松田聖子の名曲ベスト20 (20-11)

1962年3月10日に福岡県久留米市で生まれ、1980年4月1日にシングル「裸足の季節」でレコードデビューした松田聖子の楽曲から、これは特に名曲なのではないだろうかという20曲を挙げていく回である。

20. 渚のバルコニー (1982)

山下達郎「FOR YOU」がリリースされてから初めての夏、サザンオールスターズ「NUDE MAN」、松任谷由実「PEARL PIERCE」といったニューミュージックのアルバムと同じように、松田聖子「Pineapple」もまた、大学生のカーステレオなどでよく聴かれていたらしい。デビュー3年目にしてトップアイドルであるのと同時に、ポップスとしてハイクオリティーなレコードを出し続けるアーティストとしても、すっかり認知されていたような記憶はある。というのも、その楽曲の多くを当時の人気アーティスト達が書いてもいたからである。とはいえ、それをしっかり歌いこなした上で、松田聖子の楽曲以外の何ものでもないオリジナリティー溢れる作品に仕上げていたところがやはりすごい。

この曲は呉田軽穂こと松任谷由実による楽曲で、シティ・ポップ的な心地よさも感じられる。作詞が松本隆、作曲は松任谷正隆で歌っているのが松田聖子と、全員の名前が「松」からはじまる。この組み合わせによる楽曲はいくつかあるのだが、いずれも驚異的に素晴らしい。松本隆が松田聖子に提供した歌詞は女心を理解しているなどといわれることもあったが、実は男の子が妄想の中で理想としている女の子のそれだったのではないか、というような意見もある。

この曲であれば、たとえば「馬鹿ね 呼んでも無駄よ」という言い回しなどにたまらないものがあるのだが、「そして秘密」というフレーズに宿る仄めかしなども素晴らしい。

19. Sweet Memories (1983)

サントリーCANビールのペンギンのキャラクターが出てくるテレビCMはひじょうに人気があり、当時の日本で流行っていたファンシーなイメージとも親和性が高かった。誰が歌っているかのクレジットもなく、英語詞のジャズバラード的な曲が流れていて、それを歌っているのが実は松田聖子だったということは、途中から明かされた。

当初はシングル「ガラスの林檎」のB面としてリリースされたのだが、途中から両A面扱いになり、ジャケットも新しくしたものが発売されていた。松田聖子の音楽というのは他のいわゆるアイドルポップスとは少し違っていて、大人の鑑賞にもじゅうぶんに耐えうるものなのだという印象を、広くあたえた楽曲だともいえるような気がする。

18. 蒼いフォトグラフ (1983)

「ガラスの林檎/SWEET MEMORIES」の次のシングルとしてリリースされたのが「瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ」で、今度ははじめから両A面シングルとしてリリースされた。「蒼いフォトグラフ」はテレビドラマ「青が散る」の主題歌ではあったが、「SWEET MEMORIES」ほどは広まらなかった。これもまた、呉田軽穂こと松任谷由実による楽曲であり、シティ・ポップ歌謡とでもいうべき都会的でゴージャスな雰囲気とニュアンスにとんだボーカルが特徴である。

17. いちご畑でつかまえて (1981)

シングルとしてヒットした表題曲をはじめ、A面全曲を大滝詠一が作曲・編曲したアルバム「風立ちぬ」に収録された曲である。その全曲が同じ年に大ヒットした大滝詠一「A LONG VACATION」収録曲と対になっていて、たとえばこの曲だと「FUN×4」である。大滝詠一がこの2曲をマッシュアップした「いちご畑でFUN×4」はかつてラジオで流れたことがあるだけの音源だったが、松田聖子が2020年にリリースしたアルバム「SEIKO MATSUDA 2020」に初収録された。松田聖子のかわいらしいくしゃみを聞くことができるのも、この曲の大きなポイントの1つである。

16. ガラスの林檎 (1983)

70年代後半はニューミュージックが全盛だったこともあり、フレッシュアイドルにとっては受難の時代だったのだが、1980年に松田聖子や田原俊彦がブレイクしたことにより、アイドルポップスそのものが息を吹き返した。男性アイドルでは近藤真彦、シブがき隊といったジャニーズ勢、女性アイドルでは河合奈保子、柏原芳恵に加え、中森明菜、小泉今日子をはじめとする「花の82年組」がベストテンの常連化していた。

そして、松田聖子はといえば本格的なポップシンガーとして、さらなる高みに向かっているようであり、特に細野晴臣が作曲したこの曲ではスケールの大きさを感じさせられた。ディレクターからの依頼はサイモン&ガーファンクル「明日に架ける橋」のような曲、ということだったようなのだが、それも納得のクオリティーである。

15. チェリーブラッサム (1981)

デビューから3枚のシングルは小田裕一郎の楽曲だったのだが、この曲ではチューリップの財津和夫が起用されている。これ以降、ニューミュージックのアーティストがアイドルに楽曲を提供するのは当たり前という感じになってもいくのだが、この当時は少し変わった曲だなという印象を受けた。当の本人である松田聖子も当初はひじょうに違和感を覚えていたらしく、「これで自分は終わった」と思うほど不安に感じていたという。

しかし、フタをあけてみれば大ヒットであり、いかにも春らしい名曲と高く評価され続けるようにもなっていった。個人的には妹の誕生日になぜかこのシングルをプレゼントした記憶があり、これが初めて買った松田聖子のレコードでもあった。「チェリーブラッサム」という英語が桜の花を意味することをこの曲で知ったのと、「つばめが飛ぶ」というフレーズにはやはりインパクトがあった。「何もかもめざめてく 新しい私」というのも、いま思うと典型的なアイドルポップスからニューミュージック化していき、新しい日本語ポップスのスタンダードをつくっていくのだという宣言だったのではないか、というような妄想も楽しめる。

14. 白いパラソル (1981)

1981年といえば寺尾聰「リフレクションズ」の次に大滝詠一「A LONG VACATION」が日本の音楽アルバムとしては売れまくった年であり、一般大衆の感覚がシティ・ポップ化しつつあったともいえるような気がする。松田聖子のシングルの歌詞はデビューから三浦徳子が書いていたのだが、寺尾聰「リフレクションズ」や大滝詠一「A LONG VACATION」にも多くの歌詞を提供していた松本隆は、松田聖子の歌には自分の歌詞が合うのではないかと考えていたという。

そして、「白いパラソル」は松本隆が初めて松田聖子に提供したシングル曲となり、当然のように大ヒットした。「風を切るディンギーでさらってもいいのよ」というフレーズに登場する「ディンギー」とは何なのかを知らない状態で松田聖子は歌っていたというのだが、それは当時の多くの日本国民にとっても同じだったのではないだろうか。実際には風を動力とする1人乗りの小さなヨットのことらしく、大滝詠一「君は天然色」においても、「渚を滑るディンギーで」というフレーズで登場する。

個人的には中学校の演芸大会のようなものに、同じクラスのお調子者と一緒に3人組で出場し、女子から借りたセーラー服を着てこの曲を歌ったことが思い出される。スカートというのは下がこんなにもスースーするものなのか、という発見があった。

13. ハートのイアリング (1984)

松田聖子「風立ちぬ」のアルバムと同じ1981年10月21日にナイアガラ・トライアングルのシングル「A面で恋をして」もリリースされていて、そのメンバーは大滝詠一、佐野元春、杉真理であった。大滝詠一はもちろん「風立ちぬ」、杉真理はアルバムで松田聖子に楽曲提供するのだが、佐野元春は1984年にHolland Roseのペンネームで「ハートのイアリング」を提供した。ペンネームの由来は佐野元春のラジオ番組にリスナーがホール&オーツのことをホーランド・ローズと間違えてリクエストをしてきたことで、オランダのバラというイメージがなんとなく良いなと感じたり、モータウンの人気ソングライターチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドを連想させもするということでペンネームに採用されたのだという。

フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを思わせるような、松田聖子にしてはユニークな楽曲であり、冬を舞台にした失恋ソングになっている。松本隆は失恋ソングを好んでいなかったといわれているが、この曲などは湿っぽくないシティ感覚の失恋ソングとでもいうべきものになっていてとても良い。

12. 夏の扉 (1981)

このシングルのジャケットが典型的な「聖子ちゃんカット」でかなり良い。ブレイクしてから少しの間、グリコチョコレートのテレビCMで共演した田原俊彦のファンから嫉妬されたり、かわい子ぶりっ子などと批判されたりして、松田聖子には同性のアンチが多かったような気がするのだが、いつの間にかすっかり憧れの対象になっていた。それを端的にあらわす例として、「聖子ちゃんカット」の流行というのがあった。

それにしても、「フレッシュ! フレッシュ! フレッシュ!」というストレートなフレーズが剛速球で飛んでくるような清々しさが実に素晴らしい。「夏への扉」はロバート・A・ハインラインと山下達郎だが、「夏の扉」は松田聖子だということが強く印象づけられた。ノースリーブの黄色い衣装もとても良かった。

11. 制服 (1982)

80年代のアイドルポップスで卒業ソングといえば、斉藤由貴や菊池桃子の「卒業」や柏原芳恵の「春なのに」が思い浮かぶのだが、シングル「赤いスイートピー」のB面に収録されていたこの曲も名曲である。同じく松本隆によって書かれた斉藤由貴「卒業」と同様に、「あなた」は卒業して4月になると東京に行ってしまう。しかし、思いを打ち明けず「ただのクラスメイト」として存在し続けるという、眩しさや輝かしさの中にある切なさや痛みというのか、そういったものが「失ったときはじめて まぶしかった時を知るの」という名フレーズによって感動に変わる。作曲はこれもまた、呉田軽穂こと松任谷由実である。

松本隆は当時、A面の「赤いスイートピー」よりもこの曲の方に自信があり、途中からAB面を入れ替えようという構想もあったようなのだが、A面があまりにも受けたことから実現しなかったようだ。それでもファンの間ではひじょうに人気が高く、好きな曲の投票やアンケート的な企画では上位にランクインしていることが多い。