンで売ったりもしていた経験から一時的に聴くことにうんざりしていたような時期もあったのだが、やはり素晴らしいラヴバラードである。

13. Ain’t No Mountain High Enough – Marvin Gaye & Tammi Terrell (1967)

どれだけ山が高かったり谷が深かったり川が広かったりしたとしても、あなたに会いにいく妨げにはならない、というようなことが歌われたデュエットソングで、全米シングル・チャートで最高19位を記録した。ダイアナ・ロスによるカバーバージョンが、後に全米シングル・チャートで1位に輝いている。作詞・作曲は80年代に「ソリッド」をヒットさせたアシュフォード&シンプソンである。

タミー・テレルはマーヴィン・ゲイとのデュエットでこの曲を皮切りに数々のヒット曲をリリースする。ステージ恐怖症でもあったマーヴィン・ゲイはタミー・テレルとの共演によって、それを乗り越えたともいわれている。しかし、この曲がヒットした年のライブ中にタミー・テレルは突然倒れ、マーヴィン・ゲイに支えられながらステージを後にする。

その後、癌が発覚し、闘病の末に1970年に24歳の若さで亡くなるのだが、マーヴィン・ゲイがその悲しみから完全に立ち直ることはなかったという。

12. I Only Have Eyes For You – The Flamingos (1959)

「瞳は君ゆえに」の邦題でも知られるドゥー・ワップの名曲で、全米シングル・チャートで最高11位を記録した。

私の愛は盲目だといわれるが、この瞳はあなたを見るためだけにある、というようなことが歌われたロマンティックきわまりない素晴らしいラヴソングである。日本では80年代に何かのテレビCMで使われていた記憶があり、個人的にもそれで初めて聴いたのだったと思う。CDを買いたかったのだが誰の何という曲かも分からず、適当に買ったドゥー・ワップのコンピレーションに入っていた時には歓喜した。

11. When A Man Loves A Woman – Percy Sledge (1966)

「男が女を愛する時」という直訳だが覚えやすい邦題で知られるソウルバラードで、全米シングル・チャートで1位に輝いた。とにかくパワフルなボーカルが印象的なのだが、パーシー・スレッジが自身の失恋をモチーフに書いたと知った上で聴くと、感慨もひとしおである。

1991年にはマイケル・ボルトンによるカバーバージョンで、再び全米シングル・チャートの1位を記録している。