ビートルズの名曲トップ40, Pt.2 (30-21)

30. Day Tripper (1965)

「ラバー・ソウル」のセッションでレコーディングされ、「恋を抱きしめよう」との両A面シングルとしてリリースされた。全米シングル・チャートで最高5位を記録している。

「デイ・トリッパー」とは日帰り旅行者を意味するが、ドラッグをキメることをトリップするともいうため、この曲においてはダブルミーニングというか、ほとんど後者の意味合いが強いと思われる。

音楽的にはアメリカのR&Bから影響を受けていて、特に「エイト・デイズ・ア・ウィーク」でも参照されたボビー・パーカー「ウォッチ・ユア・ステップ」からはギターリフが引用されている。

日本ではイエロー・マジック・オーケストラが1980年のオリコン年間アルバムランキングで1位に輝いた「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」においてカバーしていて、当時の日本の小中学生にはビートルズよりも先にこちらのバージョンで聴いた人も少なくはなかったと思われる。

29. I Saw Her Standing There (1963)

ビートルズのデビューアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の1曲目に収録された曲で、主にポール・マッカートニーによって書かれている。ベースのリフはチャック・ベリー「アイム・トーキング・アバウト・ユー」から引用されたものである。

当初のタイトルは「セヴンティーン」で、歌詞はポール・マッカートニーが実際に当時17歳だったガールフレンドとロンドンを訪れた時だったという。

歌い出しの「Well she was just seventeen」の後に続く歌詞は「Never been a beauty queen」だったが、ジョン・レノンに笑われたことなどにより、「You know what I mean」に変更されたという。

ビートルズのバージョンではポール・マッカートニーがずっとボーカルを取っているが、解散後の1974年にジョン・レノンはエルトン・ジョンのバンドとの演奏で歌い、シングル「フィラデルフィア・フリーダム」のB面に収録された。

80年代後半にはティーンポップのティファニーが「ハー」を「ヒム」に変えた「アイ・ソー・ヒム・スタンディング・ゼア」としてカバーし、全米シングル・チャートで最高7位を記録した。

28. Please Please Me (1963)

ビートルズのイギリスにおける2枚目のシングルで、全英シングル・チャートで最高2位を記録した。

デビューシングルの「ラヴ・ミードゥ」が全英シングル・チャートで最高17位を記録したものの、ビートルズの存在はまだまだ一般大衆にまでは知られていなかったという。その理由として、「ラヴ・ミー・ドゥ」のリリース当時、ビートルズはまだドイツのハンブルグで演奏する契約が残っていたためにイギリス国内でのプロモーションがじゅうぶんに行えなかったことが挙げられる。

ジョン・レノンによって書かれたこの曲はロイ・オービソンを参照したもので、当初はよりスローテンポでイントロのハーモニカも入っていなかったという。現在知られているバージョンになったのは、プロデューサーのジョージ・マーティンの意向によるところがひじょうに大きいともいわれている。

当時のイギリスで土曜の夜に放送されていたテレビ番組「サンク・ユア・ラッキー・スターズ」にビートルズは出演し、この曲を演奏するのだが、雪のため家にこもってテレビを見ていた人たちが多かったことも手伝い、これをきっかけにビートルズの存在が一般大衆レベルにまで知れ渡ることになったのだという。

27. Get Back (1969)

ポール・マッカートニーによって書かれた曲で、完成までの過程がドキュメンタリー映像として記録されている。映画「レット・イット・ビー」やドキュメンタリー番組「ゲット・バック」のハイライトでもあるアップル・レコード本社屋上でライブ演奏された後、まずはシングルとしてリリースされ、イギリスやアメリカをはじめ多くの国々のシングル・チャートで1位に輝いた。アルバム「レット・イット・ビー」にはシングルとは別のバージョンが収録された。

ビートルズがバンドとして存続していた後期、いつ解散してもおかしくはない状況下で生まれた曲である。リトル・リチャードなどのバックバンドで演奏していたビリー・プレストンがキーボーディストとして参加している。

当時のイギリスの政治家の移民政策に対してのプロテストソング的な意味合いの歌詞もあったが、完成したバージョンには入っていない。

26. Rain (1966)

シングル「ペイパーバック・ライター」のB面に収録され、全米シングル・チャートで最高23位を記録した。

スタジオワークに凝りまくっていた「リボルバー」のセッション時にレコーディングされていて、テープの逆回転やバックトラックのスピードを落とす技法など、様々な実験が試みられている。

ジョン・レノンによって書かれた楽曲で、天候に一喜一憂している人たちについて歌われているようだ。

オアシスの前身としてリアム・ギャラガーらによって結成されたロックバンドの名前は、この曲を由来とするレインであった。

25. All You Need Is Love (1967)

1967年に世界各国を中継で結んで放送されたテレビ番組「OUR WORLD~われらの世界~」のために書き起こされ、シングルとしてリリースされるとイギリスやアメリカをはじめ多くの国々のシングル・チャートで1位に輝いた。

「愛こそはすべて」の邦題でも知られ、ベトナム戦争に対する抗議行動から広がった「サマー・オブ・ラヴ」を象徴する楽曲となっている。

ジョン・レノンによって書かれた楽曲だが、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」からはじまり、グレン・ミラー楽団「イン・ザ・ムード」、バッハ「2声のインヴェンション8番 BWV779」、イギリス民謡の「グリーンスリーブス」からビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」「イエスタデイ」など、様々な曲のフレーズが引用されてもいる。

24. Across The Universe (1969)

世界自然保護基金のチャリティーアルバム「ノー・ワンズ・ゴナ・チェンジ・アワ・ワールド」で初めて発表された後、アルバム「レット・イット・ビー」には別アレンジでのバージョンが収録された。

ジョン・レノンによって書かれた曲だが、歌詞の着想は1967年に当時の妻が延々と愚痴を言い続けることにイラついていたことに起因する。その後、超越瞑想に傾倒したことの影響からサンスクリット語によるマントラが歌詞に加えられたりもした。

1975年にデヴィッド・ボウイがカバーしたバージョンには、ジョン・レノンもゲストで参加している。

23. Helter Skelter (1968)

アルバム「ザ・ビートルズ」に収録されたポール・マッカートニーによる激しく騒々しい楽曲で、ヘヴィーメタルの元祖だとされる場合もある。

ザ・フー「恋のマジック・アイズ(原題:I Can See For Miles)」についての雑誌の記事を読んだポール・マッカートニーが、それを超える騒々しい曲を意図してつくったといわれている。

チャールズ・マンソンのファミリーによって引き起こされた殺人事件の現場に、被害者の血でこの曲のタイトルが書かれていたことなどから、それと関連するイメージがついてしまったところがある。

22. Happiness Is A Warm Gun (1968)

アルバム「ザ・ビートルズ」に収録されたジョン・レノンによる楽曲で、シングルカットはされていないものの、ひじょうに人気と評価が高い。

タイトルは全米ライフル協会の雑誌に掲載されていた記事のタイトルから引用されている。あまりに酷すぎることからジョージ・マーティンがその雑誌をジョン・レノンに見せてきたというのだが、それを逆説的に取り上げたものと思われる。歌詞においては銃のイメージが性的な隠喩としても機能している。

いくつかの楽曲を組み合わせたような複雑な構造を持っていて、特に終盤のドゥーワップのパロディーのようなパートに人気がある。

21. Norwegian Wood (The Bird Has Flown) (1965)

アルバム「ラバー・ソウル」に収録されたジョン・レノンと一部はポール・マッカートニーによる楽曲で、ジョージ・ハリスンが演奏するシタールはレコード化されたポップ・ミュージック史上初めて使用されたのだという。

どこか神秘的でもある歌詞はジョン・レノンが当時の妻であったシンシアに隠れて、他の女性と関係を持ったことを題材としている。

邦題は「ノルウェーの森」だが、日本ではバブル時代の「純愛」ブームを象徴する村上春樹の小説「ノルウェイの森」のタイトルに引用された。