ビートルズの名曲トップ40, Pt.3 (20-11)

20. Let It Be (1970)

1970年にシングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位、全米シングル・チャートでは1位に輝いた。同タイトルのアルバムにはフィル・スペクターがプロデュースした別バージョンが収録されている。

ポール・マッカートニーによって書かれた曲で、歌詞に登場する「Mother Mary」は亡き母であるメアリー・マッカートニーのことであるとされたり、聖母マリアのことだと解釈されたりする。

タイトルにはメンバーの意識がバラバラになっていたビートルズの状態について、「なすがままに」というお告げを聞いたというような意味がある、といわれていた。

ビートルズの楽曲の中でも一般的に特に有名なうちの1曲で、英語の学習教材テープによく分からない人が歌っているバージョンが収録されていることもあった。

19. Here Comes The Sun (1969)

アルバム「アビイ・ロード」に収録された、ジョージ・ハリスンによる楽曲である。

アップル・レコードでの打ち合わせに嫌気がさしていたジョージ・ハリスンがエリック・クラプトンの家に遊びに行って、春の陽気を感じていた時に浮かんだ曲だという。

海外では夏をテーマにしたコンピレーションやプレイリストに選曲されていることもある。

18. In My Life (1965)

アルバム「ラバー・ソウル」に収録されたた楽曲で、歌詞はジョン・レノンによって書かれているが、曲についてはそれぞれがどれぐらいの割合で書いたかポール・マッカートニーとの間に見解の相違が見られる。

当初の歌詞にはジョン・レノンが幼い頃にすごしたゆかりの場所の名前などが具体的に入っていたようなのだが、大幅に書き直されることになった。

その結果、いままでの人生で出会った人たちの中にはまだ生きている人もいれば亡くなってしまった人もいるが、そのすべてを愛している、というような多くの人々が共感しうる内容になった。

間奏のチェンバロのようにも聴こえるバロック調のフレーズは、ジョージ・マーティンがバックトラックを半分の速度で再生しながらピアノで弾いたのを早回ししたものである。

17. Paperback Writer (1966)

「リボルバー」のセッションでレコーディングされたがアルバムには収録されずシングルでリリースされ、イギリスやアメリカをはじめ多くの国々のシングル・チャートで1位に輝いた。

ポール・マッカートニーによる楽曲で、小説家志望の人物がペーパーバックの出版を懇願する手紙といった体の内容になっている。

これはポール・マッカートニーが叔母のリルから、どうしてラヴソングばかりしか書かないのかといわれたことに対して反応した結果だという。

この年に行われた日本武道館での来日公演でも最新シングルとして演奏されたが、この後でビートルズはライブ活動を行わなくなってしまった。

16. Ticket To Ride (1965)

「涙の乗車券」の邦題でも知られるジョン・レノンによって書かれた楽曲で、イギリスやアメリカをはじめとする多くの国々のシングル・チャートで1位に輝いた。

映画「ヘルプ!4人はアイドル」でも使用され、サウンドトラックにも収録された。よりヘヴィーになったサウンドが印象的である。

カーペンターズによるカバーバージョンもよく知られている。

15. A Hard Day’s Night (1963)

初の主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(原題:A Hard Day’s Night)」のテーマソングであり、当時は楽曲にも映画と同じ邦題がつけられていた。ちなみにこの邦題だが、当時は映画会社の社員であった淀川長治によってつけられたものらしい。

それはそうとして、イントロのギターの1音目からインパクトが強く、新しい時代を切り拓く音のようでもある。

タイトルは忙しい日の終わりにリンゴ・スターがふと呟いたが、気がつくと夜だったのでそれについても付け加えた言葉が由来だという。

14. Blackbird (1968)

「ザ・ビートルズ」のアルバムに収録されたポール・マッカートニーの楽曲で、他のメンバーはレコーディングにも参加していない。

タイトルには鳴き声が入っているクロウタドリの他に、黒人の女性という意味もあり、この頃に盛り上がっていた公民権運動に賛同の意をあらわすものでもあったといわれている。

13. Come Together (1969)

アルバム「アビイ・ロード」から「サムシング」との両A面シングルとしてカットされ、全英シングル・チャートで最高4位、全米シングル・チャートでは1位に輝いた。

ジョン・レノンがカリフォルニア州知事選挙に出馬したティモシー・リアリーからキャンペーンソングを依頼され、連帯を訴えるスローガンのチャントだけをつくっていたものがベースになった。

ティモシー・リアリーが選挙運動中に麻薬不法所持で逮捕されたため、キャンペーンは中止されたが、この曲は「アビイ・ロード」のセッション中に完成された。

スローガン的なところ以外の歌詞は解釈がひじょうに難しいものになっているが、ブルージーでファンキーな演奏がひじょうに魅力的である。

90年代にはポール・マッカートニーがチャリティーアルバムのために、ポール・ウェラーやノエル・ギャラガーらとザ・スモーキン・モジョ・フィルターズ名義でカバーして、全英シングル・チャートで最高19位を記録している。

12. She Loves You (1963)

初期ビートルズを代表する楽曲の1つであり、イギリスやアメリカをはじめとするシングル・チャートで1位に輝いた。

ボビー・ライデル「フォーゲット・ヒム」におけるコール&レスポンスにインスパイアされているが、「She loves you」に呼応する「yeah, yeah, yeah」は当時としては随分とアメリカナイズされているともとらたようだ。

頭をゆらしながらファルセット気味に歌うところはビートルマニアの狂熱を呼んだが、元々はアイズレー・ブラザーズ「ツイスト・アンド・シャウト」にヒントを得たものだという。

11. Penny Lane (1967)

「リボルバー」の完成後に最初にレコーディングされたポール・マッカートニーによる楽曲で、アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・クラブ」に収録される予定だったのだが、ジョン・レノンによって書かれた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」との両A面でシングルがリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位、全米シングル・チャートでは1位に輝いた。

タイトルはポール・マッカートニーの故郷であるリヴァプールに実在する通りの名称であり、ジョン・レノンによる「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」からもインスパイアされたノスタルジックな内容になっている。

この曲においてはピッコロトランペットのサウンドがひじょうに印象的だが、これはポール・マッカートニーがBBCで放送されていたクラシック音楽のコンサートで聴いて感銘を受け、レコーディングをオファーしたというデヴィッド・メイスンによって演奏されている。